1990年11月22日のプロ野球2(職業野球新聞)
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高橋慶彦選手は走攻守三拍子揃った広島を代表するスター選手で、1974年にドラフト3位で広島に入団しました。
1977年に本格的に一軍に帯同。1978年には「一番遊撃」として早くも定着し、このシーズンから3年連続で三割、三塁打リーグトップをマーク。
1979年には33試合連続安打の日本記録(当時)を樹立し、リーグ優勝・日本一に貢献しました。また、同年からは2年連続で盗塁王に輝き、押しも押されもせぬ一番打者としての地位を確立。1983年からは本塁打数も大幅に増やし、存在感を増していきました。
1988年辺りからは数字が極端に低下し、本編にもあるように1989年オフにロッテにトレード移籍。ロッテでも100試合に出場し、13年連続100試合出場を果たしますが、打撃内容はさらに悪化し、2年連続でオフにトレード移籍ということになりました。
その2回目のトレード相手となったのが阪神の遠山昭治投手です。
遠山投手は1985年ドラフト1位で阪神に入団。1年目の1986年から先発投手として一軍で24先発し、ルーキーイヤーから8勝を挙げる活躍を見せました。
翌1987年は主に救援投手として42登板を重ねますが、左肩痛もあってその2シーズン以外は内容も出場数も今ひとつとなってしまい、1990年オフにトレードで放出されることになりました。
ロッテ移籍後は一定の救援登板をこなすことになります。野手転向を経て投手再転向し、古巣阪神で大活躍をするのは相当に先の話です。
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