私たちは、日本の思想を世界に届けていきたい。
「日本はなぜ存在するのだろう」
私たちは、そんなことを常に考えながら活動をしてまいりました。
この国はなぜ「一期一会」を大切にするのか、なぜ「七十二候」として七十二に季節をわけて名前をつけるのか、なぜ身の回りのものに名前を与えて愛でるのか。
全ての事象の背景にある思想を問い続けた先にひとつの仮説を持ち、私たちとしての世界の見方を共有させていただきたいと考え、文章で記すことにいたしました。
世界はいま過去に類をみない、分断の色に包まれています。民族間、宗教間、国家間と、日々多くの危険と隣り合わせにある予断を許さない状況です。
茶道裏千家15代家元・千玄室さんが、2023年にウクライナに訪問時にご発言された「『平和』という言葉を使わない世の中にしていかなくてはいけない」というお言葉をはじめとしたそのお考えに心より尊敬し、私たちもそうでありたいと思ってきました。
自分たちの文化は世界に何を貢献しているのか。なぜ私たちは茶の湯を行っているのか。現在いる地点を確認し、未来に向けたアクションをしていきたいーーー
葛藤や苦悩、そして覚悟と実践の連続の先に、今回私たちはアーティストとして世界に問いを発することを決めました。
日本文化を天災によって捉える
私たちは、日本文化を「天災」の文脈によって捉えています。
日本は、太古の昔から多くの天災に見舞われてきました。およそ30年間のうちにも、阪神・淡路大震災、東日本大震災、2024年の始まりには能登半島地震が発生し、多くの方々が被災され、お亡くなりになりました。
日本は世界の国土の0.25%にも関わらず、マグニチュード6以上の地震の20.8%が起こっているほどに、災害を受けやすい国です(参照)。
そんな厳しい環境の中で生きる私たちは、次の瞬間に死を迎える可能性が世界で非常に高い民族ともいえると思います。
それでもこの土地を愛し、自然と共生しながら暮らし続ける私たちは、もしかすると、世界で最も「いま」と向き合うことの大切さを知っているのではないか。
日常がどれだけ尊いものか、季節の変化を楽しめることがどれだけ喜ばしいか、どんな天候でもどんな天変地異が起きようと、ここに存在できている事実に感謝を捧げて祈り、ものに銘をつけて愉しもうと努力をしてきました。
その思想の蓄積が「日本文化」といわれ、現代までつながれている。
私たちはそう解釈しています。
喫茶は儀式へ
天災のもとで育まれた思想、それは日常的な行為の中にも浸透しています。
季節を72に分けてその5日間ごとの機微を感じとり、愛でて愉しむ習慣があります。
その機会は二度と繰り返されることのない出会いとして大切にする「一期一会」は、その代表的な考え方であり、この場に集える価値を重要として考える民族であることの象徴であると思っています。
そして、お茶を飲むことを示す「喫茶」とは、日常に根付く当たり前の行為のうちの一つです。
“ 明日を生きることができないかもしれない “
その前提に立つと、お茶を飲むという行為すらも大切にしなければならない。だから、先人はお茶と意識的に向き合い、その大切さを儀式として昇華し、後世へと思想を伝えたいと思ったのではないか。
そうやって身体性を帯びた「型」を作ることで、型は点前として時代を超えて後世に伝えることができます。
2024年を生きる私たちが、茶の道を歩むものとしてこの思想に辿り着いていることからすれば、型を創造した先人たちの想いを引き継げているといえるのではないでしょうか。
では、日本の歴史上分断が激しく生まれていた戦国の世で、なぜ茶を儀式化したのか。
それは、天災や人災によって、日常が失われることが目の前に迫った時、人はその大切さを強く理解し、説き続けなければならないからだ、と考えています。
儀式と型、そして空間をしつらえ、理想の姿を定義する。争いの中で対立する敵すらも茶室に招き、ともに分断のない世界を願う。
茶室の中で、尊いこの瞬間を愉しむことに全力だったはずです。
