見出し画像

いいものとは 069

何を書こうか悩んでいたら、朝になってしまった。ちなみに肉の話は一切しないのであしからず。

もうすっかり外が明るくなる時間も早くなり、夜が短くなってしまった、夜型の私にとっては損した気分になる。時間が足らない。

私は技術畑の人間なので、現場でもっとはやくいってくれたら、こう出来たのに、あの機材持ってきたのに、もっと応えれたのに。。。
ということがかなりの頻度で起こる。
それはいくらか仕方ないことでもあるが、「いいもの」を目指している自分たちにとっては悔しささえ感じる時もある。
しかし
この「いいもの」とはいわゆるいい現場の意味であるが、いったい何目線の話なのだろうか、ということをふと考えてみた。

考えづらいので例をあげてみる。
ある現場でプロジェクターのレンタルを依頼された、入力機材はPCのみだと言う。 スイッチャーは入りますか?と聞いたが予算がないのでプロジェクター直で良いという。
現場に入った後、実はPCがもう1台増えたと言うことを聞く。PC2台の接続はプロジェクターが対応していないためケーブルの抜き差しで対応した。

という案件があったとしよう。
この時私が気を利かせてスイッチャーを持って行っていたとしよう。PC2台をサービスで出したスイッチャーに入れることによってスムーズな切り替えで現場が進んだ。
これは「いいもの」「いい現場」なのだろうか。
現場的にスムーズに切り替えが出来て一見いい現場になったように思う。

しかしクライアント側はなんとかなったという意識しかなく、次の現場でも連絡を怠り予定と違うことを現場に持ち込むかもしれない。
当初の通りケーブルの抜き差しで対応していたら、より上の担当者が問題意識を持ち、次からは費用をかけてスイッチャーを持ってきて欲しいと言うかもしれない。

果たしてどれが「いいもの」であり「いい現場」なのであろうか。
それは物事を決めるスパンによる部分もあるかもしれない、その日だけで区切るのであればサービスで出したスイッチャーは「いい現場」を支えたかもしれない。
少し長い期間で見ればクライアント側に、できないという問題意識を持ってもらうことが結果的には「いい現場」を多くつくっていくかもしれない。

私たち技術者は、「できる」を増やし「応えれる」現実を増やしていくことを生業としている。
なので目の前で「できない」現実を見るのはつらい。

ではどうすることがよかったのだろう。
私は結果にこだわらないことではないかと思う。「いいこと」なのか「いい現場」なのかは見る人によっても、立場によっても時間によっても変わってくる。
ただ言えるのは自分がいなかったら起きていたであろう困ったこと、に自分が関わることで起きなくさせた、という事実をどれだけ多く、深く、そして大きく影響させていくか。
問題解決のツールとしての技術であり、知識である。
それは問題を起こさせないということも合わせて必要なことだと思う。
「〇〇したらもっといいのに」「〇〇があればもっといい現場になる」そんなことを言っている暇があったらやるべきなのだ。

そうnoteに「いいものとは・・・」とか書いている場合ではないのである。

未来を見ながら夢中で問題を解決し、夢中で創造を続ける。
そうすることで人生の大きな問題群にも解決の道をつけていけるのではないか、問題解決力と人間力が「いいもの」につながっているのは間違いない。

20世紀の朝陽 (1 - 1)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?