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2019/11/24 風をよむ「~フランシスコ教皇 来日~」

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               出展:『トランクの中の日本』J.O'Donnel

ここに一枚の写真があります。

弟とみられる子供を背負い、たたずむ少年…背中の子は既に亡くなっていました…

原爆投下から間もない長崎。少年はひとり、火葬場で順番を待っていたのです、弟を焼くために…

アメリカの従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が撮った、「焼き場に立つ少年」と呼ばれる写真。 

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この一枚の写真に、強く心動かされた人物が、先ほど、長崎に到着しました。

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世界に13億人以上いるカトリック信者の頂点に立つフランシスコ教皇。1981年のヨハネ・パウロ2世以来、ローマ教皇の来日は38年ぶり2度目となります。

教皇は去年1月、「焼き場に立つ少年」について、こう語っていました。

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フランシスコ教皇「この写真を見たとき、心を動かされ『戦争がもたらすもの』とメッセージを添え配りました。多くの言葉よりも人の心を動かす写真です」

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教皇は、この写真に「戦争がもたらすもの」とメッセージを添えて、世界中に配布。日本だけで20万枚にも及びました…。

原爆に強く心を寄せ続ける教皇が、今、訪れている長崎。

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東洋一の大聖堂を持ちながら、原爆によって無残に破壊された「浦上天主堂」や、

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去年、世界文化遺産に登録された「潜伏キリシタン」の集落があるなど、16世紀、ザビエルによる布教以来、ここ長崎は、キリスト教と深いゆかりを持ちます。

そして実は、フランシスコ教皇が、神父としての歩みを始めた時、最初の赴任地として希望したのも、日本だったのです。

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2013年、中南米出身者として初めて就任したフランシスコ教皇。

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就任後、教皇は国際社会が抱える紛争や難民問題などにも積極的に関わり、国際平和の実現のため、自ら影響力を行使してきました。

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その教皇が、繰り返し語ってきたのが、「核廃絶」への強い思いでした。

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フランシスコ教皇「原爆投下という恐ろしいことが広島と長崎で起こりました。長い年月が過ぎても、人々に恐怖と憎悪を抱かせています」

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2017年7 月、国連で122 か国の賛成によって成立した「核兵器禁止条約」

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唯一の被爆国である日本が、この条約に署名しない中、ローマ教皇が国家元首を務めるバチカンは、署名が始まったその日に、いち早く、批准まで済ませているのです。

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フランシスコ教皇の核廃絶への強い思い…。その思いを象徴する、ある出来事が―。

就任以来、核廃絶への強い思いを繰り返し世界に発信してきたフランシスコ教皇。

その教皇に今年3月、小さな火がともされたランプが手渡されました。

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手渡したグループの中には、「核兵器禁止条約成立」に尽力した、カナダ在住の被爆者・サーロー節子さんの姿も…。

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このランプの火は、広島で、原爆投下の直後、家族を亡くした遺族が、焼け跡から遺骨代わりにと、故郷・福岡県に持ち帰ったとされ、いまだともされ続ける「原爆の残り火」から採ったものです。

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火が灯されたランプを受け取った教皇は、核廃絶の願いを込めて、ひと思いに吹き消したのです…

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フランシスコ教皇「核兵器による破壊が二度と行われないよう、皆さんとともに祈ります。私の訪問が励みとなることを願っています」

長崎に続いて、このあと広島を訪問するフランシスコ教皇。被爆地からどんなメッセージを発するのでしょうか

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