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作ることの哲学をデザイナーと哲学者と実務家と語る:グッドマン『世界制作の方法』読書会


私たちはいつも何かを作っています——デザイン・プロダクト・サービス etc. 現象の論理的な再構築から研究をスタートして、最終的に「私たちは世界を作っている」という地点にまでたどり着いた哲学者ネルソン・グッドマン。その古典『世界制作の方法』を手がかりに、デザイナー・哲学者・実務家とともに「作ることの哲学」を語り合いました。


哲学者、経営者、教育者であり、芸術家とともに生きた男

難波 グッドマン研究を行っている難波です。本日は、デザイナー、哲学者、実務家の方々と一緒に『世界制作の方法』を読み、作ることとは何か?を考えていきたいです。

一同 よろしくお願いします。

山本さん 美大でもみなグッドマンに関心はあるのですが、読み通すことが難しい……となりがちなので、今回グッドマンの発想をアートにどれくらい役立てられるのか気になっています。

Mさん 自分も、まだ読んでおらず、Amazonの『世界制作の方法』のレビューを見て「これめっちゃ難しい本では……」と焦っているんですがお手柔らかにお願いいたします。

難波 任せてください! まずは彼の人となりをご紹介します。


ネルソン・グッドマンはアメリカの哲学者で、哲学・美学のみならず、科学、社会学、芸術教育学、芸術にも影響を与えた、20世紀でもっとも重要な哲学者の一人です。

Nelson Goodman(1906-1998)
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Nelson_Goodman.jpg

1906年に生まれ、1928年にハーバード大を卒業。しかし、ユダヤ系ということもあり、アカデミアには就職口がない。そこで、ボストンで「ウォーカー・グッドマン・ギャラリー」のディレクターを12年勤めました。「画廊経営を経験した哲学者」というのはかなり異例のキャリアで、この経験が彼の思想に深い影響を与えているように感じます。

そのギャラリーで個展を開催することになった同い年の水彩画家のキャサリン・スタージェスと出会い、その後結婚。大戦中はアメリカ陸軍で研究に従事し、大戦後はハーバード大教授を務めました。そして、アートとサイエンスの融合を図る教育プログラム《Project Zero》(1967-)を始動、現在でもハーバード大の重要な教育プロジェクトとして継続されています。1996年、スタージェスに先立たれ、2年後に逝去。彼の最後の仕事は、彼女の作品のカタログ整理と保存でした(cf. Carter 2000; Cohnitz&Rossberg 2006)。


Hさん グッドマンって「良男」ってことですよね(笑) 見るからにいいヤツそう。

難波 確かに彼の思想はかなり開放的で明るい感じがします。そのエッセンスをこれからご紹介してみましょう。

『世界制作の方法』とはどんな本か?

難波 原題『Ways of Worldmaking』はグッドマンが書いた全7冊のうちの5冊目の著作で、これまでのアイデアの集大成として「世界制作」というアイデアを提示しています。私の見立てでは、大きく三つの部分に分けることができます。

I:世界制作論の宣言
第1章「言葉、作品、世界」では有名な「世界制作論」の骨格が提示されます。
II:世界制作の方法が語られる
第2章から5章までは世界制作論を切り口に、様式、引用、芸術の定義論、知覚といった興味深いトピックが論じられます。(「様式の地位」「引用にかんするいくつかの問題」「いつ藝術なのか」「知覚にかんするある当惑」)
III:より理論的に深い問いが検討される
最後に第6章と第7章では、事実とは何か、世界の正しさとは何か、といった議論が展開されます。(「事実の作製」「レンダリングの正しさについて」)

瀬尾さん 一通り読んでみたのですが、やはり難しく感じました。

難波 全体を通して、これまでのグッドマン思想に親しんでいないと読みづらいところもあります。そこで、今回は一部と三部を中心に二部を見ていきながら、三つのテーマから本書のコアをご紹介しましょう。

Theme 01 世界は作れる

架空の対話①
「世界は作れる」。これが哲学者ネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』を象徴する重要なフレーズです(彼が言ったわけではありませんが)。

——よりによって、世界ですか? 世界なんて一番作れないものじゃないですか。いろんなモノや制度は作れるけど、世界自体はそこにありますよ。

そうですね。だからこそ、グッドマンの主張は逆説的な驚きをもって迎えられました。

🔫おかしな傭兵のクイズ

難波 ここでグッドマンが出している事例からクイズを一つ出してみましょう。

クイズ①
上官のあなたは「動いた捕虜は誰かまわず射殺せよ」と命令しました。すると、部下の衛兵がやにわに全員を撃ち殺してしまいました
「何をしてるんだ! やつらは何もしてないだろ!」と怒ったあなたに、彼は何と答えたでしょうか?

cf. 『世界制作の方法』215.

