【トイレ史⑧】トイレの近代化
明治時代に入ると日本人は、開国以前には経験したことのないコレラに悩まされることになる。最盛期には11万人が亡くなった。死者があまりにも多い過酷な現実に国民は震撼した。致死率の高さで言えば、現在の新型コロナよりも恐怖感はさらに深刻であったかもしれない。その対策として、水道・下水道整備が重要視されたのであった。
上下水道計画は工部大学校お雇い教師の英国人W・K・バルトンの指導の下に策定された。バルトンは下水道に関連して水洗トイレを受け入れないことにした。当時、屎尿は農村還元されており、貴重な資源を下水道に取り込む必要はないとの判断だった。
ところが、明治30年東京の市街地化は急速に進み、東京市は新たに東京大学の中島鋭治教授に下水道計画の策定を依頼した。中島教授は欧米諸都市の例にならい、水洗便所の受け入れは差し支えないとし、下水道に受け入れることを決断した。とはいえ、下水道の建設には膨大な費用がかかり、また、水洗トイレそのものがよく知られていなかったことから、普及しなかった。(東京市は簡易型水洗トイレのパンフレットを作成して、キャンペーンも行っていた。)
『参考資料』
東京都下水道局報 昭和49年2月号