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常盤湯治旅 後編
二泊した湯治宿を後にした。
なんとも言えない時間だった。
夜はカエルが鳴き、朝はホトトギスが鳴いている。
朝風呂は、ほとんどの人がチェックアウトしていて、誰もいない。
鉱泉とは、温泉成分がありながら冷たい湧き水のことだと思う。
それを薪で沸かしている。
ぬるくなったら薪の番の人が沸かしてくれる。
すぐに沸かせるということは、わずかながらも釜の中に火のついた薪があるということ。
誰かがぬるくしないと、どんどん熱くなる。
最初、そのままの温度で入る。
全身が猛烈にビリビリ、ピチピチする。
あわてて出るが、出る時も痛い。
薪で温めているからか、鉱泉の特徴なのか。
耐えきれず、大きなバケツで冷たい鉱泉を浴槽に流し込む。(それは宿の方からOKと)
どうにか湯船に入れる。
ピリピリは相変わらず続いているが、少しずつ落ち着いてくる。
ある人が、「まるで温泉水が体の中に入り込むようだ」と感想を書いていたが、まさにそんな感じだ。
カラスの行水派なので、すぐに湯船から出て、浴槽の縁に腰を掛ける。
ブワッ〜っと脳天からシャワーが。
浴室の窓の向こうは森だ。
ホトトギスの鳴き声が網戸を通じて浴室に響き渡り、まるで音のシャワーを浴びているようだ。
のぼせも手伝い、ボーッとする。
なんて贅沢な時間なんだ。
泉質が自分に合うようで、部屋に戻るとぐったりする。
この宿は100年前からのもので、設備は古いが、とても清潔にされている。布団は天日で干された匂いがして、快適だった。先にチェックアウトされた人の布団はすぐに干されていた。
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スタッフは四人。経営者らしき夫婦と、お二人。
2日目は、四ツ倉と白水阿弥陀堂に行った。
四ツ倉は、いわき駅から仙台方面(北)に二駅目。
この街が好きで、何度か訪れている。
午前11時過ぎに海の近くの道の駅に着く。
とりあえず、ここで地元の海鮮丼を食べることが、前からの予定。
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ほぼ満席で、券売機にも列。特撰海鮮丼を注文して、席が券売機の隣しかなかったので、そこに座っていると「なんだ、まだ昼前なのに、もう売り切れか!」と怒ったり、がっかりしている人の声が聞こえて、画面をふと見ると、海鮮系のメニューはもう売り切れていた。まさに瞬殺。ギリギリセーフ。
三十分待って、私の海鮮丼が出来て、食べようとすると、券売機に並んでいる人はそれを見て、「あっコレでイイよコレ」と言って買おうとするが、すでに完売で、肩身が狭かった。
四ツ倉には、大川魚店という有名な店があって、表敬訪問。
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この日は、次に白水阿弥陀堂に行った。
これは宿の人に勧められたからだ。
宿の人の説明で、謎が解けたことがある。
いわき駅辺りを、地元の人は「平」という。
駅にして3つほど東京側は「泉」という駅だ。
この辺りの地名はだいたい二文字以上なのに、何故かこの2つの地名だけ一文字。
不自然だ。
なにかある。
いつも考えていた。
宿の人の説明いわく、白水阿弥陀堂の白水とは「泉」という字を分解して名付けられている。
平と、泉をくっつけると平泉だ。
この阿弥陀堂は、平泉の藤原家の女性が、この地域に来て作ったものだから、その名前をこの地域に分けてつけたそうだ。
何というロマンチックな歴史だろう。
(正確で詳しい情報はこちら↓)
時間に余裕があったので、四ツ倉から昼下がりに電車を乗り継ぎ、阿弥陀堂に向かった。
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国宝で、拝観料を払うと本堂にも入れるというので入ってみると、係の人が正座をしてお堂の説明をしていた。正座をして聞くような感じだったのと(私は膝が痛くて正座できない)、自分には不自然にかんじる語り口に、いたたまれず、そそくさと外に出た。
ハイロウズの歌が頭の中で流れてきた。
神聖な場所には何もない
ただ放って置かれてる さまがいい
ぎょうぎょうしい飾りつけもない
少し寂しい気持ちで境内の端に行くと、ふと変わった仏像がポツリとあった。
![](https://assets.st-note.com/img/1714881128851-Ua2Dw7w1aW.jpg?width=1200)
写真が暗くて見づらいと思うが、お坊さんが両手に子供を抱えて、そしてあらゆるところに参拝者が石を乗せている。
これこそが阿弥陀の他力本願。
石は人々の願い。
子供は弱き者の象徴。
如来とは、ウルトラマンでありトトロでありアンパンマンである。全ての弱い人間の願いを全力で受け止め、身を投げうって叶えるヒーローなんだ。きっと。
今回の旅は、ここに呼ばれていたんだ。
これで納得して家に帰れる。
三十分歩いて、いわきの隣駅に着く。
いわき駅前の居酒屋で軽く飲んでバスで宿に帰る。最後の夜だ。
ほぼ満室だった昨日とは打って変わって、本館は私一人。新館は子連れの家族一組だけだった。
今夜は宿の鉱泉水を、ブラックニッカで割りながら部屋で飲んで寝た。鉱泉って、硬水なのかな。
最後の朝も、ホトトギスの合唱で目が覚める。
鉱泉でウィスキーを割ったからか、調子がいい。
朝の空気を吸う。緑の香りがまぶしい。
朝風呂を浴びたら、もうチェックアウトかと思うと、寂しい。
18歳で自転車旅行を覚えてから、こんなにゆっくりした旅は初めてだ。
時間の感覚が全く違う。
東京という大都市は、それ自体がまるでエンジンの様だ。ひたすら人々が労働と消費というピストン運動をしていて、それを一つの回転に変える装置だ。
それに比べると、ここでの時間はまるで薪の釜だ。
帰るのがさみしい気持ちだが、またいつでも来られる場所にこんな鉱泉があるのは救いだ。
必ずまた来ることだろう。
今度は自転車も良しだ。
宿をチェックアウトして、いわき駅に向かった。
最後に寄りたかった店がある。
いわきでの歴史と、常磐ものの魚に誇りを持つ魚屋「おのざき」さんのリニューアル直後のやっちゃ場(市場)で、最後の海鮮丼だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1714882252376-M7ieHeFLYH.jpg?width=1200)
滅茶苦茶美味かった。
どれだけ魚介類が乗っているんだ。
それ以上にどれだけ
いわきのプライドが積まれているのか
いま、駅前デパートの珈琲館で書いている。
そろそろお土産を買って、家路に向う。
各駅停車でゆっくりと。
さようなら、いわき。
ありがとう吉野谷鉱泉。
また来ます。
追記。何で宿の人が「白水」阿弥陀堂を勧めていたのか分かった。吉野谷の鉱泉水の名前が、「白水」鉱泉水だ。何か関係があるのだろうか?