ニュージーランド南島 西側のパン屋さん、三十年前の思い出と今日。
初めての海外旅行は、ニュージーランド南島を自転車にキャンプ道具を乗せて、一周でした。
二十歳の頃の2月の一ヶ月間。
南半球では、夏のピークが終わりかけた頃でしょうか。
日本国内はほぼ、自転車にキャンプ道具を乗せて走り尽くし、非日常と思っていた自転車旅行も日常になりかけている頃でした。
今後も旅を続けるとしたら、外国を自転車で旅するか、日本を徒歩で旅するか、どちらかしかないなと、と旅をしながら思っていました。
そして、次はニュージーランド南島自転車旅に決めました。
飛行機に乗ったことがない人間が、自転車とキャンプ道具を持って外国に行くのは大変でもありましたが、同じルートを走ったことのある人に話を聞けて、走行に関しては心配はありませんでした。
電車などで移動するのに比べたら、自転車で移動し、スーパーで買い物をし、キャンプ場で受付するぐらいの英語で良いので、気が楽でした。
それでも、いろんな小さなハプニングはあります。
気温と湿度だけでは言い表せない気候のちがいや、日本と違う道路の様々な仕様に、体調を崩した時もありました。(またいつか、書きます)
特に想定外だったこと。
南島は、簡単に言うと南北に長い島で、それに沿って山脈があります。
西からの風が吹くので、山脈にぶつかった風は上昇して西側に雨を多く降らせます。
東側は雨が少なく乾燥している。
南島一番の大きな街、クライストチャーチは西側の大きな平地にあり、観光地と言われる多くの街はこちら側。マウント・クックやクイーンズタウン、テ・アナウなど。
ハーストパスという、東側から西側に越える、未舗装で恐ろしく向かい風が強い峠道は、自転車に乗ることができず、降りて押して、どうにか越えることができました。下り坂でも、全くスピードが出ず永遠に思えた。
峠を越え、東側の町に着いて驚いたのは、キャンプ場がないだけでなく、買い出しをする場所もほとんどありません。
峠を下った街では、ガソリンスタンドで肉肉しいサンドイッチを少し買い(すべての物価が高い)、ギリギリ安いホテルに泊まりました。確か夕食二千円超えのビュッフェは高かった(笑)
そして、翌日走り出すと、今度は換金できる銀行がありません。
当時はトラベラーズチェックという旅行小切手を持ち歩いて、必要な額だけ、金融機関でニュージーランドドルに換金していたのですが、換金できず底をついてしまった。
ある町でパン屋さんに入り、金融機関がないか聞いたけど、週に3日ぐらいしか開いていない、それも遠い、と教わった。
途方に暮れていると、ツアーバスが休憩に停まり、その中に日本人観光客がいた。
私はその人にすがるように、いざというときの為に取っておいた日本円札をニュージーランドドルに替えてくれるようにお願いした。
ありがたいことに、それを替えてくださった。
そして、その一部始終を見ていた先程のパン屋さんが、私に夕方声をかけてくれた。
私はパン屋さんの隣の安い宿に泊まることにしていた。
最初、パン屋さんが何を言っているか分からなかった。
ニュージーランドには独特の英語のなまりがあり、地方ほどある。
どうも、お店にあるパンを好きなだけ持っていけと、言っているようだ。
私は「でも持っているお金があまりない」というと、No money,No charge!! と何度も言ってくれる。
残ったパンを好きなだけ持っていっていい、と言ってくださったのだ。もう、食べきれないくらい、今でも思い出すくらいに頂いた。
あの時のことは三十年以上経った今でも忘れられない。
私は旅が好きだ。
若い頃の旅は、色んな人へのご迷惑とか、お世話になりながら、全く返せていないので、今になって、なにかでお返ししたいといつも思っている。
最近、若い留学生か、働いている人か分からないが、天ぷらを買いに来てくれるようになった。
言葉もたどたどしい、買える天ぷらも2品くらいで少ないし、表情も暗い。
今日、彼を見て、あの時の自分を思い出した。
雨の中来てくれたし、ほんの少し何か天ぷらをサービスしようかと思ったけど、ちょうど良いものがない。
会計で半端な額を少し引いて、渡した。
少しの額。でも彼はすごく驚いて喜んでくれた。
それを見て、私もすごく驚いて嬉しかった。
あのニュージーランドのパン屋さんの、100分の1くらいお返しができた。
今日来てくれた彼は、日本という異国の地で、あまり笑顔になる時間がないのかもしれない。
でもその時の顔は、彼が生まれ育った場所でいつも見せていた、笑顔なのかもと思うくらい、染みわたった。
こんな小さな町の、こんな小さな店で、外国でお世話になったお返しができる日が来るとは。
これからだ。
ありがとう、教えてくれて。
ニュージーランドの南島の西側の、とあるパン屋さんも、あなたも。