モラハラに遭う人は自己肯定感が低いのか?
被害者体質は自己肯定感が低いのか
モラハラ被害者の人に話を聞くと、
「モラハラ加害者は強くて自信満々」「私は弱いから強くなりたい。自信を持ちたい」って言うし、自己啓発の本を読んでも、高確率で『自己肯定感を高める方法』が載っているけど、
実のところ私は、「被害者体質って実は、自己肯定感は高いよね…?」と思っている。
だって、モラハラ人間って『なにやっても文句を言う人』なわけじゃない?
そんな面倒な人相手に、「どうせ何をしても無駄」と諦めることもせず、
「私が頑張ればきっと、機嫌を直して優しい人になってくれる!仲良くやっていける!」だなんて、自分に自信がないどころか、むしろ、自分の能力を信頼しすぎでは…?
確かに、被害者体質は自信満々ではないよね。
『ありのままの自分で愛される』なんて思ってたら、過剰に頑張ることも、モラハラに耐えることもないもん。
私も、子供の頃からずっと『私は嫌われる』という思い込みがあって、それだけ聞くと自己肯定感が低いんだけど、じゃあ人付き合いを諦めて引きこもっているかというと、ぜんぜんそうじゃない。
「嫌われ者の私でも 奮励努力すれば 仲間として認められるはず!」と、毎回頑張ってしまうし、「自信のない自分を直すんだ!」と思って、わざわざ事務職から営業職にジョブチェンジしたこともあったりする。
いやこれ、『自分に自信がない人』の行動じゃないよね…?
『自己肯定感』と『自己信頼感』
実は『自己肯定感』には種類があって、
A ありのままの自分で愛される、受け入れられる!という感覚
B やればできる!という感覚
ケース1(A+B)
私はなにもしなくても愛されるし、やればできる。
ケース2(Aのみ)
私はなにもしなくても愛されるが、自分では何もできない。誰かに助けてもらう必要がある。
ケース3(Bのみ)
私はやればできる!でも何もできない自分は、いらない子かもしれない。
ケース4(AもBもない)
私は何もできないし、誰にも愛されない。
どうでしょう?
『自己肯定感が全然ない人』って言うなら、ケース4の話じゃない?
被害者体質は、「ありのままの自分で愛される」とは思えないものの、「やればできる」自信はある。だからついつい頑張ったり、相手に尽くしすぎたりしてしまう。
つまり、「被害者体質は弱い、自信がない」というのは大間違いで、正しくは、『強すぎるし、前向きすぎるし、やればできると思いすぎてる』。
だから、「強くなろう」も「自己肯定感を上げよう」も、実はまったく必要じゃなくて、むしろ「やればできる!」「もっと頑張れる!」をやめるだけで、自己肯定感はどんどん上がっていく。
だって、もともと持ってるからね。
悪人(腹黒人間)はモラハラに遭わない?
被害者体質は、「見返りをください」とは言えない。だって、嫌われたら居場所がなくなってしまうから。
モラハラ人間はそれをよく知っていて、「嫌っちゃうぞ」「仲間はずれにしちゃうぞ」「不機嫌になっちゃうぞ」という脅しを使って、無料で、なんの感謝もせず、被害者を使い放題に使っている。
だから逆に
「おっしゃるとおり、私は嫌われ者で気が利かなくて、なにをやってもダメなんです。お邪魔になるといけないから、なにもしません」なんて人は、大の苦手なんだよ。
モラハラ人間は、自発的に差し出さない人からは、なにも奪えない。
だって、ああしろこうしろって言っちゃったら、『命令』とか『恐喝』になっちゃうから、そんな責任は負いたくない。
モラハラ人間が狙うのは、あくまで『良心を責めたら、自発的になにかしてくれる人』だけ。
だから、モラハラターゲットが『悪人(腹黒人間)』になれば、それ以上の利益を得ることができなくなり、結果的にモラハラが減る。
モラハラ人間に嫌がらせをするとか、言い負かすとか、そういう派手な立ち回りはしなくていい。そんなことしたら、仕返しにさらに仕返しされて、泥沼になっちゃうから。そしてその泥沼は、モラハラ人間には楽しくて、被害者には苦痛だから。
まとめ
モラハラに遭いやすい人(被害者体質)は、自己肯定感が低いからモラハラに遭うわけではない。むしろ「やればできる!」という自負が強すぎる人。
モラハラに遭うのは『良心やコンプレックスを責めたら、自発的になにかしてくれる人』だけ。
モラハラを撃退するのに、わかりやすい仕返しは危険。泥沼化して付きまとわれる。
以上です。最後までお読みいただきありがとうございます。