難波 みなさん、どう思いますか? 

瀬尾さん うーん……。捕虜は何もしていないのに撃たれた……ということは捕虜は動いていたということですよね。「地球の地軸に対して動いていた」ということでしょうか。

難波 お見事! 部下は「連中は地軸のまわりと太陽のまわりを急速に動いていたものですから」と答えたのです。

瀬尾さん へんなクイズですね。ふつうはこんな衛兵の考えはありえないのですが、筋は通っているといえなくもない?

⚽️あらゆる座標を離れた世界

難波 この調子でもう一問いってみましょう。

クイズ②
「地球は回転するが、太陽は動かない」
「地球は動かないが、太陽は地球の周りを回る」
このどちらが正しいでしょうか?

今井さん さっきの話では前者が正しかった訳ですよね。じゃあ、後者にしてみます。

難波 ありがとうございます。正解は「ことと次第による」です。

今井さん 選択肢に正解がないパターンだ。

難波 この二つのクイズは関わり合っています。最初に登場した衛兵はどう考えてもおかしい。私たちは、動いているかどうかの判断を、地球上で動いているかどうかに基づいて考えるのであって、地軸や太陽を基準に考えないはず。しかし、いまさら天動説を主張する人がいたら、ちょっとそれは違いますよね。太陽の周りを地球が動いているのだ、と私たちは考える

以上から分かるのは、私たちはときどきで「何が動いているのか」の判断を変えるということです。加えて、そのどれもが、それぞれのタイミングで正しいものになったり、衛兵の判断のように異様なものになったりする。

私たちは基準を切り替えて生きているわけですが、なんでそんなことをしているんでしょうか? 衛兵のような勘違いがおきないとも限らない。地軸、太陽、地球上といった基準を離れて「何が動いているのか」を言うことはできないんでしょうか? グッドマンはNOと言います。

私が世界について尋ねるなら、あなたは、ある座標系のもとでは世界はこうであるとか、また別の座標系のもとではこうなっているとか、私に説明してくれるだろう。しかしもし私が、あらゆる座標系から離れて世界はどのようかを語ってもらいたいと迫ったら、あなたは何と答えるだろうか。 記述されたものが何であれ、われわれはそれを記述する方法に縛られている。われわれの宇宙はいわばこれらの方法から成るのであって、一つにせよ複数にせよ、世界〔そのもの〕から成るのではない。

『世界制作の方法』第1章、20. 強調と〔〕内は筆者注記。

難波 グッドマンの世界制作論の出発点はここです。運動を記述するためには必ず基準が必要のようです。そこで「運動はつねに作られる」と言ってもいいんじゃないでしょうか。世界を記述するとき、その時点で世界を作っているわけです。運動を記述するためには、私たちは世界を一つ選んで作らなければならないわけですね。

瀬尾さん ここで気になったのですが、グッドマンは相対主義を唱えているんでしょうか?

難波 ある意味ではそうです。しかし「記述の仕方が何でもありだ」というような単純な相対主義ではないです。グッドマンは、より適切な世界の記述の仕方と、より不適切な世界の記述にははっきりと違いがある、と言っていますし、自分は単純な相対主義をとってはいない、と強調しています。グッドマンにおける世界の正しさについては次のテーマでお話してみましょう。

Theme 02 アートとサイエンスは世界を適切に誤解する

架空の対話②
——でも、世界を作ると言って何がうれしいんですか?


アートとサイエンスを同じ営みとして理解できます。

——ぜんぜん違いますよ。アートは世界に存在しないものを創造する営みで、サイエンスは世界そのものを発見する営みです。別物です。

そうでしょうか? 実はどちらも同じです。アートとサイエンスは、どちらも現実を適切に誤解する営みなのですから。

——?

