福島・原発事故の自主避難者をめぐって
福島県の自主避難者の住宅提供打ち切りをめぐる国の関与を明らかにするスクープ等一連の取材で、テレビユー福島の木田修作記者は日隅一雄・情報流通促進基金「情報流通促進賞・特別賞」を受賞しました。6月12日金曜にオンライン授賞式が開かれます。
日隅一雄・情報流通促進基金
「情報流通促進賞・特別賞」のホームページは こちら から
■「令和」発表の日に
時にテレビは、日本や世界全体が、まるで一つの雰囲気になっているかのようにニュースを報じるときがあるけれども、日々ニュースは1つではないし、そういう気持ちになれない人たちは必ず存在する。
当事者にとって、おそらく2019年4月1日はそういう日だったのではなかろうか。
この日は多くの人にとって、新元号「令和」が発表された日として記憶されているだろう。ニュースは、1か月後に訪れる新しい時代への期待一色となった。しかし、失意の中にいる人たちもいたことを、言っておかねばなるまい。
この日を境に、原発事故後、避難指示が出されていない地域から自主的に避難をした「自主避難者」のうち、全国の国家公務員住宅に住む人たちが、その住まいを追われることとなった。年度が変わる直前の3月28日、福島県は国家公務員住宅に残る71世帯に対し、退去を求める書面を送付。退去しない場合は損害金として2倍の家賃を請求する旨を通告した。
ちなみにこの日、内堀雅雄福島県知事は、定例の記者会見で国家公務員住宅に残る自主避難者の数や2倍の家賃請求の開始時期について問われたが、
「まだ住まいを確保できていない世帯については、今後も戸別訪問等を通して一日も早く新たな住まいを確保することができるよう、県として支援してまいります。また、具体的な部分については、担当部局に直接聞いていただければと思います」
と、いずれも明言を避けた。
しかし、このときすでに、当事者たちには書面が届いていたことになる。
避難者の支援してきた福島原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)の代表幹事、村田弘さんは憤った。
「最後の最後まで努力すると言ったのに、信義違反だ。行き先が決まらない人、出られない人がいることがわかっていて、不安に陥れる。どう考えても行政のやるべきことではない。理不尽を超えている」
ひだんれんではこの後、内堀知事に退去と2倍家賃の請求の撤回を申し入れる要請書を届けようと県庁を訪れたが、知事室への入室は拒否され、書面は廊下で手渡された。
■「いつ裁判所から呼び出し命令があるのか…」
国と福島県は2017年3月に自主避難者への住宅無償提供を終了した。終了前、復興庁には全国の受け入れ自治体などから、支援の継続を求める意見書が100通以上届いていたことが後に判明するが、結論は変わらなかった。同様の意見書は福島県にも届いていたが、福島県も態度を変えることがなかった。
ちなみに、無償提供が終了した直後の記者会見で、当時の今村雅弘復興相が、自主避難者に対して「本人の責任」「裁判でも何でもやればいい」と発言したことがニュースになったことを覚えている人もいるかもしれない。
無償提供を終了すると同時に、福島県は住宅を失う可能性のある世帯に対し、公務員と同等の家賃を支払えば最大2年間まで住むことができる特例を設けた。この2年の間に帰還するのか、あるいは別の住まいを確保するのか、決めるように求めた格好だ。
そして、その2年が過ぎ、例外は認められなかった。
では、実際の自主避難者たちはどんな思いでいるのか。そしてなぜ退去できずにいるのか。実際にその話を聞いてみたいと思ったが、当事者たちと連絡を取るのは困難なことの連続であった。ようやく取材に応じてもらえる家族と出会えたのは、9月の初旬であった。新元号が発表されてから5か月が過ぎていた。
「いつ、裁判所から呼び出し命令があるのかとドキドキしています」
さいたま市の公共施設で、郡山市の教師・瀬川芳伸さんはカメラに向かってこう話した。瀬川さんの妻・由希さんと4人の子どもは国家公務員住宅に自主避難していて、瀬川さん自身は週に1回程度、車で郡山市からさいたま市に通う。
