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50歳でダイエットをはじめようと思ったのは、寿命をまっとうしたいと思ったからです。

40歳までに100回目くらいのダイエットをし、多くの成功とそれ以上の失敗を繰り返した。

特に39歳でやったダイエットは大きな結果をだし、3ヶ月で20kgくらいの減量に成功したこともあった。
(その後、維持できたのは1年くらいで、徐々に体重は増え結局はリバウンドしたのだが。)

ダイエットをするときに大事なことがある。

それは、
ダイエットは一日にしてならず。
でも、一日の積み重ねで結果が出る。

ということだ。

一日でできる努力で大きな結果を生むことはないが、ちょっとした努力を毎日積み重ねると、気付くと大きな結果になっていることはよくあることだ。

毎日ガムシャラに努力しても結果は出にくい。
(私の場合ですが。)

決めたことを、ただ毎日コツコツとやり続ける
ダイエットを成功させるためには、地道な努力をひたすらやり続けられることが大事になってくるのだ。

そんな偉そうなこと言ってる私ですが、39歳でやったダイエットでリバウンドしてから頑張るのを諦めてしまってました。

「どうせ頑張ったって、また太る。」
「痩せる方法は知ってる。でも継続するなんて私には無理だ。」

痩せてリバウンドするダイエットを40歳までに何度も繰り返していた私は、自分の身をもってダイエットの恐ろしさを知っていた。

痩せて太ってを繰り返した体は痩せにくくなる。
それは、ダイエットで必ず筋肉量も落ちるから。

筋肉は一度つけたら減らないってことはない。
常に、筋肉を鍛え維持することが必要となる。

脂肪は一度つけたらなかなか減らない。
特に皮下脂肪はラスボスみたいに他の脂肪を減らした後にしか減らない。
小手先でダイエットしたって、一度つけた脂肪はなかなか減らないのだ。

これ以上リバウンドして身体が太りやすくなるくらいならダイエットしないほうがいいと考えた時期もあった。

だから40代はダイエットしても大して結果が出ないし、継続もできなかった。
痩せるより、リバウンドすることの方が怖かった。

次にやるダイエットは人生最後のダイエットだ。
と心に決めていた。

本気中の本気だからこそ簡単にダイエットを始めることができず50歳になった。

50歳のある日、いきなりダイエットの神が降臨した。
神は私に『本気』と『やる気』を『根気』の三種の神気をくれた。

突然やる気になった私は、あることを決めた。

一生できることでからだづくりをしていこう。
痩せることが目的じゃなくて、自分の寿命をまっとうできるカラダをつくろう。

自分の寿命が何歳かは分からない。ただ、もし私の寿命が100歳まであるとするならば、100歳まで人生を楽しみたいと思った。
100歳まで人生を楽しむとしたら今の生きかたでは楽しめない気がしたのだ。

生きかたを変えよう。
50歳でもう一度産まれなおしたと思って生きてみよう。

そう思ってカラダづくり(ダイエット)をはじめた。

リバウンドを繰り返し、少なからず私の身体を雑に扱ってしまった自負はある。
自分の身体を大切にできてない自分のまま寿命をまっとうすることは出来るのだろうか?
自分を大切に扱えないまま寿命まで人生を楽しめるとは思えなかったのだ。

病気にならない。
とか、
見た目をキレイに。
とか、
そりゃできたら嬉しいに決まってるけれど、生きている以上、病気になったり見た目が衰えることは自然なことで、それを受け入れながら生きることが人生を生きることだと思っている。

だからこそ、自分の心や身体を雑に扱って病気になったり衰えたりするのは嫌だと思った。
それでもし寿命まで生きることができなかったら、それこそが親不孝だと思ったのだ。

生きかたを丁寧にしたい。
自分の人生を大事に扱いたい。

だから私は50歳から産まれなおしたと思うことにして、まずはカラダづくりを始めることにしたのだ。

50歳からのダイエット(カラダ作り)は順調に進んでいる。
4ヶ月でマイナス15kgを達成。
今もからだづくり継続中だ。

結果が出ているから順調なのではない。
自分の心身を大切に扱い、自分自身に向き合えているからこそ順調だと思えているのだ。

私の寿命は何歳で訪れるか?それは誰にも私にも分からないことだと思っている。
明日、私の寿命が訪れたとしても後悔しない生きかたをしたい。
胸を張って私の人生を生きたと誇りをもって生きていきたい。

そのために、私は今もカラダづくりをしている。

ただ、勘違いしないでほしいことがある。
痩せることは正義ではない。
私の場合、自分を丁寧に扱うことが痩せるということも含まれていたからダイエットをやっているだけで、人の価値はそれぞれであるべきだと思っている。

痩せることは正義ではない。
痩せないことも正義ではない。

自分を大切に扱うことが正義なのだ。
(と、私の個人的見解をここに記させていただきました。)

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