難波 さらにクイズを出しましょう。

クイズ③
もっとも正確な地図とはどんな地図でしょうか?

Aさん え〜と。世界そのもの……ですか?

難波 大正解です。地図と世界について、ラテンアメリカの作家ボルヘスに魅力的な掌編があります。

……その帝国では地図作成法の技術が完璧の誠に達したので、ひとつの州の地図がひとつの市の大きさとなり、帝国全体の地図はひとつの州全体の大きさを占めた。時のたつうちに、こうした厖大な地図でも不満となってきて、地図作成法の学派がこぞってつくりあげた帝国の地図は、 帝国そのものと同じ大きさになり、細部ひとつひとつにいたるまで帝国と一致するにいたった。
地図作成にそれほど身を入れなくなったのちの世代は、この膨張した地図が無用だと考え、不敬にも、それを太陽と冬のきびしさにさらしてしまった。西部の砂漠地帯にはこの地図の残骸が断片的に残っており、そこに動物たちや乞食たちが住んでいる。これ以外、国中には地図作成法のいかなる痕跡も残されていない。
スアレス・ミランダ『周到な男たちの旅』第四書十四章(レリダ、1658)

ボルヘス「学問の厳密さ」『ボルヘス怪奇譚集』河出書房新社.

瀬尾さん この掌編を読むと言いたいことがちょっと分かりました。

難波 帝国とまったく同じ大きさの帝国の地図は見るからに役立たなさそうです。地図は、世界そのものとまるまるそっくりであることを目指していない。むしろ、地図は世界から不必要な情報を削ぎ落として、必要な情報を加えることで役立つものになるわけです。

🧬サイエンスは誤りによって理解を生み出す

難波 世界制作論の視点に立てば、科学は世界そのもの真理を提案するための学問ではありません世界で一番正しい地図は世界そのものです。これって真理そのものですが、その地図は世界で一番役に立たない地図です。

科学とは、世界そのものをそっくりそのまま再現するのではなく、地図を作るように、世界を理解するために、世界から何らかの情報を加えたり、引いたり、世界を編集したり営みだといえます。

科学において提案される理論やシミュレーションモデルは、必ず現実のどこかの部分を捨象し、別の部分を強調するために提案されます。

グッドマンの流れを汲む哲学者、キャサリン・Z・エルギンは、科学の営みとは「適切な誤り(felicitous falsehood)」を制作する試みだと言っています(Elgin 2017)。適切な誤りとしての科学理論は、科学的な関心(運動、組成、電磁気などのふるまい)をより深堀りするために、現実を様々な仕方で編集するための装置です。

実際、科学の進展は、古典力学から相対性理論、さらには超ひも理論など、無数の世界の記述のよりよい誤りの無数のヴァージョンを求める奮闘の歴史だと言えるでしょう。そして新しい適切な誤りが見つかるたびに新しい科学が生まれるわけです。


Mさん 私は大学では理論物理などを研究して、現在も科学研究に携わっているのですが、グッドマン的な科学の描き方はとてもすっきりするものでした。社内で説明するときに「科学でやっていることっていうのは、いい感じに嘘を付くことなんだ」とよく伝えていて、エルギンが言ったことと似ているな、と思いました。

難波 めちゃくちゃいい話ですね。ときに科学的な計測は、現実の完全な鏡だと思われがちです。科学的なエビデンスがあればすべてが説明できる、エビデンスこそが現実の姿だ、と思われがちです。しかし、すべてのモデルとそのモデルが提供するエビデンスは、特定の観点から世界を切り取ったものであることを前提として認識する必要があり、さらに、研究ジャンルによってもエビデンスの確度は私たちが思っているものと異なることがある、といった理解を共有することが重要ですよね。そのために、世界制作としての科学、という切り口は適しているように感じます。

🎨アートはサイエンティフィックな試みである

アートは現実を映し出す鏡ではありません。アートはサイエンスと同様現実の理解を作り出すものです。しかし、その作り出し方は異なります。

例えば「ドン・キホーテ」というキャラクタが生まれることで、向こう見ずな人間について「あいつはドン・キホーテだ」と分類できるし、『ロミオとジュリエット』を観ることで恋の熱狂の一つのパターンを知ることができます。悲しい音楽を聴くことで、より多くの悲しみの種類を学ぶことができる。こうして、アートは新しい世界理解を提案することで、実際に世界を制作していきます。二つ、小説からの事例ですがあげてみましょう。

