時間の余裕=心の余裕は成り立つか
ブカツ。シュウカツ。ネンマツ。
煮詰まりつつある。
どうしてだろう。
どんどん予定が入り、全てが面白くなっていくはずなのに、自分の心の余裕は。
時間の余裕=心の余裕
これは成立するのだろうか。
生活習慣を変え、1日1日を充実させようと思い、5:00起き21:30の生活を始めて3日目。
これまでいかに自分が無駄な時間を過ごしていたかがわかった。
ただ、自炊、食事、入浴、洗濯といったやるべき家事を早く終わらせているだけなのに、こんなにも気持ちいいのかと、正直驚いている。
(生活習慣についてもまた記事にしようと思う。)
そんなときに考えたのが、「余裕」について。
実際、身をもって体感したが、1日の時間を自分次第でどうにでもコントロールはできる。
スマホで動画を見たり、SNSをただ目的もなく見ている「無駄な時間」を削れば、それだけで時間に余裕はできる。
これと同様に、他作業もぎゅっと短縮させることができれば、勿論、何か他に充てられる時間は確保できる。
まあこんな感じで、24時間与えられた時間は、良くも悪くも自分次第ということは、皆も重々承知のことであろう。
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「時間ないわー。」「忙しいわー。」
多くの人が口にしたことがあるのではないだろうか。
この言葉を聞いた人は、これはあくまで、その人の主観であることを忘れてはならない。
確かに、中には、「いや、それ無駄な時間多すぎでしょ!さっさと行動すれば、いくらでも時間作れる!」と思う人もいるかもしれない。
どう考えても、これに該当する怠け者もいるが(笑)
アドバイス、指摘、強要とその人との関係性も含め、何とも難しいのだが、上記のような人もいれば、本当に詰め詰めの状態で生活している人だって世の中には存在する。
そんな両者のパターンを考えていて思ったことがある。
それは、時間軸での余裕と心の余裕は比例しないのではないかということ。
つまりは時間の余裕≠心の余裕になるのではないかということ。
時間に余裕があるから、心にも余裕があるということを前提に、1日のスケジュールを、分もしくは秒単位で全て詰められている状態なら、僕は耐えられないと思う。これは極限の話だし、もしかすると、うん、それでこそ充実してて、いいんだよ!と思う人もいるかもしれないが、僕はその次元では、とてもじゃないが生活していけない気がする。
全ての人に「何もしない時間」が、「何かできる時間」であるということは通用しない。
これは理解しておいてほしい。
これまでの自分を振り返ってもらいたい。
強要したり、断ったからもう二度と、、、なんて感覚になってないだろうか?
誘う側、誘われる側、積極的に承諾する人、断りたいけど誘いを断れない人、状況も様々ではあるが、皆それぞれにキャパシティがあることを忘れてはならない。
結果、時間の余裕=心の余裕は成立せず、時間の余裕≠心の余裕ではないかなと思った。
今の人との付き合い方を考えるキッカケにしてみてください!
って書いていると、キャパについても書きたいことが思い浮かんだので、また後日!