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研究者のリアル/残る命、散る命

僕は旧帝大のライフサイエンス系の研究者でもありました。研究者の実態と少し思い出話を書きたいと思います。お目汚しになったらすみません。

研究者の徒弟性について

学部生と異なり、師となる指導教官につきその指導を受ける。同じ研究室内で全く系統が異なることもあるし、ボスの直弟子なこともありうる。

僕は独立行政法人化した後の大学院しか知らないが、教授陣は非常にペーパーワークが多かった。一部僕にもその作業はまわってきたが、報告のための報告みたいなものが多く、指導教官側の時間を削り取っていく。その限られた時間で弟子たちは指導を受け、実験を行う。


定期ミーティング① 進捗報告

修士課程や特任研究員をやっていたころ、定期的にミーティングがあった。

週一で交代しつつ、研究室のメンバー及び関係研究グループの面々へ各自の研究の進捗を報告するとともに担当以外の教授陣からの指導や指摘を受ける。こうして日々の実験に対する方向性を確認するとともに、学会発表等での予行演習を兼ねる。多分どこの研究室でも行われているのではないかと思う。

平たく言えば、自分の研究の穴を集中砲火されるプチ公開処刑である。この過程を経て、時に励まされ、時に心を病み、研究を進めていくのである。

ラボによるが、僕のいたところでは、新入生であろうと参加する以上発言必須であった。誰もが傍観者ではいられず、新人は必死に質問をするのである。

定期ミーティング② 輪読

それぞれが読んでいる英語の原著論文のなかから、関連研究の論文を読み、その実験方法や考察等を検討する。輪読と呼ばれるものも行っていた。

分野にもよるが、僕のいた領域では原著論文による発表により、日進月歩で遺伝子の機能の解明や可能性の示唆が出てくるため、基本空き時間は英語漬けであった。(僕の英語能力はTOEIC650前後なので別に高くはない)そしてそのなかから参考になりそうな論文を読み込んで、ラボのメンバーに紹介するのである。当然、これも穴があれば集中砲火する。



「論文を書け、さもなければ滅びよ」

当時のアカデミアの実情は「論文を書け、さもなければ滅びよ」という厳しい世界であった。知力の高い人間たちが魂と知性ぶつけて火花を散らし、己を削り限られた時間と期間の中で、独立行政法人となってひたすら書類作成に忙殺されながらも、結果を出すことに奔走する。その中で、世間一般に言えば優秀極まりない人材も壊れ、自死や脱落していくという厳しい世界であった。

脱落していった友人は紛れもなく優秀だった。正直、今、彼が部下として働いてくれるなら、結構なポストを任せられるくらいの素養があった。しかしそんな彼もテーマとして結果が得られないというある種の「運」に翻弄されてラボから消えていった。

そんな犠牲も辞さず、研究に打ち込む研究者はさながら、「真理を求めてやまない奴隷」のようであった。彼らはまさに命がけで研究をしているのだ。

悪夢の民主党政権と自民党が揶揄していたが、かれらの事業仕分けはアカデミアにとって猛毒であったと中にいた人間としては感じた。蓮舫をはじめとするあの時の議員たちは実際にこの作業の中に入ってみればよい。断言するが実力不足のものが迷い込めばひと月持たずに精神が損耗し、三か月後には心を病む。


象牙の塔の外

最後に、象牙の塔たるアカデミアを出て、まったく関係ない職に就いた僕の目から見た外の世界の風景について触れておく。

マジシャン、占い師などいくつかの職を転々としながら、中小企業の総務に入った僕は、異世界のようだった。

会議と言いながら、アジェンダも決めず忌憚ない意見の交換もしないだらだらと時間だけが過ぎ沈黙の支配するミーティング。論理性のかけらもない意見であってもそれを再考することのない環境、書類に対する完成度の低さ、まぁ数え上げればきりがない違いに打ちのめされる。僕のいた研究者の世界は特異な空間だったのだろう。現実には人は論理的ではないし、忌憚のない意見でやりあってからの止揚もできない。そもそも議論をすると論点がまとまっておらずグダグダになる。昼夜関係なく結果を求めて必死に魂を削ることもしないし、だらだらとしたなれ合いを好む。

若かった僕は、心底落胆した。更に僕はこの後人間関係の泥沼に引きずりこまれ、消耗する。ぼくはアカデミアではただの人であったが、どうやら一般的には「賢い人」であったらしい。愛憎、妬み、嫉み、理不尽、それでも、まだ生きている。そのことに意味があると信じたい。


参考サイト

こちらの方のnoteは研究科学の実態をつかんでいて面白かったので載せておきます。


研究者のつらみがこもったサイト。え?連載なんてしてませんでしたよ。




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