■メタヴァース
「メタヴァース」という概念は、SF作家ニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』(1992)で誕生し、以後、それに影響を受けたエンジニアやイノベーターが現在のメタバース技術の基礎を発展させていったと言われる。

人権
リン・ハントは『人権を創造する』(2011)において、近代小説が人間の人権言説の基礎になったという主張を行った。近代小説に触れた人々が他者への共感を深めてくことで、すべての人に人権がある、というこれまでになかった考えられる思想が受け入れられていったとされる。

『世界制作の方法』の主要な関心は、小説、詩、音楽、舞踊といった世界制作に向けられている、とグッドマンは語ります。そして、本書が掲げるテーマは次のように明言されています。

芸術は、発見、創造、そして理解の前進という広い意味で解された知識拡張の様々な様態である点で、科学同様、あるいはそれ以上に真剣に解されねばならないこと

『世界制作の方法』第6章、185.

0️⃣プロジェクト・ゼロ

難波 グッドマンにとって、サイエンスとアートは切り離されたものではなく、同じ世界制作の方法として学ばれるべきものでした。

サイエンスにおいても、アートにおいても、新しい世界を描くためには、私たちはクリエイティブな力を発揮しなければなりません。アートとサイエンスはどちらも「世界の新しい記述を探求する」という営みであり、どちらも「世界のヴァージョン」を作る営みなのです。

この考えに基づき、1967年にハーバード大学で「プロジェクト・ゼロ」という教育研究プロジェクトを発足させ、あらゆる大学では、科学的な教育だけでなく、芸術的な教育と研究を行うべきだという考えを持っていたといえるでしょう。

グッドマンはこんな寓話を書いています。

火星の大学に視察にいった科学者の教授は、火星大学ではアートしか教えられておらず、サイエンスはせいぜい課外授業でしか教えられていないと紹介されました。火星教授曰く「サイエンスは楽しい営みだが、十分クリエイティブではないために予算を割く余裕がない」と(cf. Goodman 1984)。

現在、地球の多くの大学では、アカデミックな学問と芸術的な営みが切り離されて、芸術が学問とはまったく異なるものとして捉えられています。火星ではちょうどその逆のことが起こっており、火星大学に私たちが違和感を覚えるとしたら、火星人たちも私たちの大学に違和感を覚えるのでしょう。


Oさん グッドマンの先行者には科学について深く考えた哲学者のルドルフ・カルナップがいます。カルナップの時代の科学哲学は、数式であったり、抽象的なレベルで科学を捉えようとしていました。それに対して、グッドマンは科学を語る際には「図像」「モデル」といったかなり広い表象を取り扱っている点が、アートとの接続しやすさもありユニークなところなんだろうと思います。最近は『客観性』といった科学史においても、科学における美的な側面の重要性が議論されていますね。科学モデルの美しさであったり、色を付けたりして結果を見やすくしてみたりする営みが重要なものとして取り上げられています。

難波 カルナップの思考はグッドマンに確実に流れ込み、さらなる発展を遂げていると考えると、科学哲学の後継者としてのグッドマン像を描くことができますね。また、科学史の中でグッドマン的なヴァージョンたちが注目されているのは面白い話だと思います。

Theme 03 世界は記号でできている

架空の対話③
——だいぶグッドマンのことが分かってきましたよ。


あと紹介しておきたいのは、世界が何でできているか、でしょうか。

——確か、記述やモデルでできているんでしたっけ。

より正確に言えば「ヴァージョン」でできています。ヴァージョンとは、記号システムのことです。

難波 これまで、世界制作論の骨格を示してきました。最後に、そうした世界制作論の中味である「ヴァージョン」と「記号」の話をしていきます。その前に、もう一つだけのクイズをご紹介しましょう。

クイズ④
メアリー・トリシア夫人は椅子のカヴァーに使うために見本帳を調べて生地を選び、織物店に注文した。「生地を見本そっくり同じにして欲しい」と強く言っておいた。包みが届くと、彼女は仰天した。見本そっくりのギザギザの縁取りをした2インチ×3インチの何百もの小片が床にぱらぱら舞い落ちたからだ。彼女が店に電話をかけるとどんな返答が返ってきただろうか?

cf. 『世界制作の方法』124.

