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尾久村節考
私が小さい頃、ある家の二階で、おばあさんが夜な夜な叫んでいた。
私は小さかったので、なんでこんな変な人がいるんだろう、なんで病院に入れてあげないんだろ。
単純にそう考えていた。
大人になった。
すっかりそんなことは忘れていた。
◇ ◇ ◇
先日大盛況に終わった、地元での演劇のお祭りは1年前も、もう少し小さい規模で行われていた。
その演劇の練習の時だったと思う。
絶叫のような声が周囲に聞こえてきた。
その度ごとに、近所の人が何事かと店の外に出て、キョロキョロと辺りを見回していた。
私も最初は何事かと驚いたが、演劇の人達の声だと分かると、「周りの人に、彼らが一言声をかけておけばなぁ…」という思いと、これ自体が演劇的だとクスクス笑ってしまう自分もいた。
◇ ◇ ◇
わたしの住む尾久は、昔は尾久村といわれていた。
森鴎外の時代には単なる村で、隅田川沿いは別荘地だったと聞いている。
そんな尾久村のお寺から、温泉が湧き出した。
それから一気に歓楽街化していった。
尾久三業というエリアができた。
三業とは、飲んで食べ、当時のエンターテインメントを楽しみながら、遊女と遊ぶ、それぞれがある場所。今で言えば風俗の町だ。
太平洋戦争直前の阿部定事件は、尾久三業地で起きた。
戦争が終わり、温泉が枯れ、世の中も変わり、昔ながらのスタイルの尾久三業は廃れていった。
私は継がないと言っていた実家の天ぷら屋を継ぎ、徐々に衰退していく街の中で、この街のことをもっと知らなければ、と調べだした。
その中で阿部定事件は、大きな事件であり、ある年齢以上の人なら誰でも知っているようなインパクトを残している。
簡単に話すと、奉公先の旦那と愛し愛され過ぎた女性が、歓楽街である尾久三業の宿に入りびたり、彼を性交の途中で首を絞めて殺してしまい、男性の男根を切って大事に持ってさまよっていたが、逮捕されたという話。
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阿部定事件が題材。阿部定役の方は映画初出演と後で知って驚いた。迫真の演技。
阿部定事件のことを知るために、地元の図書館で本を借りて調べ、分かってきたこともあるが、資料では分からないことがあった。
事件現場は何処だったんだろう。
どうにもそれが分からなくて、隣の商店街の、もと尾久三業地近くの、飲み友達のとんかつ屋さんに行った。
「いま阿部定のことを、本読んで調べてるんだけど、事件があったところって、どこなの?」
「あっ、うちの店から見えるよ、あそこだよ」
びっくりするくらい近くだった。
そのとんかつ屋さん「どん平」さんと初めて出会ったのは、私が脳梗塞で死にかけた直後だ。
私はレアな脳梗塞になり、生命維持を司る脳幹という部分の血管が詰まった。
いま思うと、あれから生まれ変わった気がする。
それから不思議なことがたくさん起こった。
何より不思議なのは、そのとんかつ屋さんの妹さんが演劇をされていて、絶対に縁が無いと思っていた演劇にハマったこと。
彼女のパートナー(旦那さんとか、ふさわしい言葉が思い浮かばず)の演劇にも更にハマったこと。
人生が変わり出した。
これは始まりでしかない。
不思議なことが何度も起こった。
これは、すでに亡くなった、この町の、とある方の力が働いているんじゃないか、と思う時が何度となくあった。
◇ ◇ ◇
私が演劇を好きになったからと言って、この街が演劇の街になるわけではない。
時は過ぎた。
コロナが起きた。
先程のとんかつ屋「どん平」さんは、地域の宴会をひとえに背負っていたし、目の前の東京女子医大の関係者の様々な会を受け入れる、何十年にも渡って大事な大切なお店だった。
突然コロナで、全ての予約が失くなった。
そんな時、どん平経営者の妹さん安藤玉恵さんが、一人芝居をそこで始めると宣言した。
