5.2.4. 専業という選択:茶道の教授者以上の働き方をする場合
茶道界での「新しい働き方」
従来では,「お茶」だけで生きる人々といえば,茶道の教授者や茶道具商,道具職人といった伝統的な職業に就く人々を意味していた。
茶道そのものに関わる職に従事している人々は,茶道教室に通っている割合もとりわけ高く,茶道教室を運営している(できる水準である)ことも多い。
しかし本稿では,「お茶」一本で生活している人々が,必ずしも茶道の教授者と一致するとは限らない。
それは,お茶「専業」と本稿で呼ばれる人々が,単に茶道教室の運営だけをしているわけではないからだ。
むしろ,茶道教室だけでは不充分であり,教室運営以外の活動が,「専業」という在り方においては重要になる。
茶道教室以外の活動方法
茶道教室以外の活動の代表例としては,企業や個人から依頼される茶会である。
加えて,茶道関連のワークショップやセミナー,日本文化関連のイベントの企画や運営がある。
同時に,新聞やテレビ,インターネット上の記事など,あらゆるメディア媒体からの取材も活動の一つだ。
これらは全て,現在のところは定期的に行なっているものではなく,第三者からの依頼の数によって,活動の頻度に波はある。
また,主要なインフォーマントの多くは若手の陶芸作家との結びつきも強い。
「作家さんの作品を預かって代理販売」することで,マージンを受け取ることもあると語った人もいた。
同時に,作家の個展で茶会を開く例もある。
茶道教室の運営で得られる月謝を固定給と考えると,「専業」という形態には,以上のような不定期の収入が含まれる。
茶道教室の運営しかしない場合
「僕は別にお茶だけで生きようとは思わない」と語った大輔さんは,茶道の教授者に直接的に言及した。
「お茶」という軸しか持たない人々は,世間のトレンドに合わせて変化できていないと持論を展開する。
本章(5.2.3.)で触れた通り,収入のために茶道をする教授者では,実験的な「お茶」ができず変化がないと翔太さんも語っていた。
これは,20代から30代の「茶道団体」の代表にのみ見られる見解ではない。第4章(4.6.1.)に登場した60代の茂さんが教授者にならなかった理由とも似通っている。
茂さんは,茶道教室の月謝で生活していこうと考える教授者はみな月並みだという立場を取っていた。
大輔さんや翔太さん,茂さんの三人の発言に共通しているのは,茶道の教授者「だけ」をして生きると,面白みも変化もないありふれた茶道教授者の一人になると考えている点だ。
こういった「面白みも変化もないありふれた茶道教授者」になりたくないという矜持も,茶道教室一本ではない働き方を模索させていると解釈できよう。
だからこそ,茶道教室の運営をするとしても,従来の教室の形式から変化させているのだと考えられる。
好きなことだけで生きていかない
本稿の主要なインフォーマントは,「茶道」が好きだからといって,茶道の教授者になることをすぐさま選択しない理由が複数ある。
具体的には,ここまでに何度も触れた,許状制度のような茶道教室の運営自体への不信感や,「茶道」だけを仕事にした人々が魅力的ではないといったネガティブな理由がまず挙げられる。
そして,一度「茶道」に関係のない職に就いたからこそ生まれた,インフォーマント自身の得意分野や,忙しない生活の中にある「お茶」の美点といったものも,彼らを茶道の教授者ではない道へ向かわせた。
決して,「お茶」ができるなら茶道教授者としての働き方でもいいという発想ではないのだ。
その理由に,次の小括で触れたい。
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