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お正月、あなたの実家のTVの前にいた人は誰?#035
わが家では、父でした。
テレビを前に眠る父を見て、
私は75歳になった時、どんな暮らしがしたいだろうか?と考えた。
2025年元旦の気づき“未来の自分に期待するな”
私が75歳になると我が子39歳。
なりたい75歳の私は・・・
週に2日程度働いてゆるく社会とつながりたい。
年に3回程度、近場の温泉に行く。
39歳の娘と笑っておしゃべりしたい。
国内旅行は毎年じゃなくてもいい。たまに。
バレエは続けたい。
気に入った服と
少しのアクセサリーを楽しみたい。
そのためには手足が自由に
動かなければならない。頭も。
どこかに行く気力、何かをする気力。
ココロが健やかでないと。
60歳をすぎてから、70歳の生活の準備をしだしても
遅いのかもしれない。
60歳、70歳の自分に期待せず、
いまから準備をする必要がありそうだ。
お父さんは“TVを観るという”行動を必要としていた
お正月お父さんを見ているとテレビに文句ばかりいっている。
テレビの前の席が指定席。
聞いている家族は「テレビ消したら?」
でも父は消さない。
父の気持ちになってみる
他にやることがない のだ。
父の手足には数年前からしびれがある。
好きだった料理も、たまにしていた読書も、
ぐっと回数が減った。
“テレビを見ている”という、何かやること
この行為が必要なのだ(実際は半分寝ている)。
父も努力していた。
定年後、趣味を見つけようと講座を受けたり
楽器に挑戦したり、料理をしたり。
しかし、時間と余裕がある75歳の今
体と心にはやる気力がない。
これまでの父の発言から本当に今やりたいことは、
70歳を超えても、社会の一員として働きお金をもらうという活動を
続けたかったのではないだろうか?
しかし、仕事中心の生活の結果、今は働くことができなくなっていた。
私はどんな75歳を過ごしたいのか?
すると冒頭に書いた、
普通の生活が思い浮かんだ。
具体的に75歳の生活を考える
いまから心と体(お金も)の準備が必要だと気づいた。
日々暮らしながら、ずっと自分の好きを集める。
他人と比べて、飛び抜けて上手い!や
好き!じゃなくてもいい。
比べるのなら、過去の自分と今の自分。
今好きでも、この先好きじゃなくなったら
手放す。60歳の時、いくつかの好きが残っていればいい。
過去に手放した好きだったモノコト
アクセサリー作り、がま口作り、たくさんの服、手の込んだ料理、いくつかの人間関係
今好きなモノコト
バレエ、瞑想、着心地のいい手入れのしやすい服、転勤先で出会った友人、自宅でできるアルバイト、毎日つけているピアス
未来の自分を過大評価しない
60歳以上になった未来の私に、
60歳から好きなものを探して!と宿題を出すのは申し訳ない。
どんな暮らしをしているかもわからない未来の自分に頼らない方がよさそうだ。
今から好きなモノコトを探して、
取り入れて、試して、手放す。
少しずつ未来の自分を作っていこうと思った2025年のお正月だった。