「障害」との対立のない世界へ──ありたい社会を、茶室にみた
はじまりは、2024年4月。
「最初の一歩として、TeaRoomとヘラルボニーで生み出すお茶道具の実現を模索をさせてください」と、へラルボニー代表・松田(崇弥)さんより頂戴したお言葉からでした。
TeaRoomにとって、へラルボニーは、創業まもない時期に同じシェアオフィスに入居していた縁もあり、ずっとどこか繋がっている感覚のある会社。
創業以来6年間、数々の茶会を行ってきたTeaRoomですが、「障害」というテーマに向き合うのは今回が初めてでした。
「そもそも、私たちにとって、障害とはどういうものなのか」
「ヘラルボニーは障害の何を塗り替えようとしているのか」
私はまず、手に入るだけのへラルボニーの情報を集め、その考えにとにかく触れることから始めました。
TeaRoomが根ざす「茶の湯」だから、成し得ることは何か。たどり着いたのは「境をなくす」ではなく、「境をまぎらかす」という発想でした。
境をまぎらかした社会の姿を紡ぎたい
「境をまぎらかす」というコンセプトのヒントになったのは、わび茶の祖・村田珠光の「和漢の境をまぎらかす」という言葉です。唐物中心だった道具に対して、和物をどう調和させていくか。日本には、異文化を横断し、呼応し、刺激され、そこに「らしさ」を付加しながら発展してきたという背景があります。
茶室は、様々な方や様々なものが集った時に、互いの異なる部分がはっきりと際立つのでも、まっさらに無くなるわけでもなく、間(あわい)が生まれて、境がまぎらかされる。そんなことが起き得る場所です。
誰もが肩書きや職業や年齢や国籍に関係なく、平等に集う茶室。
茶室の様子を、目指したい「社会の姿」としてみせることができないか、と考えました。
茶道具を通して、ものがたりを伝える
へラルボニーと茶道具をつくる。そう決まった時にとなった時、一番に思い出した言葉は「ものがたり」でした。
「もの(たましい)」「かたり(カタリ)」で、ものがたり。
言葉に出来ない深い想いをあらわすためにあった「ものがたり」は、言語や理屈をこえて感性に訴えかけられる、という考え方です。
「障害のある作家さんがつくった」という背景があるから、その茶道具に価値が生まれるわけではない、と思っています。彼らに知的障害があることで、同じ柄を描き続けるルーティンがあったり、独自の言語表現があったりする。その独自性が、結果として作品に昇華されている。
そして、その作品に、願いや想いがこもっているから、それがものに表情としてあらわれるから、心が揺さぶられたり、涙が出そうになったり、自然と温かな気持ちがにじみでたり、そういった感覚になるのだと、私は信じています。
その茶道具から、茶会という「もの」を通して伝える場において、言葉や説明無しにお客様に想いが届いたのならば、これほど素晴らしいことはありません。
だから、へラルボニーとつくる茶道具を、あえて「格好よく」することはしない、と考えました。
茶会は、その日に、その天気で、その場所で、亭主とお客様の空間であり、その場にある道具はとても重要なものです。
一服のお茶を楽しむための茶会という場において、お茶をお客様の身体に「飲む」という行為を通じて届ける、その媒介となる茶道具。
会をもてなす亭主と、その場に立ち会ったお客様の想いが重なり、その場ではスマホで写真を撮ることも、紙にメモ書きをしたためることも憚られる茶席だからこそ、目に焼き付けて、心に留めて、五感で記憶されて、未来にまで記録されていく。
それこそが、茶会のかけがえのない価値だと思っています。
茶席にいらした方には、形として残っている茶道具を未来に継ぐことで「ありたい社会の姿」を、その時に受け取った感覚と想いを、茶室から広げていってほしい。そのために今、私たちは共に茶道具をつくっている──そう強く願い、この企画を進めました。
囲いのない「そのまま」を表現したい
私たちの志を表明するための「キービジュアル」。
そこには、作家さんのエネルギーや、そこから生まれる様子「そのまま」を残したいと思っていました。
茶会はまるでライブのように、その場で発生する事象は、まるごと茶会の「内」としてしまう特性があります。
「あるオーケストラのステージで、お客さんの着信音がなってしまった時、機転をきかせてそのフレーズを拾って演奏をした」というような話がありますが、茶会でも近しいことが起こります。それを無かった事にしたり、注意したりするのではなくて、気持ちよく受け入れられると、まるでそれも演出だったかのようになってしまうから不思議です。
茶室は、障子で外と仕切られているため完全な隔たりはなく、雨の日には雨の音が聞こえるし、曇っていれば、茶室も少しうす暗い。
現代であれば、外で工事をしていたら工事音も聞こえてくる。
釜のお湯が沸く、シュンシュンという音を、松に吹く風に例えて「松風」と表現した背景にも、そういった想いがきっとあったのでしょう。
無音ではなく、静寂の空間だからこそ、うまれるものがある。
その「茶の湯」という文化が持つ考えは、へラルボニーが知的障害のある方の日々の日常から生まれた音を展示したという発想とも似ていると感じていました。(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000169.000039365.html)
