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瞑想状態で淹れた珈琲が驚くほど美味しかった件

今日は土居珈琲さんの「苦いブレンド」
珈琲考具のフィルターレスドリッパーで、ストーブで沸かした山水で淹れました。
今日は珈琲豆を出した時から、ものすごく珈琲の香りにうっとりしていたんです。
立ち上る湯気もとても魅力的で、それに面白いほどによく見えて、
見えない空間の道筋を見せてくれるかのように、くねくねと立ち昇っていく様子を、とてもリラックスさせてくれるコーヒーアロマと共に楽しんでいたら、
思わず珈琲がこぼれそうなほどに淹れてしまっていたんです。

急に我に帰って、コーヒーカップに少々こぼしながらも珈琲を入れて一口

ええ?! 前回淹れた味と全く違う!
全く苦味がない、むしろ甘酒のような天然の甘みが口の中いっぱいに広がる…
喉を通る時にやっと感じる焙煎の苦味、とてももったりとしたまろやかさ
円熟な何層にも楽しめる一杯…

びっくりしました。
我を忘れて、湯気と香りに酔いしれながら淹れた珈琲がこんなにも美味しいとは!


瞑想
って聞くと、
山の中や滝行などの大自然のなか、
または、整えられた真っ白い空間などのいわゆる他の誰かの思想が生み出した空間で、
無理矢理に"そのために作った時間の中で" 行うエクササイズ的なものに仕立てられている感じが否めなかったのですが、
今日の珈琲時間は、瞑想という言葉がしっくり来る状態だったと思います。

瞑想は、意図せずに入り込める、言葉では表しづらい状態のことではないか?
作り込んだ時空間でできるものでないのではないか?と私は思います。
例えば、今日のような珈琲を淹れている至福の時、
温泉に浸かったあの震える瞬間、車を運転する持続的集中の中etc…
人には人の適した状況や環境があって、
しかもそれは意図してできるものではなく、なるようになった、なるべくしてなった状態のように思います。

結構前、「マインドフルネス」という言葉が一人歩きし始めた頃、
ウォーキングとかランニングとか、提唱されているがままに実践してみました。
だけど私は全くできなかったんです。
雑念ばっかりものすごく出てきて、むしろ考えちゃってた自分を見つけました。
だから自分は「瞑想ができない」と思い込んでいました。
そもそも、瞑想ってものが何のことかもよく変わらなかったし、
自分に必要かどうかも、実のところ今でもわかりません。

なんか流行っているからやってみよう、こういう時は瞑想がいいらしい
そんな外側からの影響に応じてやってみましたけど、全然ダメでしたね。

おそらくは、本当に必要な時に自分のベストな時空間に気付けると思いました。
必要な時に絶妙なタイミングで必要な情報が手に入るし、すんなりハラオチする何かと出会えると思います。

そしてここでも言えるのが、自分軸を持つこと、自分の感覚、感性、直感を信じきることだと思います。
2024/11/20に冥王星が水瓶座エリアに入り、ここから約20年続くわけなのですが、本当に世の中に切り替えが起こりました。
これについては自分の身を持って、驚くと共にしみじみ実感しているところなのですが、これはまた少しずつ書いていけたらと思っています。
少なくともこの20年は、これが絶対的なキーワードであり、スタンスだと思います。

例えば、今日のテーマである瞑想でいえば、
流行っているからやる
ステータス的な感覚でやっている自分が好き
いいらしいからやる
その感覚、もう本当に時代遅れなんですよ笑
それならまだわからないと言っている方が断然に正直でよろし。
自分で情報収集して、自分軸で判別して、ワクワクすることをして楽しむ
シンプルで心地良い行い
それができない世の中、人の目や評価に囚われ続けて自分がわからなくなっている人々、珈琲をじっくりハンドドリップで淹れてみてください。
自分のために、自分が喜ぶことを、自分で施す
その連続が自分を知る、自分を大切にする行いなんだと思います。

「瞑想」という言葉自体もわたしにはよくわかりませんが、
あの、ふわぁっと意識が上に登る感覚、心ここに在らずの感覚、
とても心地よくて、その時は何も考えていない、思考する隙もない、ただ感覚を味わっている状態、意識が上の方に引っ張られていく感覚
これが瞑想だとするならば、
私は「瞑想」なんて言葉じゃなく心の沐浴と言いたいです笑
(私は今日からそう名付けることにしました)

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