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日本語の分からない介護者

これは昔むかしのお話

介護系の資格を取りに行った時

そこには
ひとりの外国人がいました

日本語もままならない彼は
授業内容がサッパリ分かりません

先生に質問をされても
先生が何を質問しているのか
日本語が分からないのですから
答えることができません


けれど


彼は合格しました




なぜなのか…




それは


「落とすための試験ではない」
という理由から…
試験に出る場所が
はじめから分かっている試験だったからです


こういう資格試験って結構ありますよね


現場が困り
現場の質が落ちて行くということは
一切考えないのでしょうか

現場の質が落ちて行くということは
そこを利用する方々や
現場で働く人々のストレスが増え
大きな社会問題と繋がっていきます

そしてその社会問題は
国全体の質を落としていくことにもなります

とにかくその場だけ
なんとか人手不足を解消して
数字だけを捉えてOKとするのは
あまりにも浅はかです

もちろんこれは
「外国人が絶対にダメ」
と言っているワケではありません



けれど
この浅はかさ…



もしかしたら
仕方のないことかもしれません



その外国人に介護された
ひとりの高齢者は言いました

「何でワシが〇〇人に
 介護されなきゃいけないんじゃ!
 そばによるな!!!」

過去に〇〇人を差別してきたおじいちゃん
とにかく〇〇人が嫌いで許せないようです





巡り合わせはきたのかもしれません




「今の若者は」とか
「〇〇人は」とか
色々な発言がありますが
やはりそれも
自分が創り出しているひとつの世界…



自分がそういうことをしてきたから
そういうことが起こる
そういう風にしか見ることができない

これをすんなり受け入れるのは
非常に難しいかもしれませんが

やはりどのようなことにおいても
巡り合わせは必ずやってくるのです

最後までお読みいただき
ありがとうございます


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