「郡山で妻と子ども2人いて、おなかに1人いる状態で震災を経験しました。すぐに避難してほしかったんですが、おなかにいる状態で避難するのもためらわれて、三番目の子どもが生まれて1年ほどたってから、こちらの方に避難してきました」
こうして始まった避難生活を、いま継続している理由はいくつかある。
多くの自主避難者と同様に、放射線への不安は根強くある。現在、郡山市の空間放射線量は概ね毎時0.1μSv前後で推移していて、国が示す毎時0.23μSvを下回っている状況である。 そのことについて尋ねると、瀬川さんはこう返した。
「放射性物質への不安だけではなくて、現状、正しいことを言っているのか言っていないのかわからないところがたくさんあって、危険性があるなら原発から遠ざけたいと思ったんです」
メインで子育てをする由希さんは、こう話す。
「確かに帰れなくもないと思いますが、さいたま市の環境にも慣れてきて、幼稚園の先生たちによくしてもらっています。違う生活をがらっと変えてしまうのは、子供のためにならないんじゃないかと。放射能の不安もありますが、子どもの不安もあります」
これに加え、震災後に生まれた四男が心臓に難病を抱えていて、主治医を変えることへの不安もあるという。
県の対応についても不信感を持っていた。
「最終的に県の担当者と直接話したのは今年の2月ですね」
県は個別訪問に力を入れるというが、この時点で半年以上も接触がなかったことになる。そして、その間に退去を求める書面と2倍になった家賃の請求書が届いた。
「公務員住宅をとにかく出て行ってくれればそれでいいと。私たちの暮らしとか、将来的なビジョンとかは無視です。出ていくためにはどうすればいいか、それだけでした。郡山の家を売ればいいという話もされました」
瀬川さん一家はいまも、避難生活を続けている。継続の理由は一つではないが、きっかけは原発事故である。
■見えにくくなる避難者の実態
自主避難者がどういう生活状況にあるのか、年々見えにくくなっている。住宅の無償提供が終了する2016年10月を最後に、国や福島県は自主避難者の調査をしていない。この時で2万6601人がいたことになるが、それ以降の統計は存在しない。2017年3月時点で全国に11万9163人いた震災の避難者が、2か月後の5月には9万7249人と、2万人近くも減少したのは、この自主避難者をカウントしなくなったためである。
しかし、カウントしなくなったからといって、避難生活が終わるわけではないことは、おわかりいただけるだろう。支援団体などは、調査をするよう再三にわたり要望してきたが、県は拒み続けている。
先日、新型コロナウイルスの影響で、派遣社員の雇い止めについて国が実態調査をしていなかったことがニュースになった。実態を調査しないからといって、問題が消えるわけではない。このニュースは、自主避難者の問題と地続きであるように思う。
一方で、避難指示が出ていない地域からの避難に、違和感を持つ福島県民も多い。自分たちが普段生活をしている場所から、避難をしているからである。これが県内でこの問題を語りにくくさせている要因の一つである。しかし、瀬川さんが語ったように、一概に放射線への不安のみで避難生活を継続しているわけではなく、そこには個々の事情があり、生活があることも忘れてはならない。
さらに自主避難者は、避難指示のあった区域からのいわゆる「強制避難者」のような賠償金は出ていないことも付記しておく。避難先で誤解を受け、あらぬ批判を受ける人も少なくない。母子避難者を中心に非正規で働く人も多く、中には月10万円台で生活している人もいる。そのような人にとっては、月2~3万円の家賃でも、大きな出費となるし、何かあればすぐに生活が立ち行かなくなるような状況にある。
国家公務員住宅の提供が終了する前後、支援団体には入居の継続を要望する連絡が相次いだ。このときのまとめには「兄弟で避難したが、弟に障害がある」「都営住宅に入りたいが単身なので応募資格がない」「収入が低く合致する物件ない」などの文言が続く。
ここで見えてくるのは、退去せずに居座っているのではなく、退去できずに残らざるを得ない人が残っているのではないかということである。こうして、近づけば近づくほど、避難生活の「個別の事情」が、ようやくぼんやりと立体的に浮かんでくる。
