親の傲慢さが危うく子どもの視野を狭めようとして猛省した話
以下、わが家のある日の晩ご飯での会話。
三男:学校の1分スピーチの宿題があるんだけど、俺、元東京オリパラ大会組織委員会の森会長の辞任の話をする。
注:三男は普段あんまり時事問題に関心がありません。なのでちょっとびっくり。
私:へーっ!すごいじゃん。どんな話するの?
三男:森さんはさ、オリンピックのためにコロナとか色々あったのに頑張ってきたのに、たった一回、間違ったことを言ったからって辞めさせられるのはひどいって話。
それを聞いた私&大学生長男(以下長男):えっ?そもそも森さんがなんで辞めないといけなかったか知ってる?
三男:知ってるよ。「女の人がいる会議は長いって。だから女の人は会議に入るな。」って言ったんでしょ。それが悪いのは分かるけど、そのたった一個の失敗で、今までずっと頑張ってきたことが全部なしになるのはちょっと酷いと思うんだよ。
長男:でもさ、オリパラの会長だよ。差別とかそういうこと絶対に辞めようねという大会の会長がそういうことじゃダメだよね。そもそも「たった一回の発言」っていうけど、常日頃から思ってるからそういうこと何にも考えないで言っちゃうし、しかもオリパラの会長がそんなことじゃダメだよね。
三男:わかるよ。でも、それまでも色々頑張ってきたんでしょ。なのに、それ一回だけでダメなの?全否定?
私:ねえねえ、なんで森さんが「女性が」って言ったのがダメなのか知ってる?あっ、その前に、ジェンダーって知ってる?性別とか、性自認とか、性志向とか色々あってね。。。ほらLGBTQとか聞いたことあるでしょ?
三男:・・・・うん。聞いたことあるけど。。。もういい。
はい!やってしまいました。
わが子の視点、わが子の考え、わが子の意見ガン無視の上から目線、知識ひけらかしの親子の会話。気づいた時には時すでに遅し。それなのに、その後に及んで「ちゃんとジェンダーとかアンコンシャスバイアスとか理解させないと。」とか思う自分。本当に情けない限りです。
その後、落ち着いて1人でグルグル考えてみました。
私&長男と三男。同じ「森さん問題」から得るメッセージが違いました。
多少の知識がある私&長男は「森さん問題=ジェンダー問題」というメディアが伝える視点と自分の回路が一致。この枠組みでこの件に関して考えたりディスカッションすることがデフォルトになります。
でも、ジェンダーやその他の社会課題についての知識が乏しい三男、もとい、まっさらな視点を持っている三男は、大量の情報や知識によって視野が狭くなっている私&長男とは違い、「森さん問題=一度の失言ですべてが帳消しになる日本社会ってどうよ問題」だったのです。
それは、私たちにはない視点であり、三男なりの自分との対話であったにも関わらず、私と長男はそれを全否定しようとしてしまった。
そうなんです。バイアスに囚われていたのは、私自身。
それに気づいた時にもう穴があったら入りたい。
なければ掘ってでも入りたい。
三男に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
長男にそれを話したら、「あっ・・・・・。本当だ。」と小さい雷にでも打たれた表情。小二までほぼアメリカ、高校でも留学、マレーシアの大学に進学し、東南アジアの国々はだいたい行った長男。多様性受容のキャパあるぜ!と自負する自分が目の前にいる弟の意見を受容できなかったことに、ちょこっと凹んでいるようでした(多分)。
ということで、私と長男、親子で雁首揃えて、三男に陳謝。
陳謝です。本当に。
三男は私たちの陳謝を快く受け入れ、嬉しそうに自分の考えを30分ほど話してくれました。
ああ、子どもの視野を親の価値観のみで狭めてはいけない。
それは、ある意味とっても傲慢なことです(猛省)。
だって、子どもは親が生きたことのない未来を生きていくんです。
親として本当に子どもに伝えたいメッセージは何か。
その粒度を上げる必要があります。
子どもに教えられることは本当に大きいですね。
子育ては本当に大きな気づきを与え、成長させてくれます。