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正論は人を追い詰めるだけ

先日ある懇親会に行った。近くには自称カウンセラーの人がいた。ひときわ大きな声で自分の話をしていた。彼女はカウンセラーと名乗ったり、離婚カウンセラーと名乗ったり、結婚カウンセラーと名乗ったり、はたまたチャネラーで宇宙と交信しているとも言っていた。

彼女の所に一人の女性が相談に来たらしい。その女性は不倫をしているとのこと。何を相談に来たかは聞いてないが、その女性に自分は怒ったという話を自称カウンセラーは弾丸トークで周りに話をしていた。

その相手の家族の事を考えた事がありますか。
周りに迷惑かけているのがわかりますか。
倫理観から外れている事がわかりますか。

そんな話をし、自分ん所に相談に来る前にちゃんと整理してから話に来てくださいと言ったと鼻を膨らませ息を荒く語っていた。

私は不倫肯定派ではないが、このカウンセラーにはカウンセリングをしてほしくないなと思った。相談者なんだから、相談受けてやれよと思った私。話をしている目の前の女性自称カウンセラーはあたかも自分は正しい事をしている風の正義感ばりばり感じる口調で話をしていた。今の世の中では、法律では、倫理観的には正しいのかもしれない。しかし、正義なんて世の中変わればガラッとかわる。つまり自分の在り方ではなく世の中を軸にするような正義感はあってないような物ものだと思っている。そしてそんなフラつく軸を持っている状態での正論で相手話をしても問題は解決しないと私は思っている。

相談に行っているくらいなんだから真面目な人なんだと思う。だいたい別に不倫くらいいいじゃんと思う人はそのことに思い悩みカウンセリングにはいかないのではないかと私は思う。

だめだとわかっている、だけど相手が好き!たまらない止まらないっていう感情豊かな心の持ち主なのかもしれないし、ある意味心がピュアな人なのかもしれない(知らんけど)

正論で話を推し進めようとすることが一番人を説得できない状態だと思う。正論を言えば言うほど相手はひいていく。「あー、この人は話通じない人だな、スルーしよう」と相手の心はどんどん遠ざかっていくのだ。相手を説得したいとは自称カウンセラーの彼女はそもそも思っていなかったのかもしれない。自分の正義論で自分の価値観と違う目の前にいる人を自分の正義感の中で罰したかったように話を聞いていて感じた。

不倫女性は彼女から叱責を受け、「そうですよね」と泣きながら言っていたそうだ。

そして”やっぱ私は正しいよね感”で鼻を膨らませながらどや顔で話続けていた。

自称カウンセラーと名乗る人達にはこの目の前の人のような人が多いように感じてきた。私が思うカウンセラーは”話をきく人”だ。相手が自分とは違う価値観であろうと、自分には理解できない話であろうと、話をきく人である事が私の中のよりよきカウンセラー像だ。私だったらお金を払ってまで説教たれられたくない。それがわざと説教されに行くのであればバランスが取れているようには思うが、今回の話をきくとそうではないように感じた。

話をききながら、私は今まで自分がステキだと思うカウンセラーやコーチに出会ってこなかったように思った。そんな人にしか会ってこないという事に問題があるのかもしれない。
もしかしたらら私の周りにいる人は私に等しいのではないだろうか。こうやって人の様子を見て色々な事を思うという事は私にも同じような所があるのではないかと思う。

そもそも今こうやって書いているのも私の中の”べき論”であり”正義感”だ。私にも固定概念があり、強い正義感がある。だから自分の中の理想と違う様子の人が前に現れるととても心がざわざわする。それは私の中に”カウンセラーとはこうあるべき”というものがあるからだと思う。

きっと色々なタイプのカウンセラーがいるんだろう。だれかにとっては目の前のカウンセラーは最高のカウンセラーなのかもしれない。ただ私には足りないカウンセラー。ただそれだけのように思った。

こうやって書いていくことで自分の頭が整理されていく。つまり私はよい聞き手になりたいんだ。色々な人が話をしたくなるようなよい聞き手に私はなりたいんだ。そう思った。
私が納得し満足するそして喜ぶ。そんな聞き手に私はなりたいんだ。

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