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「作家にしかなれなかった人」の孤独

「ライ麦畑でつかまえて」を書くまでと書いた後を描いた,サリンジャーの自伝的映画。ひたすら才能のある若者の苦悩が描かれている。

「自分は夫にも父親にも友にもなれなかった。作家にしかなれなかった」とサリンジャー本人が零す通り,サリンジャーは誰とも親しい関係性を築いてこられなかった。作家になった後には,余計に人間不審になっていく(今でいう有名税)

こと友人関係でいえば,恩師であり最大の友人でもあるウィット先生とも仲違いし,結局わだかまりを残した。たしかにサリンジャーは,最後声をかけるべきところで声をかけなかった。あの間が,友人関係が終わってしまったのだ,と観衆に悟らせる。

しかしあのプロローグとエピローグ,あの映画は終始一貫して,家族でもなくウィット先生に捧げられている。感謝の気持ちは,ウィット先生に宛てて寄稿した序文にも現れている。

サリンジャー自身が孤独を好んだからではなく,直接相手に声をかけることがなかったからなのだと思う。文章では言えても。

主人公があまりに自分そのものだから,「主人公はクレイジーなのか?」と言われれば,その出版社の無理解に心を痛める。それでも,自分そのものといえる登場人物に語らせることでしか,心のうちを話せない人だったのではないか。

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生きる苦しみを嘘偽りなく書きたい,と言ったサリンジャー。誰かのためなどと言わずに,自己を突き詰めてベストセラーを世に出すんだから,結構なことだと思う。

きっとライティングは最高の自己救済だ。それによって変なファンからの罵りや裏切りに遭ったとしても,ライティング抜きには災難も祝福も起こらない。

夫にも父親にも友にもなれなくても,あなたは作家になってる。
作家にも何にもなれず,ただただ孤独な人のほうが多いのに。

しかし最近思うのは,「誰かのために生きない限り,人間はいつまでも独りだ」ということ。

「本当の作家であるために」書き続けたサリンジャーが「孤独」と形容されるのは,おそらく偶然ではない。
それがその「本当の作家」の条件を教えてくれた友人,ウィット先生に従い続けた結果かもしれなくても。

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