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自分はお絵描きが苦手のはずだった①

私は今、お絵描きが楽しい。

一言にお絵描きといっても、
現在少しずつ投稿している今日の1枚シリーズのようなものがほとんどで、
読んでいる人にとっての“お絵描き”という認識と一致するかはわからない

もともと自分は学校の図画工作や、美術の時間などは苦手だった。
その理由は主に2つ。
多分同様の感覚や認識で苦手に感じた人はいるのではないだろうか。

○思っている通りには描けない感覚

1つは、紙の上に描いたものが自分の思っているものと違ってしまうこと。
お絵描きが上手な人、という表現が合っているのかどうかはわからないが
自分の思ったように線を引いたり、色を塗ったり、配置したりする
というのは結構難しい

ただそれ自体がなんとなくイヤで、
特に小学校だと教室のどこかに掲示されることもよくあるし、
なんとなく晒しものにされているような感覚。

描いている最中も、描き終わってからも、
自分でヘタだなぁと思っているのに
そんなものを誰にでも見える場所に置かれてしまう。


まあ幸か不幸か、自分は絵に対する関心自体が全然なかったので
誰かに冷やかされたりいじられたりでもしなければ
それほど気にするような繊細さも持ってはいなかった。

今にして思えば、これは同時に自分が絵がヘタな理由を
考えようと思うことすらなかった
原因でもあっただろう。

うまい人、きれいに描ける人がなぜ描けるのかと思ったこともなかったし、
才能が違うとか、そんなことすら思ったことがなかった。

ああ、自分の絵と違ってこの人はなんか上手だなぁ、くらい。
そうなりたいと思ったこともなかった。

絵の上手、ヘタは自分の中でどちらでもいいことだったのだろう。

お絵描きが上手な人というのは自然にか、
あるいは苦労してかはわからないが、
そういう練習・訓練をしているのだろうということは、今なら想像できる。

安易に、上手な人は才能があるから、と考えるつもりはない。
そういう人もいるのかもしれないが。

まあ、とにもかくにも私の手は
自分の思うような絵を描いてはくれなかった。
親に「お前が色を塗ると絵が死ぬなぁ。」と言われるくらいには。

○描きたいと思うものが見つからない

もう1つは、描きたいものが特にないこと。

1つめの理由からも想像がつくかもしれないが、
絵を描くことに関心がないので、
例えば普段から“こんなもの描いてみたい”という目線で考えることもない。

しかし、学校では絵のコンセプトや描く手段は指定されるが、
具体的な内容は自由であることが多かった。

例えば、遠足に行った時のことを描きましょう、とか。
校内のどこかを描きましょう、とか。
緑化ポスターを描きましょう、とか。

具体的にどのシーンだったり、どの場所だったり、
どんな構成・構図だったりと言うことに指定はない。

では何をどう描くのか、それは自分で選んで決めないといけない。

興味が湧いていない対象から、興味のないものを選ぶ時間が始まる。
絵を描くことも悩ましいのに、描き始めることもままならない。


○私の知らなかったお絵描き

そんな感じで過ごしていたのだが、
中学校の美術の先生からとあるお絵描きを教えてもらった。

まず、小さな紙に適当に線をぐるぐると交差させながらしばらく描く。

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次に、線で囲まれたところの内、適当に好きな場所を塗りつぶす。

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これだけ。

そうすると、何かを意図しているわけでもないのに
なんとなくこんなものが描かれているのだろうか?
ここはこんな風に見えるなあ。
なんてことをふんわりと思いながら見ることができてしまう。

自分で意図して描いた不格好な絵よりもよほど安心して、
しかも新しいものをデザインしたような感覚もほんの少しあって、
面白く眺めることができた。

同時に、この感じでいいなら自分も楽しいんだなぁと思った。

その先生が私のことをどこまで理解してくれていたかはわからないが、
こうして自分が楽しめるお絵描きに自分は出会えた


※後半は「自分はお絵描きが苦手のはずだった②」にて

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