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小骨〜つづき〜
昨夜、あの時の感情に任せて打った文章。
まだ見返せてません。。
なんてこった。
職場の後輩と色々あって、帰りの電車、涙を堪えながら帰りました。
帰り道もすれ違う人にバレないように、必死に堪えて、帰り着いたらもうダメだった。
堰を切ったように涙も嗚咽も止まらなくて、こうなってもまだ過去の自分のせいにして、今の自分で向き合おうとしない自分が最高に嫌いだ!
こんなに人とぶつかったのは初めてで、ぶつかったというか、受け入れ合えなかったの方が正しい気が。
私も彼女を受け入れられなかったし、きっと彼女も私を受け入れられなかった。
出会って3年ちょっと。少しずつ亀裂の入っていた私たちの関係が、小さなすれ違いの積み重ねで崩れ落ちたような感覚だった。
亀裂は見て見ぬフリをしていた。私が見ていた、必死に接着剤を塗っていた亀裂の裏側に、全く違う亀裂があったのかも。いや、私が必死に接着剤を塗っていたところには実は亀裂がなくて、別のところにあったのかも。
とにかく、崩れ落ちたし、私はシャッターガラガラ閉店しました。
めちゃくちゃわがままだし上司の立場で何やってんだって思うけれど、先にシャッター下ろしたのは向こうだし、向こうが拒否したんだから、私から声かける必要なくない?なんとか向き合おうとした私に「今は話したくない」と言ったのだから、そっちからが妥当だよね?
ここまでを読み返してみて、全くその通りだ!とも思うし、なんてクソガキなんだもっと大人になってやれよ。とも思います。自分に対して。
私は多分、チームのリーダーになったりまとめたり、人の上に立つことが下手くそです。
ほんで自分になかなかの激甘。
さらに1回なんやねん。って思った相手には一生思っています。なんやねん。
第一印象を長引かせるタイプ。悪い方にだけ。
ちなみに第一印象良くてもなんやねんって思ったら一生思ってる。
面倒臭すぎやろ。人間関係下手くそすぎやろ。
「嫌いになる程、多分お互いまだちゃんと知らない。」
「私はあなたの行動に肯定できない部分があるだけ。」
大好きな漫画の主人公が放った言葉なんですけど、これ、死ぬほどできないんです。
それが自分の嫌だなあと思う部分で、直したいなあと思う部分で、
でもどうしてできないかって、多分言われた言葉にいちいち敏感に反応して、勝手に傷ついて、勝手に傷跡にして、それを後生大事にしているからです。そこまで分かっている。
なんで社会人4年目の今それが顕著に出始めたんでしょうね?
学生の頃は、「聴く」ことを大事にするチームに入っていました。
相手が話すことを一旦聴く。否定も肯定もせず、そうなんだね。と。
「自分」も「あなた」も守られていたし、精神的安全性が完璧に保障されていました。
それが当たり前だったところから社会に出て、社会でもそれがそれが保障されているもんだと思って社会人になったから、ギャップが、それはそれはとても苦しかったです。
平気で矢も針も飛んできます。それが小骨になって、ずっと喉に突き刺さっている。
だから、これ以上傷つかないように、周りから飛んでくる矢が小骨になって残らないように、嫌なことをされたら一瞬でシャットダウン!!が癖になっているんだと思います。
傷つくことは一旦置いておいて、あの頃みたいに否定をしないで聴くことができたらどれほど自分のことを好きになれるだろうと思います。
できないのは私の弱さです。
書いていて思いました。
彼女もきっと同じかもしれないなと。
それならばどうしたらいいか、少し考えたらわかりそうな気もしますが、
また今度、ゆっくり考えたいと思います。
最後に、
今思うことをひとつ。
学生の頃、さっき話に出てきたチームで「就活と働くを考える情報冊子」を作っていました。
学生が、学生のために、「学生が自分の軸を持つこと」を願いに、働くことを考える材料になるものを。
働くことを考えるのに、編集メンバーはほぼ働いた経験のない学生だったけれど、
あの頃も、今も、学生がやることに意味があるものだったなと心から思います。
それを作っていた頃、合わせてチームの在り方もたくさんメンバーと考えていました。
地元に存在することと、学生に関わることに意義を持たせたかったチームだったので、どう意義を持たせたいのか、なぜその意義を持たせたいのか、そもそもなぜ地元に存在していたいのか、その結果、どんなビジョンを望むのか。
そんなことを、合宿を重ねて話し合い、深ぼっていました。
働くことにももちろんフォーカスしていた頃だったので、ホワイト企業ってなんだろうねっていう話もその合宿の中でしていました。
ホワイト企業の定義、人それぞれですよね。
実際、情報冊子を作っているときもたくさんの要素が上がりました。
人の役に立てること、お給料が高いこと、福利厚生に優れていること、個人が尊重されていること、コミュニケーションが取りやすいことなどなど、、、
本当に人によるんです。
その話をしていた時に、「精神的安全性が保障されていること」がここに集う私たちの共通の定義かもしれないね。と話したことを思い出しました。
今でもあのチームに戻りたいと思うのは、やっていることに共感したからが全てはなく、あのチームの関係性が私にとって一番安全だから。
今、たくさんの理由が重なって、それが保障されていないことが本当に苦しい。
してもらうだけのものではないと分かっているけれど、
私が大事にしたいこと、会社が大事にしたいこと、ぱっと見は同じように見えて違ったことに気づきました。
自分の軸がひとつ、見つかった気がします。
大事にしたいうちは大事にできるように、見失わないように。
2024.12.24
推敲を重ねていたら、年を越していました。
明けましておめでとうございます。
今年も何卒、よろしくお願いします。
今年はもう少し、自分の頭の中を言語化していきたいです。
2025.01.06