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コーヒーハウスとSNS
1650年にイギリス・オックスフォードに「コーヒー・ハウス」が開店した。2年後にはロンドンにも出現し、ロンドンだけでも3000軒のコーヒー・ハウスが営業していたといわれる盛況ぶりであった。
初期のコーヒー・ハウスは、身分の高低や職業などに関係なく、立派な衣装に身をかためた伊達男であろうと、ボロをまとった男であろうと入場料の1ペニーを払えば誰でも入ることができた。
店内のテーブルのあちこちには、さまざまな新聞や雑誌などが備えられ、客はそれを手にとって読んだり、字の読めない者に読んで聞かせたりしていた。パトロン用に特別にしつらえられた大きなテーブルは、やがていろいろな話題について議論するためのテーブルになっていった。
このようにコーヒー・ハウスは、さまざまな人々が寄り集まって自由に議論をかわしながら情報収集をすることができる場であり、そのことがコーヒーそのもの以上に人々を魅了した。
コーヒー・ハウスが流行り出した頃、イギリスではいまだピューリタン革命以来の政治変革の熱が冷めやらぬ時期であり、コーヒー・ハウスでの話題もとかく時の政局や権力への批判、時には新たな革命の鼓舞などになりがちであった。
そこで、政府はコーヒー・ハウスの隆盛を危険視し、さまざまな理由をつけて取り締まろうとした。実際に1660年にコーヒー・ハウスの閉鎖という布告が出された。この右告はこうごうたる非難を浴びて、わずか11日間で撤回された。
もっとも政府もしたたかで、コーヒー・ハウスにスパイを送り込んで情報収集にあたらせたり、時には故意に情報を流して世論操作を試みるなど、裏から反乱や陰謀の目を摘むためにコーヒー・ハウスを巧みに利用していた。
その後、名誉革命(1688年)を経てアン女王が即位した頃には、イギリスの政治も安定期を迎え、それとともにコーヒー・ハウスの政治議論の場としての性格も薄らいでいくことになった。
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