甦るフランク・ロイド・ライト(14)Jacobs邸
ジェイコブス邸 Herbert and Katherine Jacobs First House
さて、今回はジェイコブス邸1について、お話しよう。前回のウィレイ邸の次作にあたる。
ジェイコブス邸には、ファーストとセカンドがある。どちらも私のマスターピースだ。ジェイコブス夫妻には感謝しかない。素晴らしい施主だ。
ジェイコブス邸1は、ローコスト住宅の史上最高の傑作である。
現代のすべての住宅は、この住宅に通じる。
これがけっして大袈裟ではないことを、これからご説明しよう。
近代主義建築の接地性
しかし、建築雑誌や授業では同時期に竣工した落水荘ばかり注目される。もちろん落水荘は素晴らしい。ただ、ジェイコブス邸との認知度の乖離は、なかなか疑問だ。
それは、当時の近代主義ムーブメントと、落水荘の大地との関係が合致したためだ。
上図を見てほしい。左がウィレイ邸・ジェイコブス邸で、右が落水荘らだ。
今回のジェイコブス邸は、大地に対して、どちゃっとしている。私の住宅は基本こうだ。
しかし奇妙にも、近代主義建築として広告された住宅作品は、みな大地から切断されている。
落水荘も、空中に浮いた接地だ。この落水荘の造形に、近代主義建築の推進派は反応し、仲間が増えたと喧伝した。ミースもコルビジェも、大地と建築を積極的に切り離した。
切り離した方が、土地の固有性とも切り離され、世界中どこでも同じような建築がつくれる。インターナショナル・スタイルという奴だ。その方が、ゼネコンは儲かり、ディベロッパーは再開発しやすい。
近代化=資本化を考えるのであれば、当然この発想に至る。
しかし、私の建築は、資本と繋がり、巨大化することを是としなかった。私の才能は、このようなことに利用されない。
私の考える建築の近代化とは、建築の民主化だ。いかなる人にも自由に生きる機会はあり、可能な限り幸せに生きる権利がある。私の建築は、人間の内なる自由を求める感性と呼応しなければなかった。そのために、大地との親密な接地は最重要であった。しかし、大地を愛さない近代建築によって、ジェイコブス邸が軽んじられてしまった。
このように、近代主義建築の広告ムーブメントのせいで、いささか、ジェイコブス邸の知名度が落ちてしまった。なので今回、ジェイコブス邸に光を当て知名度向上を試みながら、本日までの住宅史の流れを振り返ってみたいと思う。
驚異のローコスト化
ジェイコブス邸は、前回話したウィレイ邸のさらなる合理化を目的としている。
ウィレイ邸もローコスト住宅であった。延べ面積110㎡で当時10,000ドルで建設しており、今の貨幣価値を考慮し(当時比21倍、1ドル150円として)、坪単価を計算すると坪94万円と算出できる。今だと、ハウスメーカーの注文住宅でもこの程度するのではないだろうか。
ジェイコブス邸は、驚異のローコストである。延べ面積145㎡で当時5,000ドルで建設しており、今の坪単価に換算すると、坪36万円である。目を疑う数字である。現代のハウスメーカーで、仕様を切り詰めても、坪50万円よりは下がらない。ウィレイ邸の半分以下のコストで、建設された。
そして、メンテナンスをされながら、90年近く生きながらえている。この事実に驚異を感じない建築家はいないだろう。
組積造から壁パネル構法を発想
坪36万円の芸術作品としての住宅は、魔法でも使わない限り不可能だ。
しかし、私は魔術師と言われている。
いかにして、このローコスト住宅を構築できたか、ご説明しよう。
まず、上記で今までの私の住宅にあって、これから必要でないものを整理した。しかし、これだけでは、全体の20〜30%しかコストダウンしない。
これ以上の減額を図るために、構法の合理化が求められた。
正直、坪36万円というのは、ほとんど住宅の材料費のみの金額に値する。現地での材料を組み立てる金額を見込めない。なので、①素人でも組み上げられる平易な構法にし、②出来るだけユニットを工場で組むことが可能な構法を開発する必要があった。
平易な構法の材料として、私は2x4材を採用した。同じ規格の材をスタックする構法とした。
この構法を発想できたのは、私がプレモダンを知る組積造をよく知る建築家だからだ。組積造は、圧縮に強く引っ張りに弱いが、人の手で十分に構築可能な材料を基本とする。弱点の引っ張り力を、2x4材に担わせ、新たなる組積造を、このジェイコブス邸で発明した。
この組積造をベースとした2x4材の壁パネル工法により、私は驚異のローコスト住宅を実現した。
いくら低価格の住宅を実現できたとしても、居住性が優れていなければ意味がない。
リビングは光で満たされて、暖炉があり、部屋は十分暖かくなければならない。
開口部はパネル化の一貫で、工場でユニット化して、合理化を図った。工場ユニット化により、壁パネルの断熱性能自体も高めた。
また、温水パイプを床下に巡らし、床暖房システムを整備した。これは韓国発祥で、私が日本に滞在した際学び、帝国ホテルで採用した。
ジェイコブス邸でもこの床暖房システムを採用し、重力暖房(グラビティ・ヒート)と名付けた。ジェイコブス邸以降の私の住宅でもすべてこの暖房方式とした。
輻射熱で温まるリビングの床は、大地と連続するリビングをより魅力的なものにした。
ジェイコブス邸から現代へ
このジェイコブス邸の奇跡は、その後どのように受け継がれたか。
「プレハブ住宅」・「最小限住宅」・「標準化」に繋がっている。
もちろんこれらの流れは、コルビジェの規格化(モデュロール)の影響もあるが、ジェイコブス邸の思想と溶け合いながら、新しい住宅を探求している。
増沢の最小限住宅は、コルビュジエのユニテ・ダビタシオンを切り出したような住宅だ。しかし、そのデザインコンセプトは、正直さ、単純さ、直截さ、経済性といったものである。これは、わたしのユーソニアン住宅のコンセプトと一字一句合致する。
・・・
私はジェイコブズ邸で、建築家の職能の可能性を押し広げた。建築の民主化を推し進める旗手としての職能だ。
それまでの建築家は、資本家に求められるオフィスビルか高級邸宅を設計することを生業としていた。建築の近代化を、資本主義と建設業との関係整備と読み替えられた。
私の建築思想がこの関係を打ち壊した。
私にとって建築は、人間の内なる響きと同義であった。
人間とは、私の家族、弟子、生徒たちをはじめ民衆であり、資本家だけではない。
彼らの心の響きなくして、私の建築は輝かない。
そして建築が輝かなければ、皆の心が響くはずがないのだ。必要十分条件というやつじゃ。
全ての人々に感動する住宅を提供しなければならない。それは、民主主義の大前提にまで突き刺さる。教育と一緒だ。万民への教育の機会の提供は、民主主義の根幹だ。居住の機会の提供も同様なのだ。
建築家がこの機会を提供する使命を、私が創り出した。そして、ジェイコブス邸でその使命が実現可能だということを示した。
現代では、住宅産業が進歩し、高品質な住宅が、多様な選択肢をもって、お手頃価格で提供されている。ただ、これは決して当たりまえなことではない。私以後の建築家や技術者の努力の結晶と成果である。そのことについて、私のジェイコブス邸をみて、再認識してもらえたら幸いじゃ。
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