“ホワイト・ライブズ・マター” in ザンビア ~「アルビノ殺し」現地報告(後)
イギリスがEUを離脱した直後、そしてパンデミックが世界を覆う少し前、ロンドンからアフリカ南部ザンビアに、現地で後を絶たない「アルビノ襲撃」取材に出かけた。「JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス」で放送した取材内容をさらに深く、二回に分けて。(前編はこちら)
三、ムトンガ
スーツの呪術医
鈍い色をした壁の平屋が見えてきた。
呪術医ジャンゴ・ムトンガ氏の診療所だ。
「呪術医」という言葉からは想像し難いかもしれないが、ムトンガ氏はブルーのスーツにYシャツ、ネクタイ姿で戸口に立っていた。胸のポケットからはチーフが覗く。頭頂部から後ろを覆う短く刈り込まれた髪。額に刻まれた皺。挨拶をする。私の手を固く握る。ハスキーな、そして地を這うような低い声。
診療所の中はとても暗い。「ああ、呪術だしこうやって暗くないといけないんだな」と勝手に納得していたのだが会話の中で最近建てられたためにまだ電気が引かれていないのだということが判明し、自分がステレオタイプに囚われているのを恥じる。すいません。
呪術医に会いに来たのは、アルビノ襲撃にはだいたい呪術医が関係しているからだ。持ち込まれたアルビノの体を処置したり、売ったり、という部分で関与する。そもそもアルビノの体に特別な力がある、という迷信はどこから来るのか。それによって人が殺されていることについてどう考えているのか。ムトンガ氏が直接関与していないにせよ、呪術医のモノの見方を知りたかった。
ムトンガ氏は父親も呪術医で、その後を継ぐ形で呪術医になった。インタビューは主に英語(&時に現地のチェワ語)で行ったが、ムトンガ氏は自分たちのことをwitchdoctor (呪術医)ではなくtraditional healer(伝統療法士)と呼ぶ。そして彼はこの地域の伝統療法士協会の会長でもある。
どんな病気を治せるのか、と聞くと、「様々な病気を治療できますよ。ただHIV/AIDSは無理です」と言う。が、「AIDSについても、薬草をまだ見つけていないだけで、森のどこかにあるはずですよ」と当然のように話す。現代医療にどっぷり浸かっていると奇妙に響くが、ムトンガ氏はサイドテーブルに置かれた何らかの枝、葉、粉などを見ながら続ける。「こういう薬を信じない人もいますよ。でもみなさん忘れているんです。その昔、病院も何もなかったころ、みんなこういう薬を使っていたんです」。確かに。近代的な薬ができる前、薬はほぼ薬草だったはずだ。
ムトンガ氏が受ける相談は病気だけではない。
「勝負ごとに勝ちたかったら、それに合った薬を処方します。就職したかったら、そのための薬をお渡しします。面接者はあなたを選ぶでしょう」
そしてある地方議会議員の名前を挙げて、自分が当選させた、と豪語した。ジョン(前編参照)が言っていた「選挙の時期にアルビノ襲撃が増える」という言葉が頭をよぎる。でも、そもそも当選させた、って、どういうことなんですか。
「当選したい人に薬を与えます。すると、あなたが別の候補者に一票入れるつもりで投票所に行ったとしても、投票ブースでその人の名前を見たら、気が変わってその人に投票してしまうんです」
そう言うとムトンガ氏は白い歯を見せ、静かに笑った。
こちらも釣られて笑う。「効くんですね」と相槌を打つと、少し真面目な顔になって「ええ、効くんですよ」と応じた。
どうやったらそんなことができるんですか?とても興味深いんですけど。
そう聞くと、
「それは秘密です。教えるわけにはいきません」と、また少し笑いながら言った。
“治すのが仕事 殺すことではない”
ただ、アルビノ襲撃について話をふると、強く非難する言葉が返ってきた。
「そんなのはカネに目のくらんだ奴らがやることです」
「我々、伝統療法士のやることではありません。そんな医者がいたら、私が拘束して資格をはく奪します」
「邪悪な薬を使ったら、その人間はもはや医者ではありません。我々の仕事は治すことです。殺すことではありません」
なぜ“アルビノの体に超自然的な力がある”という迷信が生まれたのか、彼らは具体的にどんなことを信じているのか、と聞いても「私にはわからない。そう信じている奴らを捕まえて聞いたらわかるんじゃないですか」と回答を避けた。知らないはずはないと思うが。
ムトンガ氏は“よそ者がやっていることだ”と印象付けたいようだった。「他の国からやってきて、人々をカネでそそのかして襲撃させているんでしょう。でも我々、ザンビアの伝統療法士はそんなことはしません」と。しかし直後に「他の地区ではあるかもしれませんが、ここルンダジでは、ありません」と、若干トーンが落ちた。
では、貴方や伝統療法士協会はアルビノ襲撃を止めるために何ができるんでしょうか?
