4.1.1. ケーススタディ(1) 「給湯流茶道」
戦国時代の武将が戦の合間に抹茶を飲んでいた景色をそのまま,現代のサラリーマンとOLが戦うオフィスビルへと持ち込んだと自認する「流派」がある。
会社の給湯室を茶室に見立てたことから始まり,抹茶を点てるのに最低限必要である茶筅 [注16] 以外の道具を全て「見立て」ている。
茶道において一般に「見立て」とは,本来は茶道用の道具ではないものを茶道具として取り込むことを指す。
千利休の師であったとされる武野紹鴎が,井戸水を汲むのに用いる鉄瓶を水指(水を蓄えておくための器)として用いた例などが有名であるように,千利休以前から存在した「伝統」的な手法の一つだ。
写真 実際の茶会会場となった神奈川県にある給湯室。掛け軸に見立ててCDのジャケットが飾ってあるが,その右にある注意書きも侘びている。(2017年10月22日筆者撮影,初稿提出時から新たに追加)
以下の引用箇所は全て,この「給湯流茶道」という「茶道団体」の代表による発言内容である。
ここでは,公式に本人が名乗り,一部の茶道修練者には既に市民権を得ている「家元(仮)」以上に正式な名称がないため,代表者を家元(仮)と紹介していく。
「給湯流」の作法:道具編
まずもって,「給湯流茶道」は最もメンターに恵まれた「茶道団体」である。
「メンター」と呼ぶべきか「常連」や「運営側」と呼ぶべきか,もしくはその全てに充当する人々が,みな家元(仮)に助言をする。
そのうちの一人は,茶道はルールのゲームであり,単に自由にダラダラやっているとつまらないからと,「茶道団体」独自のルールを作るように勧めた。
他の茶道団体は,一つひとつの茶会ごとに異なる特色やルールが存在するのに対し,給湯流はどれだけ茶会ごとのテーマが変わっても,決してブレないルールが存在する。
これが,給湯流が「流派」たる所以である。
その「ルール」とは,給湯室を利休の造った狭い侘び茶室に見立てるだけでなく,茶会を構成する全ての道具を,茶道用の道具ではないもので代用するというものだ。
「給湯流」の作法:点前編
茶会の形式こそ従来のものとは異なる「茶道団体」の人々においても,少なくとも茶を振る舞う際の点前作法は,各人の所属する流派に沿っている場合がほとんどである。
「茶道団体」やインフォーマント独自の点前作法を新しく生み出したケースは,それほど多くはない [注17]。
しかし,最も大々的に新たな形式を生み出したケースが,この「給湯流茶道」だ。
電気ポットや電気ケトルが,積極的に採用されているのである。
給湯流の点前は,ポットのボタンを美しく押す作法などの紆余曲折を経て,最終的に最も簡素な形に収まった。
これはオフィスという戦場で戦いながら茶を点てるという見立てが,給湯流を給湯流たらしめているからだ。
オフィスで用意できない道具(茶釜など)が無ければお茶が点たないようでは,もはや違う流派である。
写真 会議室や給湯室など室内での茶会では電気ケトルが用いられた。(2017年10月22日筆者撮影,初稿提出時から新たに追加)
「侘び」の再構築
家元(仮)好みの茶碗には,現代の子供が知らないアニメキャラが描かれていることが多い。
ミスプリントで絵柄が上にズレて切れていることが漂わせる哀愁は,この流派では「侘び」であると解釈される。
いわゆる名物と呼ばれる茶道具は,伝来の「古さ」で価値を競う。
しかし給湯流の茶碗は茶碗で「レトロ」で「ヴィンテージ」と呼ぶべき趣がある。
少なくとも古さの美点を認めるという点で,両者は一致していると言える。
写真 イラストが茶碗の縁ギリギリまで寄っているという,ミスプリントの不完全さを愛でる。(2017年1月8日筆者撮影)
「ガラクタ」に至った理由
「給湯流茶道」も,発足当初は陶芸家が作った茶碗を使用していた。
しかし他の「現代の若い茶人」の茶会を見て,陶芸家の茶碗を使うのは「目利きの若い人がやった方がいい」と考えたようだ。
そこで「給湯流茶道」は「とことんふざけた井戸茶碗 [注18] 」に絞ったと経緯を語る。
