防災って何のためなのか。
QUESTIONで行った【防災のはなし】
阪神淡路から来年で30年。
何が変わり何が変わってないのか。
何故変わらないのか。
今変えるべき事
今なら変えれる事
それは何か?
そして何故変えられないのか。
目先だけじゃダメだという事。
この日は錚々たる参加者の皆さんでした。。。(笑)
でも、錚々たるみなさんがその意識をもっていてくれる事が【変えられる】一歩だと思います。
そんな再確認ができた日でした。
TEAM学防災が学び直せた日でもあったかな。
足を運んでくださる皆様に心から感謝いたします。
------ここまではInstagramの投稿--------------
ここからはnoteだけの本音を。
被災する前
被災した時
被災した後
自分たちが辿ってきたこの道。
もう一度振り返り様々な視点から振り返ったときに【見せかけの防災】になっていないか。【本質を見失っていないか】を改めて考える必要があるのではと思う事がとにかく多い。
行政の限界で考えた時、圧倒的に抱える業務と人員が合わない、更に地域全体、市町村全体に対しての業務となるからこそ【基本の基】となる。
そこで、【基本の基】から住民は何をすべきで?何ができるのか。それが自助であり共助となるのではと思う。
では、その住民ができる自助と共助は何か。
それは地域によっても違うけれど、例えば…自助はまず【自分の備えは自分で】共助は【もしものときには助け合い】とした時に、【自分の備えは自分で】は何をするのか?←ここに辿り着く前に
何故備えは必要か?
そこから始まらないとそもそも何を備えるべきなのか?に辿りつかない。
災害時のそれぞれの行動や役割からもそこは想像ができる。
【備え】という言葉だけが先行してしまい。何故するのか?何故必要なのか?が置いて行かれている現状。
共助も同じで、地域や職場の【備え】だけが先行してしまい【何故必要なのか】が見失われていて、漠然なものとなってしまう。
自助よりも共助はより【なぜ?】と【誰が】が大切で、一人一人ではあるけれどその一人一人がまとまり行動する必要が出てくる。
だからこそ更に【1人1人の認識】が必要となる。
自助は【認識】共助は【共通認識】
【備えを〜】【防災を〜】といくら叫んでも届かない一つの理由としてこの認識の違いがあるからこそ進まないとも感じることが多い。
現実的に考えてできる事は何なのか?
災害時にできない事は何なのか?
できない事を議論するよりもできる事への議論をしできる事を増やしていく事。
自助努力として個人ができる事、共助として地域ができる事、行政ができる事。それぞれのできる事を【平時】のうちからやる事。
行政は何もしていない。←本当にそうだろうか?住民は防災意識がない。←本当にそうだろうか?
行政の人たちと話すとやっぱり肝心な部分をちゃんと考えてくれている事、そのために様々な角度で動いている事。
住民の人たちと話すとしっかり危機意識はあり、防災意識もあるし、地域の事も考えていて。話せば話すほど理解が深まる。
なんて勿体無い現象なんだろうといつも思う。
だからこそTEAM学防災はあまり行政と住民側の壁は作らない事を意識している。みんな同じ人間なので。
ただそれぞれの立場があり役割がある。だから壁じゃなくパーテーション程度のいつでも移動できる区分けだけ。
やはりコミニュケーション。ここを無くしては何もはじまらない。
ネットの中では防災の問題は解決できない。
被災や被害はその現実世界の地域で起こる。だから【人間✖️人間】の関係がやっぱり大切という事。