しかし、先述した二重三重の分断や支援の打ち切りは、問題をより語りにくいものにしてしまった。実態調査がされないこととあいまって、よりいっそう問題は見えづらいものとなってしまったように思う。しかし、繰り返すが、見えないことは問題がないこととイコールではない。むしろ問題は見えないことで、深刻になっているように思う。
■突然の連絡…そして情報公開請求
国家公務員住宅の家主は国である。国が福島県に貸して、県が避難者に貸すという方式をとっていた。国は国家公務員住宅提供の終了について、「県の求めに応じて打ち切った」と様々な場面で説明していた。同時に県が求めれば、提供の延長も可能との見解を示していたが、福島県はそれをしなかった。その理由について「すでに退去した人たちとの公平性の観点からそれはできない」という説明を繰り返していたが、私には不自然に思えた。
県が県民に厳しい態度を取り続けているのである。家主たる国が、強い態度に出るならまだしも、国は「県次第」と言っていて、県が県民に歩み寄りを見せない構図は、何とも奇異に思えた。時間の経過とともに、県はどんどん態度を硬化させ、2019年7月に県は2倍家賃の請求を始め、訴訟の準備に入っていた。内堀知事は会見で「避難先の自治体や、福祉・就労などの専門機関とも連携しながら支援をしていきたい」などと話していたが、常識的に言って、もはやこの状況で「支援」などと言ってみても、それが額面通りではないことは、明らかであった。拳と掌が同時に差し出されているのである。実際、目に見える形で支援が行われた形跡は、少なくとも私の取材からは見えなかった。
私は私で、素朴な疑問に答えが出ないまま、時間だけが過ぎた。そんな折、ある関係者から連絡が入ったのである。
「どうやら、県は本意ではないらしい。やっぱり国がやっているみたいだ」
目の前の状況と照らし合わせたとき、それはごく自然なことのように思えた。裏付けをとるために方々を取材した結果、それを示す文書があるらしいことが判明した。私は、福島県に情報公開請求をしてみることにした。
■無償提供の延長に難色示す国
※写真を一部加工しています
1~2か月ほどで請求した資料が揃った。それは情報提供者の話を裏付けるものであった。
大前提として、住宅の無償提供は災害救助法を根拠に行われている。災害で住宅が失われた場合、仮設住宅や民間賃貸を借り上げて被災者に住宅が提供される。最長2年とされていて、特定非常災害の指定がある場合のみ、1年を超えない範囲で延長が可能となる。今回の自主避難者への住宅の無償提供は、この1年の延長を繰り返してきた。この法律を所管する内閣府と国は、延長に向け複数回にわたり打ち合わせをしていた。
2015年4月23日。2017年度以降の自主避難者の住宅に関するやりとりがあった。
内閣府:自主避難者について、6年目までの延長はやむを得ないが、それ以降は支援策に移行するということでいいのか
福島県:あくまで現時点での方向である
内閣府:支援策がない場合はどうなるのか
福島県:支援策がなければ7年目の延長も考えざるを得ない。支援策は必要である
内閣府:支援策がないという理由だけでは延長の説明はできない
福島県:支援策は最低条件である
内閣府:基本的には市町村毎に延長する理由が必要だが、福島県の場合、地震・津波被害も混在し、個別市町村単位で終了するのは難しいということか
ここで見えてくるのは、延長に難色を示す国と、終了に伴う支援策の必要性を訴える県の姿である。国は災害救助法の原則を伝えるのみで、その原則以上の歩み寄りを読み取ることはできない。支援策を確保することが精一杯、というふうにも読める。
この後も、内閣府と福島県は3週間で4回の打ち合わせを重ね、最終的に「支援策への移行」つまり、住宅の無償提供の終了が決定した。2015年5月12日のことである。
その約1か月後、6月15日に福島県は無償提供の終了を発表した。
■「期限を決めた方が説得しやすい」
もう1つ注目すべき資料があった。
財務省と福島県との打ち合わせの記録である。財務省は、国家公務員住宅の家主で、その扱いをめぐる協議であった。時期は、無償提供が終了する半年前の2018年8月から9月にかけてである。福島県は、無償提供の終了に伴う支援対策などについて素案を示している。このときすでに、退去後に住宅を確保できない人がいることは想定されており、その「補完対策」についても話し合われた。8月26日の話し合いで示された素案の中には、延長は「1年単位とする」とのみ書かれていて、期限はない。これを財務省が指摘する。
