プロ野球ファンにもっと知ってほしい!「独立リーグ」の世界②
(前回の記事はこちら)
10月26日、2020年のドラフト会議が行われました。ともに4球団で競合した近大の佐藤選手、早大の早川投手の抽選の行方、メジャーリーグからのドラフト入団なるかが注目された田澤投手の動向などが注目を集めたドラフトですが、12球団に指名された選手は支配下74名、育成49名の計123名に及びます。早速、各球団が交渉権を獲得した選手たちへの挨拶回りなどで走り回っているニュースが報じられています。
特に今年はコロナ禍で甲子園大会が春夏ともに中止となり、高校生の選手にとってはプロのスカウトに実力をアピールする機会が激減しました。心なしか、多くの球団が上位指名で高校生を避け、大学や社会人の選手に偏った傾向のあるドラフトだったように思います。
一方で、3軍制を敷く巨人が12名、ソフトバンクが8名という大人数をそれぞれ育成ドラフトで指名したように、少数精鋭なのか、可能性がある選手は一人でも多く受け入れるのか、各球団の戦略が色濃く反映された面も見受けられました。
従来の支配下登録選手は上限70名という縛りがあります。しかし、主に社会人野球の相次ぐ廃部に伴い、将来有望な選手が野球を続けられる環境整備が必要という問題意識が高まりました。その流れで各球団が70名の枠を超えて選手を保有することを可能にすべく新設されたのが、育成選手制度です。ドラフト会議も支配下選手の指名と育成選手の指名という二部構成に変わり、もうかなりの年月が経ちます。
最近は1軍の第一線で活躍する育成出身選手の絶対数が増えてきたこともあり、かなり浸透してきた感覚もある育成ドラフトですが、そもそもいつから始まったのか?
答えは2005年で、これは日本で最初の独立リーグ、四国アイランドリーグplusが産声を上げた年でもあります。前回の記事でも触れたように、独立リーグはプロ野球再編問題の過程で創設の動きが始まり、NPBとの協調路線を取ったわけですが、NPBを目指す選手たちの受け皿として、独立リーグはその機能を創設当初から果たしてきました。
2005年ドラフト会議では、愛媛マンダリンパイレーツの西山道隆投手がソフトバンク育成2位で指名され、独立リーグ初のドラフト会議指名選手となりました。
翌2006年には香川オリーブガイナーズの深沢和帆投手が巨人から、高知ファイティングドッグスの角中勝也外野手が千葉ロッテから、それぞれ支配下選手として指名され、独立リーグにもNPBの眼鏡にかなう高いレベルの選手が在籍していることを裏付ける結果となりました。角中選手はその後首位打者のタイトルを2度獲得し、独立リーグ出身の選手としては最も成功していると評価されているのも周知の通りです。
2020年のドラフト会議でも、支配下・育成双方で多くの選手が独立リーグから指名されました。独立リーグ出身でも華やかなNPBの世界で輝ける!というところを見せてほしいと、一プロ野球ファンとして大いに期待しています。次回連載では、晴れてNPBの世界に飛び込むであろう独立リーグの選手たちをご紹介する予定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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