〝とんかつ〟と〝語り〟の夕べ
— 安藤玉恵info (@tamaeando) November 29, 2020
とんかつ定食付きの一人芝居、save the 「どん平」企画を始めました。
戯曲は劇団「地蔵中毒」の大谷皿屋敷さん書き下ろしです。
とんかつ買いがてらふらっとお立ち寄りください♪
最新情報は、@antama_tonkatsu
お問い合わせ:antama.tonkatsu@gmail.com
詳細は↓ pic.twitter.com/3rVbcAlhqQ
私が願っていた安藤玉恵さんの一人芝居を、地元で見ることができた瞬間でもあった。
◇ ◇ ◇
ほぼ同時なのか、少し後なのか分からないが、私の町に演劇の人達が拠点を持ってくださった。
私がそれを知ったのはずいぶん後だった。
近所の飲み屋さんで、中心人物の方と出会った記憶はあるが、私も酔っ払っていて、ろくな会話はなかった。
その演劇のグループの中の若手の一人が、うちの店に来てくれて、「演劇好きなんですってね、地元の人が作った本で知りました。私も長沼と言うんです」
と、挨拶をしてくれた。
この挨拶がなければ、ひょっとしたら今でも、関わりが弱かったかもしれない。
若い彼の率直な言葉の言い方、澄んだ目、なんだか運命を感じた。
これは行かなくては、と彼の所属するグループの演劇を観るために行くと、もう一人、女性の一人芝居も鑑賞できた。
その女性の独特な世界観や声にも魅了された。
知れば知るほど、多才で多彩な人だが、残念ながら今回で、この団体からは卒業されてしまうと知った。
でも、いいと思う。
あなたを待っている別の可能性の世界は、必ずあると思っていた。
◇ ◇ ◇
去年。
町に響くように叫んでいて近の人が何事かと飛び出してきた原因は、演劇を観て分かった。上記の長沼くん所属の団体だった。
理屈抜きに、乱暴な彼らの体がうねっていて、すげえと思った。
もう一人の先程の一人芝居の女性は、まったく別の静かな一人語り。
いろんな人の、子供の頃の不思議なちょっと怖い思い出を集めて、それを語る。
それを、古びた木造の壁と柱のむき出しの中で語られると、自分の子供の頃の事を思い出して、リアリティにさらされる。
私が小さい頃に、まさにこの空間で夜に叫んでいたあのお年寄りの気配も、にじんでくる。
あの人は、どんな思いで叫んでいたんだろう。苦しかったのか、悲しかったのか、叫ぶしかなかったのか、何も考えずか…
それを肩代わりするように、新しく来てくれた彼等は叫び、表現し、時に沈黙を作る。
あの人の「魂」は、このイベントを待っていたのではないか…
◇ ◇ ◇
そんな事を思い返すとすべてが、一つの見えない力に影響されている気もする。
この町には、三業の世界で励まし合い、助け合いながら生活し亡くなっていった芸能の人達が、貧しくてここに来るしかなかった人達が、死んでいった人の魂が、まだ渦巻いているんじゃないか。
その念。
ずっと渦巻いていた魂が、今回の若い人達のあふれる芸能を呼んで、ようやく楽しんで、納得して、ゆっくりとした眠りに帰ったような気配を感じる。
イベントが終わったいま、町は静かだ。
町が寂れたのではない。
ほんたうの、まつりをおえたのだ
まつりは、いのりだ
最後まで読んでくださりありがとう
◇ ◇ ◇
(以下、参考まで)
阿部定事件を女性の立場から見る↓
どん平さんの、3代記↓
コロナ禍での、Zoomっぽいアプリ使用だったのでかなり聞きづらいですが、内容はNHKの朝の連ドラになるくらいの重みがあります。ロシアに行った、安藤玉恵さんのおじいさんからして半端ないです。音声の悪いところは適度に飛ばして聞いてもらえたら。
同じ西尾久ご出身の伊集院光さんと安藤玉恵さんとのラジオトークは、一生物の宝物です。↓
めちゃくちゃ可笑しい。
2時間半ほどのユーチューブ
1:30:00頃に合わせてください。