何かを書きたいけど、何も書けない話
文章を書く、というのは、すんなりできる時とそうでない時がある。
思いのままに徒然と次から次に言葉が溢れ出て止まらない時と、なんかこう書きたい気持ちはあるんにゃけどどうも筆が進まんのでござるという時がある。
小学校だか中学校だかで習った質量保存の法則というのは、もしかしたら、自分の頭の中にある言葉の保管場所にも適用されるのかもしれない、なんて思った。
ここ一週間、推しの舞台に通っていた。大好きな推しの大好きなお芝居が観られる幸福の日々。
なにより、母親の影響で小さな頃から舞台観劇は大好きな趣味なもんで、もう、一回観るごとに脳内にとどまらず体中に感情が、想いが、溢れまくって、それはそのまま言葉となって放出されていくのが常でありまして、観劇直後から、思いつくままに短文でTwitterに垂れ流していくと、そこでそれらの想いは昇華されちまうんでしょうね。
あとで思いっきり長ったらしい文章を書いてやんよ!!
ってどんなに意気込んでいても、今、いざ!と筆を執ると(すみません正直に申しますと、現代人なんでパソコンに向かうと、です)、これがもう、すっからかん。どこから書き始めていいか、きっかけすらつかめずに時間だけが過ぎていっちまうんでさァ。
あとは、そうですね、こう、沸々とわいてくる灰汁を掬うみたいに、その都度つぶやいていくという仕方が、この場合は健全なのかもしれない。腹ン中に溜め込み過ぎたら、鮮度の良い想いじゃなくなりそうじゃけえ。
おそらく、記憶に潜り込んで反芻すればきっとまた色んな感情を書き連ねることができるんだろうけれども、その時間と労力はおいそれとは確保できない平日の昼下がり。
書きたいけど、書けない。
書くのには、パワーが必要な時もある。惰性でできる時もあるし、気紛れなもんです。そりゃそうか、わたしという人間が成すことだもんな。
初日を観たあとの勢いはとんでもなかった。からっからに乾いていた桶にどばーっと水が注ぎこまれたんだろうな。命の水が。すんごい書いた。
その劇中にも、たくさんの人が出てきます。たくさんの人の"腹ン中"がこれでもかとぶちまけられています。「魂胆のない人間なんて居ない」「その魂胆に面白みがあるかどうか」という台詞があります。広辞苑では「③たくらみ、策略」とあるこの言葉。誰にだって大なり小なり、なんかしらのたくらみを孕んで生きています。その色が善悪どちらかは、見る人によっても異なるんでしょうな。それは、人生についても、この物語の観方についてもきっと同じこと。
いろんな感想が相まみえるなかで、極端に客観的な視点をつまみ食いして、ひとつ、知見を広げた気分になったりして、これだから観劇は最中もその後も面白いんだと口の端が緩んでしまったりしました。とはいえ自分は自分の視点と解釈でもって、あの物語に向き合ってすぶすぶと身を沈めて愉悦を享受するんですけれどもね。
件の舞台というのは「腹黒弁天町」という舞台です。
明日明後日は大阪公演です。
チケットは今からでも間に合う日程があるかも。ぜひにぜひに。
なんだか、やはり、興が乗らない文章というのはやけに中途半端になってしまうもんですな。でも、今日は、それでも何かを書く、という行為をしたかった。のです。
そんな日もあっても良いかなぁと、自分を正当化してみちゃう日もあっていいかな。うん。良いことにしよう。
ってなお話しでした。
ちゃんちゃん。