Yさん そうですね……。「生地を見本そっくり同じに」と言われて、ほんとうに見本の形そっくりに生地を作ったからでしょうか?

難波 ありがとうございます。まさしく。店主はこう言いました。

「でもトリシアさん、 生地は見本と正確に同じにしろとおっしゃったでしょう。きのう工場から生地が届くと、手伝いの者を夜中まで店に残して見本に合うよう裁断させたんですよ」

cf. 『世界制作の方法』124.

🔰記号、指示、例示

難波 夫人を襲った悲劇は、記号の機能を示しています。

記号には、「犬」という漢字や「dog」のように、たんにラベルとして〈犬〉を指すために機能するものがあります。〈犬〉を指示するためには、別に「犬」でも「dog」でも文字の形はなんでもいいものです。

しかし《チェック柄の見本》の場合はどうでしょうか。まさに〈チェック柄の見本〉の性質を持っているがゆえに「こういう生地にして」と同時に、ラベルとして〈チェック柄の見本〉を表示する機能を持った記号もあります。

芸術の多く、そして、科学モデルの多くは、様々な性質を持つと同時に、その性質のラベルを表示する、という例示という記号作用を持っています。例えば、悲しい曲は、人間のように本当に悲しんでいるわけではありません。しかし、何らかの仕方で悲しさを持っていて、「悲しい」というラベルを表示するような独特な機能を果たします。科学的なシミュレーションも例示機能を持っていて、例えば、感染症の感染経路のシミュレーションの変数を操作することで、現実に起こる感染パターンの性質を部分的に持ち、それを表すことができます。

例えば、バーネット・ニューマンの《アンナの光》という作品は非常に抽象的な色と形で構成された作品ですが、そのタイトルの「アンナ」とはニューマンの愛した母親であると考えると、その赤色はまるで胎内であったり、アンナの優しさであったりを隠喩的な仕方で例示しているように思えます。単純な色味であったとしても、その色味で伝えたいことを制作することで、複雑で絵画でしか描けない何かを伝えることができるわけです。

翻って言えば、どの要素が例示されるのかは解釈がつねに必要であり、夫人のケースでは、その解釈がうまく共有されなかったために、本来は例示としてみなしてはいけない見本の形が重要なものとして生地屋に受け取られてしまったわけですね。

このことが芸術作品に関するわれわれの問題にとってもつ意味は、いまや明らかだろう。純粋主義絵画において重要な特性とは、その絵があらわにし、選択し、焦点を合わせ、展示し、我々の意識裡に際立たせるような特性——絵がひけらかす特性——要するに絵がたんに所有するだけでなく、例示し、絵がそれの見本であるような特性なのである。

『世界制作の方法』第4章、126.

難波 例示概念はすこしややこしいのですが、まとめれば「記号は自分が持っている性質を使って何かを表示できる」という話ですね。例えば、グッドマンを指示するのに「Goodman」という記号ではなく「3215」でもよかった。しかし、この二つの記号を持つ印象は明らかに違う。前者はなんかイイヤツって感じがしますが、後者は無機質で冷たい感じ。このように、ある記号が持つ感じを使って何かを表示する力が「例示」という概念で語られていて、今回は詳しくお話できないですが、デザインやアート、プロダクトを考える際には役立つ概念じゃないかと思っています。

こちらは『芸術の言語』で詳しく紹介されていて、次回以降で読書会を開催したいです。

🛠私たちは世界を文字通りデザインしている

難波 グッドマンの中心的なテーゼに向かいましょう。グッドマンによれば、私たち様々な「ヴァージョン=記号システム」を作ることで、世界を作っている。それぞれのヴァージョンは異なる世界の切り口です。例をたくさんあげてみましょう。