この問いを投げた時、私が想定していたのは、例えば“啓発活動を行っている”“怪しい動きがあったら通報するよう会員に呼びかけている”といった回答だった。
ムトンガ氏の答えは私の浅はかな予想をさらっと裏切った。
「薬をあげましょう。アルビノの人たちを守る薬を」
なるほど、そう来たか。
インタビューを終えた後、薬の準備が始まった。
縫い針くらいの長さの針を木製?の土台に刺し、それにカミソリをとりつける。
何か飲料が入っていたと思われる青い透明なペットボトルから赤茶けた粉末を振り出し、その上に別のペットボトルからもう少し粒の粗く色の薄い粉をかける。アイスクリームが入っていた平たい容器を開け、その中に保存されている複数の包みから一つを取り出して開き、出てきた黒い粉を加える。それらを指先で混ぜ合わせ、針に取り付けられたカミソリに振りかける。続いて油のような茶色の液体を粉に加えてこね、さらにカミソリに塗り付ける。この針とカミソリで出来たものは家のそばに置いておけば魔除けになるのだと言う。
そしてまた新しいカミソリを取り出し、「処方例」の実演として、助手でもある奥さんの脚・腕・額に小さな傷をつけ、そこに先ほど油のような液体と合わせた粉をすりこんでいく。何かを唱えながら。こうすれば誰かが危害を加えようとしても指一本触れられることはない、そして効き目は死ぬまで続く・・・自信たっぷりにムトンガ氏は解説し、「アルビノの人に(ここに来るよう)教えてあげてください」と付け加えた。
「薬でアルビノ襲撃を防ぐ」と聞いた時には少々面食らったが、彼らの世界観から考えれば当然のレスポンスなのかもしれない。
玄関には診療所を訪ねてきた患者たちが取材の終わりを待っていた。ムトンガ氏の奥さんが一人ずつ招き入れ、同じようにカミソリで患者たちの手や額に傷をつけ、そこに薬をすりこんでいく。いつのまにか入り込んできた鶏がせわしなく歩き回る。呪術医はここでは日常風景の一つなのだ。その風景の中ではペットボトルに入った粉による治療も、就職のための「薬」も、そんなに違和感のないことなのだと想像する。
ムトンガ氏の診療所で見たり聞いたりしたことと、アルビノ襲撃は地続きではある。「非科学的だ。遅れている」と思う方もいるだろう。ただ、少々話の飛躍を承知で言えば、日本でも商売繁盛の熊手を買ってきて飾ったり、交通安全のお守りを車内にぶら下げたり、学業成就の絵馬をかけたり、縁結び寺や縁切り神社に行ったり、お祓いを受けたり、占い師に占ってもらったりする。中央アフリカ共和国の民兵が小銭入れのようなものを数珠つなぎにして首にかけて「これで敵の弾が当たっても大丈夫」と誇らしげに語っている映像を見てちょっとびっくりしたことがあるが、日本も戦時中には「千人針」があった。そうした様々な慣習は、きっと「科学的」ではない。もちろん「それは本気で信じているわけじゃない」「程度の差がある」・・・うん、それはそうだ。でも、人はどこかでこういう不思議な力に頼りたくなる傾向があるのは世界共通のコトで、ザンビアの例も、初見で受ける印象ほどには、距離が遠い話でもないのかもしれない、と思う。人間のそんな傾向に、「異質なものを排除する」というもう一つの傾向がかけ合わさったところにアルビノ襲撃の悲劇がある。人間が人間を自分と同じ人間だとみなさなくなった時、人間は人間に対して頗る残酷になりうる。
撮影機材を撤収して別れを告げ車に戻っていると、ムトンガ氏が診療所から出てきて、WhatsAppを交換しよう、と言った。
四、モニカと、もう一人のミリアム
アルビノのアスリート、教師の母。
ルンダジを後にして、マラウイとの国境地帯を南下する。
4時間ほどの道のりだ。
次の目的地は、国境沿いの比較的大きな町、チパタ。その近郊に、今回のザンビア取材のきっかけとなった女性がいる。アルビノのパラアスリート、モニカ・ムンガ選手(21)だ。アルビノによく見られる視覚障害があり、パラ大会ではT13と呼ばれる部門で競う。
前年ドバイで行われた国際大会では金メダルを獲っていて、東京パラリンピックへの出場は確実に思えた。
我々のザンビア取材に先立つ2019年の秋、モニカは日本を訪れている。東京パラリンピックになるべく多くの選手に参加してもらいたい、という趣旨で途上国の選手たちを招いてのトレーニングセッションがあったのだ。東京の同僚に頼んで取材に行ってもらい、その模様はTBSのニュースで紹介された。東京からロンドンに送ってもらった映像では、タイムが思ったように縮まらず悔しさを見せる表情と、子供たちとの交流会で見せた笑顔が印象的だった。
