何を大切にするべきか

今日、メイドカフェに行ってきた。

語り出しからふざけていると思われそうだが、大真面目だ。

そして、今寝る前になって虚無感に襲われ、酒を飲みながらおつまみを貪っている。

まぁそんな状況説明はさておき、なぜこんなことを考えているか。

書きはじめなのに個包装のジャーキーのゴミばかり増えていく。ジャーキーがうめぇんだ。


見ての通り、私の脳内は整理されていない、書き殴りだ。読み手にはとっても申し訳ない。

今日のメイド喫茶は友人たちと男4人で行ってきた。キッカケは、友人の1人の元カノが一時期メイド喫茶でバイトをしていたことだ。

彼からその彼女の話を聞くたびに、思うのは、私が所謂「萌え」で喜んで好きになっているのは、偶像的な意味でのアイドルの部分ということだ。

それぞれのメイドにもプライベートと仕事があって、仕事モードのサービス精神が旺盛なのだ。

仕事の笑顔に恋したら終わりなことぐらい分かっているが、作られた偶像が結果的に美しく写ってしまうのが、自分の盲目フィルターである。

ここからはずっと恋愛、人間関係的な話をする。昇華という美しい物ではなく、ただのストレスの捌け口でしかないが。

偶像に恋するのは愚かなことだと私は思う。いや、実際心が動いている時点で恋はしているのだが。詐欺やトラブルといった実害が出る可能性があるからだ。

こんなことを考えるたびに、街中の恋人同士は凄いと感じる。自分の中でのロマンを感じる部分と、現実で恋愛なんてこんなもん、と受け入れるバランスが上手に取れている気がする。

フィクションとの切り離しが出来ている、というか、割り切る能力が高く思える。

推しの結婚を本気で喜べるファンなども、自分の目にはそう映っている。

恋愛に浪漫を求めすぎると、飽きや目移りに苛まれることになるし、相手への期待が関係悪化につながる。

しかし、そんなもんだと受け入れて恋愛することに対しても、少し抵抗感を覚える。

ロマンのない恋愛は楽しいか?

世界に眠っているそういう偶然や奇跡、運命を手繰り寄せるために、大切にしなければならないものはなんだろう、とずっと考えていた。

自分磨き(外面も内面も)が結論にあたると感じる。
外面はもちろん、内面も人と関わったり、縁を繋ぐ上で重要なのではないか。

簡単に言えば、「メイド達は偶像を作るのに頑張っているのに、たかがサービスを利用するという理由だけで、利用者の俺らが頑張らないのは違うだろ!」ということだ。

夢を与えて欲しい、と願う前に、自分は他の誰かに夢を与えられているのか。一緒にいて楽しいと思わせることができているのか。

人間は夢の与え合いで成り立っているのかもしれない。

そしてもう一つ大切にするべきは、人から与えてもらう夢を見落としていないか、だ。

この夢の定義は、「誰かの親切や気遣いによって創出されている幸せ空間」とする。

例えば友人の親切や気遣い、過ごしやすさに自分は気づけているだろうか。

話したそうなことを程良く聞き出してくれる友人、
約束を覚えててくれる友人、
久々に連絡をくれる友人(マルチとかは除く)、

そういった人々、機会を見逃している可能性がある。


自分が幸せを創出できる人間になることで、少しずつ世界を浪漫溢れるフィクションに寄せることはできるんじゃないか。そんな事を考えている。

ひとまず、自分磨き(外見)に関しては、本当に筋トレをサボっているので、
(どれくらいかというと、駅の乗り換えで階段を上がったら息切れするレベル)

明日から毎日筋トレをしようと思う。

その前に将来が真っ暗だ。筋肉と共に自信と希望も生まれると信じて、とりあえずはそうしよう。

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