孤独な時間は時を経て、自分だけの宝物になる
13歳からの友人と、もうアラサーだね。なんて言ってた帰り道はドクターペッパーの残り半分がやけに甘ったるく感じた。
翌日シティサイクルをせっせっと漕いで、生まれ育った街をサイクリングをした。
息子の成人式を前にして、当初の予定より少し出世した父親が川添いのタワーマンションに住まいを移してからは、一度も来ていなかった土地だ。
道に埋め込まれた記憶の私はいつも一人だった。
理由は多すぎてここでは書ききれないが、兎も角小学校時代の私は孤独だったのだ。
人といると嬉しい事は2倍に悲しい事は半分になると言うのはよく言ったものだが、事私に関しては孤独によって悲しい事が何倍にも膨れ上がっていたように感じる。
負の感情は発散しなけれは、自分の内側で反芻され何倍にも膨れ上がる。
とてもとても大きくなったそれは、時が経つ事で色を失っていた。
そして他の誰にも共感される事ない自分だけの特別なガラス細工になっていた。
生まれ育った時を訪ねた。