では、なぜアートなのか
なぜ私たちがこの思想をアートとして昇華し世界へ届けたかったかといえば、戦国の世のように分断が深まっている今だからこそ、日常の尊さを説く必要があると考えたからです。
日本の地理的条件のみならず、世界では海水温の上昇や海面の上昇、未曾有のハリケーンの発生、そして、戦争や紛争、民族間の衝突などと、人災や天災が急速に増え続けています。
明日を生きることが難しい国である日本が、「いま」の美しさや尊さを、価値として世界に問わなければならないのだと確信しています。
先人たちが、「お茶」をそれらを伝える媒介として世界に問いを投げかけていたように、私たちもそれにリスペクトを込めて、一盌を共有することで、思想を伝えていきたいと考えました。
インスタレーション作品「Ichinen」の発表
今回発表した、分断を調和に変えるインスタレーション作品「Ichinen」は、インスタレーションアート(空間的要素)と、パフォーミングアート(様式的要素)の2つの要素を内包した作品です。
分断を調和に変えるため、そう心をともにする方々を増やして、日本から始まる新たな平和のムーブメントとして伝えていきたいと思いました。
茶室に続く道として露路があるように、結界を設けて世俗と茶室を切り離すことで、まるで理想郷として定義した茶室という環境の中、亭主と客が調和した世界をあらわしました。
一盌を共有することで、身体を通して、お客様が思想に触れることができます。
パフォーマンスを通して、その祈りを可視化して伝えることで、お客様も参加者の一人として、ともに調和を祈る儀式を成立させました。
ご参加いただいた方の中には、何も言わずとも、
点前で使用した台子(茶道具を置くための棚)に礼をする方や、
終了後に、茶席を共にしたお客様同士で感謝をし合う姿
もみられ、日本では当たり前のマナーとされているこれらの様式を、前提や文化を同じくせずとも行う方々が現れました。
実際に理由を伺うと、
「理念を身体を通して理解して、世界の分断をなくすために私に何ができるか考えた。その時にまず思ったのは、この場や皆様への感謝と、その背景にある覚悟や葛藤も含めてリスペクトをしたいと思い、自ら身体が動き、道具にも礼をしたくなった」
「この一瞬の時をともにできていることがどれだけ嬉しいことか、全く見ず知らずの方々だけれども、同じタイミングで世界中からこの場所に存在できる。そう嬉しさを感じ、自然と互いに頭を下げ合っていた」
そうおっしゃっていたことが印象的で、今でも深く心に刻まれています。
世界への挑戦の葛藤を共有したい
私たちも、この作品が完成をしているものであるとは考えていません。
一方で、世界に対して私たちに貢献できることを伝え続ける必要があると思っています。
茶の湯の文化は、決して日本だけのものではありません。
文化は、世界は互いに影響しあい、学び合い、励みあい、祈り合うことで醸成されてきました。だからこそ、ここに存在する日本の価値を世界に伝えていきたいのです。
今回、世界で初めて、茶の湯に対して価格をつけました。
それはこの文化や思想に、いつかは誰かがお金というツールを投じて、ムーブメントとして加速していかねばならないからです。
「茶の湯の場」やこの思想の価値が高まれば、同時に産業を発展させることにもつながります。日本の思想を、この時代に生きるものの責任としてつないでいくためにも、これらに価値をつけてくださった方がいたことは私たちにとっても最大の喜びであり、身が引き締まる想いであると強く感じています。
” 文化は文化のためではなく、社会や世界のためにある "
先人たちが築いてきた日本の価値や視点を、これからも世界に届けていこうと心から思っています。
私たちの挑戦は、多くの方々の想いや葛藤、苦労、経験の先に存在をしています。感謝を忘れず、現状に甘んじず、この思想を世界に届ける覚悟を持って取り組みを進めてまいります。
2024年12月31日
Art Collective "TeaRoom"