数学のヴァージョン=集合、自然数、虚数、演算、座標
物理学のヴァージョン=素粒子、運動、力、磁場、時間、物理的法則
生物学のヴァージョン=進化論、動物、遺伝子、行動
音楽のヴァージョン=音高、音価、音色、リズム、ハーモニー
画像のヴァージョン=色、量、遠近法、配置、対象
言語のヴァージョン=名詞、動詞、形容詞、副詞、文法、言語行為
ダンスのヴァージョン=速さ、大きさ、時間、身体
道徳のヴァージョン=善い、悪い、美徳、悪徳、責任、罰、罪
経済のヴァージョン=貨幣、負債、賃金、コスパ
商業のヴァージョン=バリュー、ミッション、パーパス
愛のヴァージョン=約束、信頼、裏切り

難波 これらはそれぞれのヴァージョンの構成要素を自分がリストアップしてみたものです。例えば、数学というヴァージョンは、世界を集合や自然数や演算や座標といった、抽象的な数的な構造であったり集合的な構造で分類することで、より微細な構造を研究することを目指す学問です。それに対して、道徳のヴァージョンでは、よさやわるさといった価値、それから、責任や罪と罰といった時間的で人が背負わなければならなかったりする行いについて注目するヴァージョンです。私たちはこれらの無数のヴァージョンを日々渡り歩きながら生きていて、日中は数学研究している人も、ランチタイムには政治や経済や道徳の話しをするでしょうし、家に帰ったらチェロを弾いたりテレビを見たりする。数学、政治、経済、道徳、音楽……様々なヴァージョンのうねりのなかで私たちは生きている。これがグッドマンの『世界制作の方法』における現実のビジョンだと思います。

瀬尾さん これらの複数のヴァージョンが並んでいるのをみると、グッドマンはある意味では相対主義者であり、他の意味ではそうではないということがなんとなく分かるような気がします。例えば、音を分析するのに、楽譜を使う場合も物理的に音響を計測する場合もあるように、同じ対象を異なるヴァージョンから眺めることができる。

難波 それぞれのヴァージョンには適切さがある、という点で相対主義的ではありませんが、どのヴァージョンが一番適切かを決めることができない、という点では相対主義的です。これらのヴァージョンを渡り歩きながら私たちは一生を生きているわけですね。

Mさん ヴァージョンはある種の制約なのですが、より理解を豊かにする制約なんだろうと考えました。たとえば、「私は哲学者と楽しく話せた!」と経験した人は「じゃあ他の哲学者とも楽しく話せるかも」と、経験をヨコ展開できるようになります。これは、「哲学者」という共通のラベルが存在して始めて可能になる。こうしたラベルの集まりであるヴァージョンを増やすことは、様々な理解を増やしていくことで、生活を豊かにすることになるのだな、と考えました。ヴァージョンを生み出そうとするモチベーションとは、こうした世界の拡張のモチベーションなんだろうなと思います。

難波 グッドマンは『事実・虚構・予言』の中で、ラベルを他のものに貼り付けていくことで世界を理解する営みについて焦点をあてて論じています。言われたように、現時点で存在するものごとにラベルを貼り付けてヨコ展開できるようになる営みもあれば、未来に対してラベルを貼るいわば「タテ展開」するような帰納と呼ばれる営みが論じられていて、こちらもおもしろいですよ。

ディスカッション


ここからはご紹介した『世界制作の方法』をもとにみなさんとアイデアを広げていきます。科学の実践、デザイン研究とデザイナーの視点から、様々なグッドマンの思考のヴァージョンが作られていきました。


科学の実践家から見たグッドマン

Mさん ある現象を科学的にモデル化するときに、グルーピングして他の情報を削ぎ落としていく。こうした共通項の発見と差分を取り出す科学の作業はまさしくグッドマン的な世界の整理の実践だと感じました。数学は異なるものを同じとみなす技術であるという言葉もあって、世界制作っぽい営みなのだなあ、と改めて気づきました。

Sさん 私もAmazonレビューでビビってたんですが、思ったより大丈夫でした(笑) 私は社内で新しい研究分野を立ち上げています。その中で、その研究は科学的なの? と聞かれることがありますが、グッドマンの論を参考にすると、グルーピング、モデル制作という営みという点では新しい研究分野もかくかくしかじかの点で科学的だと説明できそうな気がしました。