財務省:補完対策の期限のイメージはあるか
福島県:期限を決めるのは難しいと考えている。使用許可は一年単位で考えているが、それにとらわれず退去に向けて取り組むのみ
この時点で福島県は、期限の設定に難色を示していた。これに対して財務省は、期限を設定する考えを伝えている。
財務省:ある程度期限を示す方向で考えており、民賃補助の期間と一致させることを考えている。また、期限を定めた方が説得しやすいと考えているが、その期間を越える対応が必要なときは別途協議してもらうしかない
福島県:意思を持たずに避難している人が最終的には問題となる。明確な意思を示さず、引っ越しなどの変化を嫌う。そのため、逆にその期間まで入居できると思われることが怖いが、確かに期限を示すことは効果的な面はある
ここで話し合われているのは、いかに退去させるかという議論であり、期限の設定についても「その期間まで入居できると思われることが怖い」という言葉が象徴するように、どちらの方が効果的か、という観点で語られている。
この問題を語るときに、行政側が繰り返す「個別の事情を考慮する」という点がどこまであったのか、疑問は残る。
そして何より、当事者や支援者との協議の場で「福島県からの要請があれば、延長も可能」という説明と大きく矛盾しているように思う。期限を求めたのは財務省であり、それに従ったことは明らかである。実際、この次に行われた9月7日の打ち合わせの方針案の中に「提供の期間は最長2年とする」という文言が初めて追加された。
この経緯の中で「福島県の意向に沿って対応している」というこれまでの国の説明は、どうしても事実と違うように思う。そもそも、福島県が要請できる立場にあったのだろうか。
これまで、避難者の支援にあたってきた避難の協同センターの瀬戸大作事務局長は言う。
「国に対してこれまで支援策の打ち切りについて、どこの判断でやったんだと言うことをずっと聞いてきた。ずっと一貫して、国が決めたことではなくて、福島県が全て判断したことだと。そういうことをね、ずっと国会議員の前でも、国はそういう主張してきた。でも、これを読むと、国の関与があったんじゃないかと考えざるを得ない」
そう指摘したうえで、こうも付け加えた。
「その国の支援策打ち切りに対して、福島県がそれはおかしいと。支援策を継続するべきだという事はやっぱり言いきれていない。そういう感じがしましたね」
一方、財務省は期限を求めたのではないかという私たちの指摘に対して、
「行政財産の使用許可については、原則1年以内、必要に応じて更新するものとしており、無期限の使用許可は想定していない」としている。
また、2年の期限については、「福島県は、帰還・生活再建に向けた総合的な支援策において、民間賃貸住宅等家賃への支援を2年間とする計画を策定していることから(中略)国家公務員宿舎の使用許可についても期間を一致させることとし」たとしている。
■終わりに
自主避難者をめぐり、今年3月に東京・東雲の国家公務員住宅に住む4世帯に対して、福島県は建物の明け渡しなどを求めて提訴した。福島県が原発事故で避難した福島県民を訴える事態にまで至った。避難の問題は、いまだ続く震災と原発事故の現在進行形の問題である。それと同時に、震災後も続いた数々の災害や新型コロナウイルスの感染拡大など、生きるためにこれまで続けてきた社会活動を止めて、別な場所に逃げるということと無関係でいられる人はいない。
避難とその後の生活というテーマは、絶えず検証されるべきであり、時間の経過のみによって解決しないことは、誰の目にも明らかである。
▽”家賃倍額請求“自主避難者は今 (2019年9月30日Nスタふくしま テレビユー福島)
取材:テレビユー福島 木田 修作 記者
1985年生まれ。青森出身。2010〜15年までTBS報道局で政治部、社会部を経験。17年に「熱源〜いわき市民ギャラリーとその時代」で吉野せい賞準賞。 現在、テレビユー福島の報道部で、県政や原発の問題などを担当。