善く調えし己れ
能の大家・世阿弥がその著書『花鏡』に記した「離見の見」…自分を客観的に俯瞰して見ること。
「自分を客観的に見る」というと外側から、他人の目になって自分を見てみるイメージがありますが、私は「自分がイメージする自分の理想の姿と現在の自分の姿」を比較してみることにほかならないのでは…と近頃思うようになりました。
自分を客観視する一つの例として、よく「自己分析テスト」などといっていくつかの設問に答えて自分の性格について分析をするものがあります。
冒頭に「考え込まず直感でお答えください」と書いてあっても私のようにもう40年以上も生きていれば直感で自分にとって都合のいい答え、他人受けする答えを選ぶことができてしまうんです。
また一方では…先日も会社でリーダーとしての素質についての自己分析テストがあったのです。自分を飾っても意味がないと思って、じっくりと答えを選んでみたのですが、私の性格上、「自分のここがいけない」とどんどん後ろ向きの答え、自分自身の改善点ばかりの回答になるんです。
また中にはこういう人も…今の自分を肯定してくれるような考え方、自分に都合のよいかんがえかたばかり拾い集め、「あ~、やっぱり自分は間違っていない」「これが『自分らしさ』なんだ」と納得するというか、自分を「よしよし」しちゃうことってありますよね。特に色々が上手くいかないときは。
多分これって自分の中の「理想形」のイメージがしっかりできていないからそうなっちゃうのかなぁって最近感じているんです。
人の言葉を使って今の自分に後付けの意味を持たせようとするより、今の自分をきちんと認識した上で、自分の中の理想形に向かってこれからの自分に価値を付け足していく方がきっと楽しいんじゃないかなって思うんです。
その時って他人の言葉も自分の言葉もいらずに、自分の心が向いている方向(それが自分の「理想形」の方向)に素直に歩いていけばいいんじゃないかなって。理屈じゃなくて感覚。
ただし、自分の今の考え方だけじゃ価値観は変わらない…どうしたらいいのか?
「あの人素敵だなぁ」「あの人みたいになりたいなぁ」って思う人がいるんじゃないかなって思うんです。その人の「どんなところに魅力を感じているのか?」を書き出してみる。そして、そうなるにはどうしたらいいか?その人はいつもどんなことをしているのか?…とにかくまずは物真似。
近頃は「個性」を気にしすぎるあまりにいきなりなんでもオリジナルを目指しちゃうけど、それができるのは一握りの天才だけ。小さい頃好きな芸能人のファッションを真似たり、好きなミュージシャンと同じ形のギターを買ってコピーをしたり、好きなスポーツ選手と同じモデルのスパイクを履いてみたりしたのと一緒。
まずは自分の憧れの人を「理想形」にしてみる。
最近もう一つ、自分の「価値観」に気付くことに気がついたんです。
周りの人に何かを言われ一瞬「ムカッ😡」っとすること、1日に1回だけじゃないと思うんです。
その時に「何で自分は今『ムカッ😡』としたんだろう?」って考えてみる。もし可能ならメモっておく。
そして落ち着いてから「それではこの『ムカッ😡』が感じなくなるには自分はどうしたらよいか?」を考えてみるんです。ただ、この時の「自分はどうしたらよいか?」は他人に対する働きかけの行動ではなく、自分の中の行動や考え方をどう変化させたらいいかというものです。
他人の行動や考え方を変えるにはとてつもない労力と時間が必要、下手をするとさらに新たな「ムカッ😡」を生んでしまいます。
相手は誰がどのような攻め方をしてくるのか分かりません。自分を常に調えた状態にしておいて身体的にも精神的にもダメージを最小限に対応できる状況にしておく。
武道の奥義「守主攻従」という言葉はまさにこのことを表しているのです。