難波 科学的な営みとは、共通の項目を切り出し、適切な誤りを見出し、ヴァージョンを作り上げていく営みとしてうまく整理できそうです。こうした科学のヴァージョン制作については、適切な誤りの説明で引用した、グッドマンの後を継ぐキャサリン・エルギンの『True Enough』という研究書で議論されています。邦訳はありませんが、こちらも非常に刺激的でおもしろい本ですね。

デザイン研究から見たグッドマン

難波 前回アルトゥーロ・エスコバルの『多元世界のためのデザイン』読書会を行い、そこでも「世界の制作」が話題になりました。エスコバルは様々な文化が西洋的な存在論によってかき消されてしまうことに危機感を持っていて、それぞれの文化が自律的に自らの世界を制作していくためのデザイン思考を提案しています。

Kさん エスコバルはグッドマンと非常に似た立場をとっていると思います。しかし、エスコバルはよりイデオロギーを重視している感覚がありますね。

瀬尾さん グッドマンは認識の違いで世界のヴァージョンを区別していて、エスコバルは、より文化的な世界の政治的な把握の方法からヴァージョンを整理している感じがしますね。

難波 確かにそのような感触があります。エスコバルとグッドマンを接続すると、よりエスコバルの言いたいことが明確化されると感じています。おそらく、エスコバルはヴァージョンがモノ・デザインに埋め込まれている、と指摘していて、そのデザインを制作するときには、そこに埋め込もうとしているヴァージョンについて、より鋭敏になり、自覚的になるべきだ、という主張を行っているのだと思います。なので、それぞれの人が『世界制作の方法』のアイデアを手がかりに「今、何のヴァージョンを使ってるんだっけ?」と自覚することは、エスコバル的な多元世界のためのデザイン実践に役立つのではないかと思っています。

ヴァージョンはどう作ればいいのか?

Aさん デザイナーはどこから世界をデザインしたと言えるのかが気になっています。昔UIデザインの際にアイコンを制作したことがありますが、アイコンをいくつかつくっただけではあまり世界をデザインした感覚はあまりしないな、と思いました。しかし、新しい機能のためのアイコンを新規に作ったときは世界を制作した感じがありました。ここから考えると、記号だけではなく、記号の先の何かの対象も一緒にデザインしたときには世界を制作した感じがあります

難波 まさに! 既存の記号をブラッシュアップすることに加えて、新しく世界を分類しおすことも同時に行うとヴァージョンを作っている感じがありますね。

Aさん けれど、こういうのはヴァージョン制作なのでしょうか。例えば、私のメガネの幅を1メガネとする!と個人的に宣言しただけでヴァージョンを作ったことになるのでしょうか。

難波 ヴァージョンはある程度公共的なものだと思います。他者とのあいだで共有したり改変したりしていくことで洗練されていく。逆に誰にも使われなくなっていくと、ヴァージョンは生き生きとした力を失っていきそうです。

瀬尾さん その話と関連して、ある一つの記号を作っただけではヴァージョンを作った感じはしません。フォントセットを作ったときに始めて一つのヴァージョンが作れたように思いますね。

Kさん ヴァージョンにはダウングレードがあるのでしょうか?

難波 ありますね。解像度を減らすことで逆に理解を高めるヴァージョンもたくさんあります。例えば、十二音階の音楽ヴァージョンもあれば、三十二音階ヴァージョンもあれば五音階のヴァージョンもある。これらは様々な分類を細かくしたり荒くすることでいろいろな世界を試してみることもできます。

ヴァージョンの系譜学

今井さん ヴァージョンが淘汰されることもありますよね。例えば人種のヴァージョンはいまもう不必要であり道徳的に問題があるために使われなくなるでしょう。

難波 そうですね。どういうふうにヴァージョンを廃止していくべきなのかを考えることは重要だと思います。

今井さん ヴァージョンには様々な階層があるように思いました。それに伴って、世界制作の方法も階層的だと感じます。例えば、同じヴァージョンの中での精密さを高めてみる世界制作もあれば、まったく新しいヴァージョンを作り出す世界制作もある。グッドマンの用法ではそれらが同じ世界制作と呼ばれているように感じます。