中途半端に茶道用の道具を使うと「火傷する(=目利きの人に指摘される)」ため,全て茶道に関係のない道具を転用し「ガラクタにシフト」したと付け加えた。
こうした思い切った方針により,毎回いくら掛け軸や茶碗が変わろうと,全ての茶会に一貫性が生まれている。
「リストラ茶会」
具体例を見ていこう。
2016年10月には,徳川家にリストラされた豊臣軍を弔う主旨の茶会が行われた。
そこでは,大坂夏の陣の諸行無常がテーマになっていた。
豊臣側につこうとしたが,リストラを恐れて徳川家についた人々がおり,その後徳川家がその後何百年も安泰になったのだ。
この日の茶会会場は会議室だった。
通常掛け軸は床の間に飾られるが,ここでは長机の上に飾られていた。
写真 この日の茶室,もとい戦場は会議室である。数あるテレビ情報誌の中から,この号を選ぶことにメッセージ性を感じる。(2016年10月16日筆者撮影)
この日の掛け軸(として見立てられたもの)は,某有名事務所に所属するアイドルグループのメンバー二人が表紙に載っている雑誌であった。
この二人は異なるグループであり,以前は絶対に共演しなかったと家元(仮)は解説する。
つまり,アイドル事務所内の派閥争いを豊臣・徳川間の争いになぞらえた上での軸選びであった。
茶会の中で,文字や絵といった直接的な情報の最も多い道具といえば掛け軸である。
すなわちこの日の掛け軸(として見立てられた雑誌)は,その条件も満たしている。
また,従来の茶会でも半東などから茶道具の説明がなされる。
家元(仮)が掛け軸や茶碗を解説してくれる点も,従来の茶会と同じ形式を取っていると考えられる。
「概念の見立て」
茶道教室においては,同じ点前を習い,同じ色の袱紗(道具を拭ったり器物の下に敷いたりする絹布)といったお揃いの道具を共有する。
それが共同体の感覚をもたらすのであれば [注19],給湯流は「ルール」を共有することで共同体の感覚を創出している。
これは茶道に限らないが,ルールとは,世界観のことだ。
この世界観を創り上げる際に「給湯流茶道」が最も得意とするのは,「概念の見立て」なのである。
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[注16] 抹茶の粉を攪拌するための竹製のアナログな泡立器のこと。その特徴的な見た目から,抹茶や茶道を示す象徴的な記号の一つである。その茶筅だけは他の物で代用せずに残したのは,「給湯流茶道」が茶道の形態を保つことに役立っている。
[注17] 全くないわけではない。インフォーマント一人ひとりが新しい点前を考案し,他人には強要しないが自分だけその新しい点前で点てているケースは散見される。
よくある例としては,千家の点前と武家流の点前が混ざっているものだ。武家流の点前は,「武士らしさ」「男らしさ」を示すメタファーとして採用される例がまず一つ,亭主の前に柄杓や蓋置きなどの茶道具を置く充分なスペースが無い際に,その独特の柄杓の持ち方(合と呼ばれる柄杓の先端部分を亭主側に傾ける)が採用されている例もある。
[注18] 井戸茶碗は今でこそ価値があるものとされているが,もともと茶道用に作られておらず,粗悪な土からできている。この背景を踏まえて,給湯流で使用される茶碗は「井戸茶碗」と呼ばれることが多い。
[注19] 「想像の共同体」と呼ばれる古典的な主題を前提としている。ベネディクト・アンダーソン〔2007〕は,伝統が再創造されるのは,その伝統が依拠するとされる共同体の成員としてのアイデンティティを創出ないしは維持するためであり,個人がこのアイデンティティを獲得する作業を通じて,共同体ははじめて可視化され,実体があるものとして「想像」されるようになるとした。
筆者が袱紗を例示したのは,流派によって異なる色の袱紗を用いると決まっているからである。(例えば表千家の女性は橙色,裏千家の女性は赤色,男性は共に紫色である)
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