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なぜコーチング×東洋思想なのか?②

前回の続きです。決められた観光名所を巡るだけの修学旅行ではなく、自由気ままに北京の街を巡ってみたかったのと、そのとき交流した彼女に自分が2年間学んだ中国語を試してみたくて、20歳のときに北京ひとり旅をしました。結論から言うと、大学に進学した彼女は寮生活をしていて会うことはできませんでした。ただ、これが僕の中国への興味を掻き立てる転機となります。人生わからないもんですね。

当時はスマホはおろかガラケーもない時代。初日に安宿に到着して翌日の観光計画を立てていたら、いきなり部屋の電話が鳴りました。例の交流彼女からです。宿泊場所は事前に伝えていました。いわく「学生でおカネが無いだろう。ホテル暮らしはやめて、空いている自分の実家の部屋に泊まれ」と。人生初のトンデモご厚意に対してオトナな断り方も知らない当時の僕は、彼女が不在の実家で、お父さま、お母さま、お姉さまと暮らすことになりました。日本でだって他人さまの家に居候なんてしたことないのに。

「初めまして、ワタシはひとりの日本人です」と意味のない自己紹介から始まった居候生活は衝撃の連続でした。食事やテレビ番組などの日常生活はもちろん、そもそも「自分の家に行け」というトンデモ提案をした彼女、見知らぬ他人への冷たさと見知らぬ僕を家に招き入れる温かさが同居する北京市民、他人の前でも父親を恥じらいなく尊敬する家族。なんなんだこの人たちの思考回路は?と20歳の僕には理解不能でしたが、いつしかそれを理解したいと思うようになりました。

中国独特の人間関係を表す「关系(グアンシー)」なども後に学ぶことになるのですが、その時点では明確な解もないまま、帰国後も中国語学習を続け、中国経済論ゼミを専攻しました。就職してからも「中国ビジネスがしたい」と社内でアピールし、20代中盤からはどっぷり携わることになりました。30代で上海に駐在した頃には、中国の人々がなぜ(日本人から見て)独特の考え方をするのか少しずつ理解できるようになっていました。論語を始めとする四書五経、仏教や儒教、科挙を由来とする激しい学歴社会、さまざまな国家体制の盛衰など、やはり四千年の歴史が彼らに与え続けている思想の影響は大きいです。

一方その頃、上海に住む日本人の友人を通じて「コーチング」に出会いました。僕のキャリアは徐々に「チャイナ」から「コーチング」へと導かれます。帰国後に40歳でコーチングを仕事にすると決めてから知ったのですが、この業界では○○系コーチ、△△系コーチなど自身の得意分野を打ち出して差別化を図っています(コーチ業界に限らず競合との差別化を打ち出すのは基本ですが)。

では僕はコーチングを通じてクライアントに何が提供できるのかと考えたときに、欧米式フレームワークよりも中国を含めた東アジアの文化や思考方法によって自分自身がスッキリしたりやるべきことを定めたりできたので、それを打ち出していこうと考えました。これが「コーチング×東洋思想」に至った経緯です。

ちなみに思想と宗教は違います。神の存在や死後の世界がどうとかではなく、あくまでも「いま目の前のことをどう解釈し、どう生きるか」という問いに対して助けになるのが「思想=考え方」だと捉えています。次回は僕が実際どんなコーチングをしているのかについて書いてみたいと思います。

では、てば。

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