難波 グッドマンは、あらゆるヴァージョンの制作は他のヴァージョンを素材にする、と言っています。なので、ヴァージョンの改訂と新規ヴァージョンの制作をグラデーション的に捉えているのだと思います。

今井さん もしかしたらすべてのヴァージョンの元になるような始原となるヴァージョンが存在するかもしれませんね。

難波 ヴァージョンの系譜学はおもしろそうです。

今井さん 資本主義のヴァージョンにアートのヴァージョンが取り込まれていく、という見方もできそうですね。

YSさん 資本主義のルールによって、世界制作しづらくなっていますね。

難波 たしかに。あるヴァージョン間の相克や対抗や自律性をめぐる対抗を考えるとすごくおもしろいかもしれません。

おわりに:グッドマンの最後の仕事と未来の仕事

Hさん 全然話違うんですけど、グッドマンはプラトン主義から哲学を解き放った陽キャやなと思いました。ギリシア哲学以来、哲学は陰キャの道だったが、グッドマンは完全に陽キャ。

難波 ウケました。そうですね。哲学ならではのある種の暗さも好きですが、今思えばグッドマンの明るさに惹かれて研究しているような気がします。

それでは、グッドマンのエモーショナルなエピソードをお伝えして今回の読書会をまとめていこうと思います。


キャサリン・スタージェス。グッドマンのパートナーは1996年にお亡くなりました。その後グッドマン最後の2年は、彼女の作品コレクションを整理し、美術館などに永久的に保存されるように尽力したそうです。そして1998年、彼も後を追うようにこの世を去りました。世界制作の方法を語ったグッドマンが、最後に彼と愛するパートナーのための世界のヴァージョンを制作してこの世を去ったというのは、非常に象徴的なことではないでしょうか?


難波 まだまだグッドマンのプロジェクトには興味深い仕事が多くあり、今回の読書会で、いっそうグッドマンの考えをいろいろな場面で話してみたり応用してみたくなりました。みなさんどうもありがとうございました!

一同 ありがとうございました〜!

難波 最後にグッドマンとエルギンの言葉を引いて終わろうと思います。世界制作論のプロジェクトはどのように進んでいくのでしょうか? 

グッドマン&エルギンさん 私たちは、哲学、知覚、そして私たちの日常的な世界を取り込んだ視界から、これらの分野を意義深いやり方で比較することによって、よりよく理解することに向かって作業しています。

図式的に言えば、この努力の第一段階は、記号の使用が——すなわち記号の省察、適用、そして解釈が——これらの分野全部の中核に含まれているのを確認することから始まります。したがって、記号に関する一般理論と記号の機能のおおよそが解説されます(『芸術の言語』)。

第二段階では、対象や出来事——すなわち、見つけられることを待ち受けている世界——を記述するための仕掛けに過ぎないのではなく、記号が指示するものの構成そのものに従事している事実を認め、これらの日から種々の事実に立ち向かうことになります(『世界制作の方法』)。

現在私たちがいる第三段階は、あらゆる認識の分野、あらゆる種類の記号、そして指示の様態を考慮するときに、哲学のいま広く行われている考え方には救い難い欠点があることに気づくことから始まります。それゆえ、そこからより包括的で問題に対処できる種々の概念を探し求める作業に移っていくのです。(『記号主義』239-240. 筆者による語尾改変)

文:難波優輝

参考文献

Cohnitz, D. & Rossberg, M. 2006. Nelson Goodman. McGill-Queen’s University Press.
Carter, C. L. 2000. A tribute to Nelson Goodman. The Journal of Aesthetics and Art Criticism. 58(3). 251-253.
Elgin, C. Z. 2017. True Enough, MIT Press.
Goodman, N. 1984. Of Minds and Other Matters. Harvard University Press.
グッドマン, N. 1987. 『事実・虚構・予言』雨宮民雄訳.
グッドマン, N. 2017.『芸術の言語』戸澤義夫&松永伸司訳. 慶應義塾大学出版会.
グッドマン, N. 2008. 『世界制作の方法』菅野盾樹訳. 筑摩書房.
グッドマン, N. & エルギン, C. Z. 2001. 『記号主義——哲学の新たな構想』菅野盾樹訳. みすず書房.
ハント, L. 2011. 『人権を創造する』松浦義弘訳. 岩波書店.

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