「やらせる」のではなく「そそのかす」
「子育て論は全て正解」というお話しましたが、それでは具体的に「どんな子供に育てたいか」、いや「どんな人間に育って欲しいか」の方が正しいかな?
私が常に思っていることは
「主体的に考え、行動すること」。
この言葉だけだとちょっと強引さが出てしまうので副題をつけると…「『主体的に考え、行動すること』~他人の主体性も尊重、理解できるように」って感じ。
子供たちに「主体性」を持たせるというと「何でも自由にやらせる」という選択肢もあるかと思いますが私はこれはとても危険だと思います。
好き勝手にやらせるとわがままになり「他人への思いやり」が醸成されません。かといって他人のことばかり気にしていると「主体性」が育ちません。
子供たちには前回お話しした、まずコミュニティーで自分の存在価値を発揮するための大原則「社会のルールを教える」を行いながら、併せて子供たちには自分の存在価値を高めてもらわなればいけないわけです。
そこである程度そのルールを教えることを交えながら私たち親の意向が反映した「こうなって欲しいなぁ」って方向性を、親が強引に押しつけるのではなく、子供たちが自ら「そうなりたいなぁ」と思うように仕向けることが大切なんじゃないかと思うのです。そこで…
①「やらせる」のではなく「そそのかす」
「そそのかす」というとあまり良いイメージの言葉ではないと感じる人も多いと思いますが、私は大好きな言葉です。もうちょっとスマートなイメージで「誘う(いざなう)」という言葉もあります。
ただ私の中では「そそのかす」の方が行動させられる側の主体性を感じるのであえて「そそのかす」という言葉をチョイスしました。
「親の意向が反映した『こうなって欲しいなぁ』をそそのかすなら、それは子供の個性ではないじゃないか?」とおっしゃる親御さんもいらっしゃいます。
近頃はやたらと「個性」「自分らしさ」という言葉を並べ立てる人が多いです。
私は20代30代、ましてや親の管理下にある未成年が自分の「個性」なんてものが見つけられるわけがないと思っています。
「自分らしさ」とは「自分が生きてきた意味」と同義語というくらい奥の深い、簡単に結論が出ないテーマだと思っています。
次回は「やらせる」のではなく「そそのかす」からどのように個性を産み出すタネを撒いていくか…そんなお話しを。