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その瞬間、自分はこれまでの生徒指導は終わったと感じた

私が中学校の教師として勤務した頃の話です。大学を卒業した私は2003年4月から岡山市内の中学校に常勤講師として着任することになりました。担当学年は2年生で理科担当の副担任です。

1学年が8クラスもある大規模校で、お世辞にも落ち着いている学校とは言えませんでした。
当時は「総合的な学習の時間」が始まったばかりの頃でしたが、その時間になると、生徒の何名かが教室から飛び出して好き勝手に遊び回る。それがどんどんと広がっていって、気がつくと、廊下に数十人の生徒が屯している。
この状況には唖然としました。大学の教員養成課程で教育を学んできた新卒生の理想を打ち砕く、まさに学校現場のリアルを突き付けられた瞬間でした。

私は、ベテランの同僚教師が、このカオスのような状況にどのように対応するのかを注目して見ていました。自分としては、教師として大きな声で指導したり、引っ張ったりしてでも、生徒達を教室に入れるべきか悩んでいました。

そんな状況の中、学年主任から「なかがわさん、次の授業が終わるまで廊下に座っていてください。ただ、座っているだけでいいです。」とお願いされます。
廊下に座る? 
最初に聞いた時は、言われていることの意味が理解できませんでした。

けれど、一年目の新人でよく分からない中、私は言われたとおり廊下に座りました。椅子もないので、文字通り廊下に胡座で1時間、長いときには2時間座っています。
廊下には生徒がウロウロとしていますが、特に指導もしなければ、声もかけません。私と、同じく30代の先生と二人で冷たい廊下に仲良く座り、日頃の学校の様子などを雑談していました。 

最初は生徒はチラチラとこちらの様子を見てきます。それから、教師が何も言わないと分かると、いつも通り廊下に出て遊んだり、雑談を始めます。
それがしばらく続くと、何人かの生徒が廊下に座っている私達のところにやってきて話しかけてきます。その度に、適当に相槌を返したり、話を聞いてあげたりしていると、時間の経過とともに、不思議なことに一人、二人と満足して教室に帰っていきます。
そんなことを2〜3ヶ月繰り返していると、廊下に出て遊び回る生徒はいなくなり、教室で授業に取り組むようになりました。

私にそんな指示を出した学年主任の先生は、学年集会の場でも独特の空気を出します。
300人の生徒が一同に会するので、雑談が積み重なって、開始時間のチャイムが鳴って静かにはなりません。
大きな声で「静かにしろ!」という指導をすることもできます。実際、他の学年ではそういう指導をしている場面もありました。けれど、その学年主任の先生は、一人で全生徒の前に立つと、黙って生徒を眺めます。
1分、2分、、、すると、誰が言うわけでもなく不思議と静かになる瞬間が訪れ、静寂な場が自然と生まれます。そこで学年主任の先生が話し始めるのです。

その指導は、新学習指導要領が示している主体的な学びであり、義務教育の目標である自立した生徒の育成につながるものだと、今なら理解できるますが、右も左も分からない新人教師の頃に、そんな指導の実践に触れることができ、肌感覚として理解できたのは、幸運だったと今でも感じています。
その後、別の学校に転勤して学級担任を受け持ったときも、その考え方で生徒と接することで未熟ながらもやり通すことができました。

今でこそ主体性を育む生徒指導は学校現場で主流となっていますが、今から20年のあの当時は、体罰こそなかったものの、教師が大声で怒鳴りながら生徒を一方的に指導するスタイルは残っていた印象でした。
だからこそ、学年主任の先生が、いつからそのような指導スタイルになったのか、気になったので直接本人に尋ねたことがあります。

学年主任の先生は、私に「ある女子生徒が問題を起こしたときに、これまでと同じように指導をしようとした。けれど、その女子生徒の目はこれまでの生徒とは違っていて、殴るのなら殴ればいい、怒鳴るのなら怒鳴ればいい、そういう目で自分を睨んでいた。その瞬間、自分はこれまでの生徒指導は終わったと感じた。」と語ってくれました。

続けて、その学年主任の先生は、生徒指導に必要なのは生徒の「情」だと教えてくれました。「この先生がここまで言うのなら・・・」「自分のことを分かってくれるクラスメートに迷惑をかけたくない」そんな教師と生徒との、生徒同士の情で結ばれた人間関係が、どんなに荒れた生徒でも対話の出発点になり、逆にこの情の絆が切れている生徒には、大声を出して怒鳴っても響かない。

学校は昔から変わらないと否定的に言う人がいます。もしかしたら、教師は時代の変化には疎いのかもしれません。けれど、教師の専門性の一つは生徒を「見る」ことであり、生徒の変化には敏感です。
この学年主任の先生のように、生徒の変化に合わせて、これまでの指導方法や考え方を180度変えることのできる先生がいるのも事実であり、それが受け継がれていくのも学校現場だと思います。



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