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「この人で正解なのかな?」の答え合わせ。

ダメならダメと断言してほしい

その占い師に会うたびに,交際相手が変わってる気がする。

「その人と付き合ってても時間の無駄!」「人当たりはいいけど,この人も全然ダメ」と言われて,その後,どの人のことも大っ嫌いになって別れているのだ。「占いが当たってる」と言われれば,そうかもしれない。

しかしその時は,今の人と付き合い始めたばかりの頃に行ってしまった。そして珍しく,「全然ダメ!」とは即答されなかった。

占い師には「半年も経てば嫌でも嫌なところ見えてくるし分かるから」「絶対に分かります。もしそれでうまくいけばいいんじゃない?」と言われた。
何一つ断言されなかったので,いつもとは違う感覚で占いを聞いた。

「相性の良さ」と現実

数ヶ月後に気づくのだが,占い師の言う「それでうまくいけばいいんじゃない?」は本質だった。

相性が良いことを願うのは,現実を見ずに関係が続くよう願っているようなもの。しかし実際は,努力で変わるものと,願ったところでひっくり返らないものがあって,「相性」は割と後者だ。

この相性を他人に尋ねても,いいと言われたところで関係が良くなる訳でもなく,悪いと言われてその瞬間に関係が終了するわけでもない。

絶対うまくいくと誰かに背中を押してもらうことより,現実がどうかが全て。
どれだけ誰かに太鼓判を押されたって,相性(目の前の現実)は変わらない

他人に決断してもらいたい病

相性がいいのか,結婚すべきなのか,このまま付き合ってて大丈夫なのか。
先に答えを教えてもらってから相手を選択できることなんて少ない。
正解など分からないまま判断を下した結果,「この現状」がある

つまり「この現状」にどれだけ確信が持てなくても,私は既にある程度の判断を下している。
目の前の人に対して何を思って,どう過ごしてるか,それが「実際に起こっていること」だった。


現実に確信を持てない状態を「まだ目ぼしい人に出逢ってない」と表現することもできるし,実際にまだ出逢ってないのかもしれない。
けどその「目ぼしいらしき人」が今目の前におらず,「目ぼしいかよく分からない人」が目の前にいるなら,目の前の人のほうがより確からしい存在だ。

より確かなはずの目の前の現象(目の前にある人がいること)には,「疑う」以外のアクションをとれていなかった。
疑ってるから占いに行ったりして,他人の意見を聞いているのだ。

いつもと違い断言しなかった占い師の言葉を聞いてようやく,なんで自分にしか分からないことを他人に聞いているのだろう,と思った。


答え合わせのとき①

あの占い師に「半年も経てば嫌でも嫌なところが見えてくるから」「絶対に分かります」と言われて半年。

どっちに転んでも(別れても付き合い続けても)「占いが当たってた〜!」とは思わないだろう。だって,占いでは「別れます」とも「その人です」とも(今回は)言われてないのだから。

私自身も,今になって「やっぱり」と思えるほどには,「別れるだろう」とも「続くだろう」とも予想していなかった。ただ時間が過ぎていた。

半年経って,「その人だよ!」とガツンと天啓でも降ってくるかと思いきや,そんなことはない。私は今でも現実(目の前にいる人)に確信が持てていない,気がする。
誰かがズバッと判定してくれたら楽だろうけど,そのくせ,他人が下した判断に反発もしそうだ。

ただしこの半年,更新される曜日に毎週チェックしていた複数の占いブログを全然見なくなった。毎週確認してる人もいるけど,週の途中とかで読み返さなくなったというか。
占い通りか否かに関わらず,いいことも悪いことも淡々と起こり続けるし,現実は流れていくからだ。

答え合わせのとき②

明日には関係がうまくいかなくなってたとしても,占いが「当たってた」なんて思わない。同様に,明後日も関係がうまくいっていたとしても,「当たってた」なんて思わない。ただただ現実がそこにあるだけ。

私にとって「この人だと分かる」瞬間は,「これが正解です!」と誰かに言われて知るものではなく,「誰かの言葉を必要としなくなる」という形で訪れた。

確かに半年経って「分かった」のかもしれない。


あの人と付き合い始める前に手相を見てくれた別の人も,
「まだ出逢ってなさそう...でも次で決めたほうがいいかもね」って言ってたし。


以下,ネタばらし。

という,フィクションともホラーとも似つかない読み物。結局結末の分からない話を書いてしまいました。
実話かどうかはご想像にお任せします。

ここでいう占いは一例で,私達は自分に都合のいい情報を集めて現実を解釈している。
例えば,ある対面占い(誰かからの情報)から解放された理由は,手相占いで言われたこと(また別の情報)だったりするわけで。

一部だけを信じたり,他方を信じなかったりすることも,情報の取捨選択。そうやって偏りながら集めた情報を元に,目の前の現象を解釈している。

思考は現実になるということ

そもそも占い結果に対して「当たってる」って言える人って,占われるまでもなくすでに預言者だ。
自分の想像と現実が結局一緒なら,占い師なんていらなくないか?

しかし例えば,別れるだろうな〜と思いながら付き合っていれば,本当に別れることになるだろう。関係を諦めているのが相手に伝われば,そりゃ終わる。

そういう意味で,思考は現実になる。自分の想像と現実は,だいたい一緒。
その点において私や皆さんは預言者であり占い師であり,ナポレオン・ヒルの言う通りになっている。

現実に起こっていることに対して,脳内の情報をかき集め,「占い(人から聞いたこと)が当たってる」だの「思った通り(過去の自分の解釈通り)」だのと言ってるだけなのかもしれない。

人に何を言われ,過去の私が何を思おうと,私は自分が集めた情報を元に,都合よく世界を見ている。

「やっぱり」と思うとき

別れるか,続くのか。
未来はどうあれ,どちらが現実になったときに「やっぱり」と思いたいだろうか。

どうせ考えたことが現実になってしまうのなら。
悪いことが起こったときにだけ「やっぱり」と思うのをやめて,いいことを思い浮かべるようにしていたい。


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