映画版『日日是好日』先行公開を観て
「(日日是好日って)どういう意味?」
「毎日がいい日ってことでしょ」
「でも,それだけ?」
10月13日に全国公開される『日日是好日』映画版が,各地で10月6日,7日,8日に各地で先行公開されています。居ても立っても居られず,鑑賞してきました。
私がいたシネスイッチ銀座は,もうほぼ全員が茶道修練者(というか教授者)なのではないかという錚々たる観客で埋まっていた。映画前半の「茶道初心者あるある」に会場の半分以上が笑っており,応援上映さながらでした。大寄せの茶会(大人数向けの茶会)ぐらい,茶道修練者が一箇所に集まっていたのでは。[注1]
「こうしてまた初釜(新年の茶席)がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど。
でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって。」
そして劇中の樹木希林さんのセリフと,終盤の年齢に関する冗談に落涙します。本当に,ものすごいタイミングで亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
原作では掛け軸を見た瞬間に雨が聴こえたという「聴雨」のエピソードが好きだったが,映画では異なる演出になっていた。この聴雨のエピソードは,主人公(原作者の森下さん)が日日是好日の本当の意味を知る契機になっている。
「雨の日は,雨を聴く。雪の日は,雪を見る。夏には,暑さを,冬には,身の切れるような寒さを味わう。.......どんな日も,その日を思う存分味わう。
お茶とは,そういう「生き方」なのだ。」(森下典子『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』飛鳥新社,pp.213-214)[注2]
森下さんはお茶を続けた24年間,仕事も失恋も大切な人の死も乗り越えてきた。茶道教室で教わったことだけでも,仕事や恋愛といったエピソードだけでも,あの結論に達することはできなかったと思う。少なくとも,全く違う原作になっていたはず。
映画の中で,お茶の先生(樹木希林さん)も「お茶はそういうものなの」「頭で考えるからそうなるのね」と話すシーンがあった。「お茶ってなんなの?」という誰も答えられない質問に,「どんな日も,その日を思う存分味わう」という「生き方」がお茶なのだと,森下さんは人生とお茶と文章を通して伝えた。そしてそれが伝わってくるから,心が震えるのだ。
実際に,修論の研究対象の何人かがこの原作に言及していた。私は岡倉天心を敬愛しすぎているが,現代日本で最も愛されている茶の本は『日日是好日』だと思う。
実家にあった原作本を,茶道を初めて1〜2年目だった私が何の気なしに読み始めたのが2013年頃。私にとって,お茶が趣味でも職業でもなく「生き方」なのは,原作の「お茶とは,そういう「生き方」なのだ」という一節がずーっと心に残っているからだと思う。
暑い日に暑いと言っているだけでは芸がなく,幸せな日だけ嬉しがっているだけでも足らず,死ぬまではどんな最悪な1日も飛ばすことができない。だから私は,どんな日も毎日お茶といることを止めていないのだ。
原作からいくつか選りすぐられた劇中のエピソードは,断片的にも思える。ただでさえお茶の稽古は週1回だったのだ。週1の稽古を繋ぎながら,人生は間断なく続く。
茶道教室の外でも人生は繰り広げられているのに,「日日是好日」の本当の意味(=自分なりの答え)が茶室で見つかる人は,間違いなくお茶が好きだ。『日日是好日』は,森下さんが茶室の中で答えに至ってくださったおかげで生まれた作品だと思っている。
そしてここまで読んでくださった方にはぜひ,原作にもあった「水の音とお湯の音の違い」を,ぜひ劇場の音響で聴き分けていただきたいです。
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[注1] それこそ大寄せの茶会の様子も,正客(一番上座の席)を避けて椅子取りゲームみたいになってる様子など,しっかり映画の中で描写されていてよかったです。大寄せの茶会については修論の3.2.2.で触れていますが,そこで書いた例は実際にインタビューで伺った話で実話。映画で起こっていたあれやこれやも,案外誇張されたギャグではありません。
[注2] 手元にあったので単行本から引用しました。単行本版と文庫版両方持っています。
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