テキストとコンテキストの対話 #聖書
テキスト(聖書)とコンテキスト(時代の文脈)との対話がなされているか。両者の対話こそ教義学的営為である。テキスト(聖書)だけであるならば、それは現代の人の心と噛み合わぬいわゆるレプリスティネーション(昔の言葉のただの反復)以外の何でもなくなる。メッセージの抽象化である。反面、コンテキストだけの神学は、福音の根本である人間の絶望的状況の認識欠如を前提としており、それも抽象的神学の非を免れない。
教義学的営為の現代的課題 [教義学1 橋本昭雄より]
変わらない言葉である聖書を、変わり続ける時代にどのように語っていくかがこれからの課題となる。両者の対話がなされているかを問い続けなければいけない。
現代社会を生きている私たちは多くの悩みを抱えている。そのような方々には聖書を話せる機会が少ない。ではどのように届けるのか。一つの解決は、まずその文脈に生きる方々の悩み、叫び、声を聴くことから始まるのではないだろうか。それが私たちの"在り方"、 "生き方"を通じた伝え方ではないだろうか。そのようにして関係を育みながら、聖書の持つ恵みを伝える人となっていきたい。
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