だからこそ、キービジュアルを残す時は、作家さんに茶会を楽しんでいただく様子を撮り、何か起きてもそれを「そのまま」に残したい、と強く思っていました。それが、このメンバーがその場にいて出来た茶会、そのものであるからです。
これが、お茶らしい姿
キービジュアル撮影の日。私にとっては、作家さんとは二度目のご対面です。
今回の茶道具制作にご協力いただいた、京都の福祉施設「アトリエやっほぅ!!」にてご挨拶をした日から、相変わらず、交わす言葉自体は少ない。
少ないというより、ほとんどなかったと言った方が正確です。
肥後さんはお会いした時からサングラスをかけておられていて、下を向いていてあまり表情は見えず、日吉さんはニコニコと、あたたかく朗らかな眼差しでこちらを向いておられました。
いざ、茶会。まずは公園で野点を。
公園の石の机と椅子に、席を用意して、作家さんに座っていただきました。
茶人の三窪さんが、するりするりと点前をはじめ、お二人に振り出しから金平糖をお出しする。お二人の作家さんが絵付けしたお茶碗に、一服ずつお茶を出す。
ものの15分ほどのことでした。
その茶碗を持つお二人の手に感じる、柔らかさ。
そして、茶席の空気が温かく、ゆるやかに伝播した先で「お茶を通じて生まれる優しい感情は、こういう事だったのか」と実感する瞬間でした。
多くの言葉は交わしておらず、今回がどういうテーマか、なぜ公園という場所を選んだか、昨夜から東京から新幹線で来て、などといった世間話も、ほとんどしていません。
ただ、その場でお茶を楽しんでいて、周りの人にもその温度が伝播している光景。
障害のある作家さんと、撮影に立ち会った私たちに境目などなく、心地のよい空間でした。
公園という、隔たりのない空間で、ただ、囲いは亭主とお客様で共通理解ができていれば、どこまでも広く、深い空間であっても良い。そう思える時間でした。
そんなあたたかい雰囲気のまま、お昼休憩など終え、茶室へ。
こちらでは、日吉さん、肥後さんに、茶室で畏まった形でお茶を一服差し上げる。
お二人にとってはほとんど初めてのお茶の体験であった中、目の前にある茶碗と菓子にそのまま向き合って、思うままに楽しんでいただいた先に、自然と場に緊迫感が生まれて、軽やかながらも、凛とした佇まいでのお姿がありました。
その様子を見た時、「へラルボニーがあるからこそ、これまでそこに行けなかった人がそこに行けるようになったりする。そういった存在でいたいんです」と、ある場でへラルボニーの社員さんから伺った言葉を思い出しました。
もしかすると、お茶を介して、ただその空間を楽しむことで、意図せずそういった光景が生まれたのかもしれません。
茶席からきこえた、鮮やかな声
9月5日、澄んだ秋空にまだ暑さの残る中、京都の對龍山荘にて、ICCサミットの最終日にお席をもたせていただきました。
パリっと引き締まった空気のある茶室にお客様をご案内し、はじめにお出しした菓子皿を見て、早速、お客様から「あれ」とお声が聞こえました。
お菓子は、錦玉羹(きんぎょくかん)の中に色とりどりの練り切りを入れたものを、この日のために制作。「ゆう」と名付け、自由に楽しむ『遊』や、あなたを指す『YOU』といった様々な捉え方が出来る、余白のある言葉としました。
そして、掛け軸には、「恕(じょ)」という文字を選びました。思いやりの心、という意があります。
「恕」は、それぞれの心によって解釈が出来るような字。『口』を『又』に入れ替えるだけで、「怒」というまったく反対の字に変わってしまうことからも、様々な考えが巡るのではないでしょうか。
さらに席中での時間が進み、お客様が、お茶碗を両手におさめてお茶を飲む時がきました。作品から訴えかけらるエネルギーの強さに圧倒される方や、「これはなんであろうか」とじっくり作品を見つめて想いを巡らせる方も。茶碗で「お茶を飲む」ということは、 茶碗を見た時に飛び込んでくる印象から、触れてその温度を感じた時、唇を当てた瞬間、鼻が近づいて抹茶の香りがした時、まるで水を掬って飲むような安心感のある手の運び、飲み終わりの茶碗の中に描かれた景色……それは、五感から入ってくる情報から、ぐんっと世界に引き寄せられて広がっていく体験です。
そして、茶室を出た後に、次の間ではヘラルボニーさんと共に、席中で使われた茶碗や菓子皿をみながら、思い思いに、ものから見える景色を想像する時間を設けました。
そこで初めてこの茶道具たちが、異彩作家たちによって作られたことを知る参加者の皆さん。そこには、色鮮やかに膨らんでいく、みなさまの感性が交わされた様子がありました。
お道具に触れて、それがつくられている光景に思いを馳せて、その先にいる人や気持ちが心の琴線に触れて自分と繋がることがあれば、そんな気持ちとともに戴いたお茶を、ただ美味しいと思っていただけたなら、それ以上に嬉しいことはありません。
おわりに
よい、お茶席だった──。
この取り組みに立ち会った方、これをお読みいただいた方、それぞれの「よい」は異なると思いますが、目の前にいる方と共に過ごして心を交わり合わせること、ただそれが幸せだなと心の底から思える、そんな素敵な取り組みでした。
文化とは、その時代に応じて変化をしながら積み上がっていくものです。ひとつずつ、想いを込めて紡いだ先に、よい世界が、優しく広がることを願って。
文:TeaRoom 高木ひかる
写真(キービジュアルなど):田野英知
写真(商品):橋本美花
プレスリリース:
HERALBONY オンラインストア:
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?