チパタの中心部を抜け、郊外を少し走った後、車は左折し、減速して少しデコボコした道を行く。両脇の草の背が高い。
モニカは家の前まで出てきて我々を迎えてくれた。緑色にオレンジのラインの入ったジャージ。ザンビアの国旗のカラーだ。家はコンクリートづくりのがっしりした平屋。聞けばモニカの国際大会の賞金で建てたのだという。
深紅の衣装を身にまとった母親のミリアム、そして幼い姉弟たちが同席した。姉弟たちの父親はモニカの父親とは異なる、そのあたりの事情は後程触れる。
外光がうっすら入るリビングルームでインタビューを始めた。
「障碍(disability)イコール能力がない(inability)ではありません。友だちにできることなら私もできます。肌の色が違うだけです」
「アルビノの人たちもスポーツをしたい人は「できない」と諦めずに積極的にするべきです。スポーツは人々との交流を増やしてくれます」
モニカはこうしたフレーズを言い慣れているようだった。ザンビア国内でもいろんなところで似たような話をする機会があるのだろう。もちろん経験から&本心からの言葉だろうけど、ちょっと紋切り型かな・・・。そんなこちらの勝手な懸念はしかし、時折放たれる「刺さる言葉」によって徐々に解消されていった。
例えば、彼女のこんな言葉。
「もっと上を目指して、私を笑っている人たちに恥をかかせてやりたいですね」
「私をかつて笑った人たち」ではなく「私を笑っている人たち」と、彼女は現在形で言った。
上で触れたように、国際大会では結果を残している。ザンビアのメディアにも取り上げられている。それでも彼女は「笑われる」存在なのだ。アルビノである、というだけで。
パラスポーツの知名度があまり高くないこともあるだろう。
「恥をかかせてやりたい」と言う言葉は彼女の悔しさの裏返しなのだろう。
同時に彼女の語りからは「アルビノ故に差別されること」に対して毅然と立ち向かうのだという強い意志、あるいは、闘争心とも言ってもいいかもしれない、そういった静かな熱が伝わってくる。
そんなモニカを叱咤激励し、支えてきたのが母のミリアムであることは明らかだった。
教師でもあるミリアムはまっすぐこちらを見て言った。
「アルビノの子供たちを家に隠してしまう親たちも多くいます。でも、それではダメです。(アルビノの子供たちを)社会の目に触れさせていくことで、社会の側も、能力に差がないことがわかるんですよ」
ザンビアの地方で、それは簡単なことではなかったはずだ。
でもブレずに、貫いてきたのだろう。肩をいからせた言い方ではないが、芯があった。
そこには教育者としての矜持も感じる。モニカは実の娘だが、ミリアムはもう一人、親に捨てられたアルビノの女の子を養子にしている。その子には歌の才能がある、と見込んでそちらの道を追及させている。
「子供たちは様々な可能性を模索すべきです。生き残るためにね」
「モニカは私が思ったよりも社交的で、様々な人と交流できます。そういう面を伸ばしていることを嬉しく思っています」
前向きさの塊のような母娘だが、アルビノ襲撃の話になると少々表情が曇った。モニカはトレーニングをしていると人々から襲撃に気を付けるようにと言われることも多いそうだ。どこかで襲撃があったと聞くと、ミリアムはモニカに単独行動や早朝や夜のトレーニングを避けるよう命じ、移動の際には信頼できる人間を付けるようにしている。
モニカとミリアムの警戒感はアルビノとして、あるいはアルビノの子を持つ親として当然のものではあるが、さらに一段深い理由があった。
モニカも実は幼少期に襲われたことがあったのだ。
しかも血のつながった親族に。
“注射器で血をとられた”
自宅でのインタビューの翌日、我々はモニカがよくトレーニングをする地元のスタジアムで待ち合わせた。スタジアムには400メートルのトラックがあるが、うち300メートルは草が茂り、一部は水浸しだ。
到着したモニカ、上着を脱ぐと東京パラリンピックのTシャツが現れた。唯一使える100メートルの直線を行き来しながら、軽いジョギング、ストレッチなどを行う。
本気では走らない。妊娠しているからだ。
予定日まで2カ月ほど。お腹はしっかり出ている。相手の男性はまだ若く、経済的に自立していないためミリアムは結婚を許していない。“今結婚してもモニカが苦労するだけ”と。
この時はまだ東京パラリンピックは延期されていなかった。モニカに「間に合うの?」と聞くと「まずは無事に出産して、すぐにトレーニングに戻るつもりです。そうすれば十分間に合いますよ」と、“何の問題もありません”、的なトーン。生まれてくる子供はパラリンピックを記憶するにはまだ幼な過ぎるけど、モニカは「大きくなったら賞状やメダルを見せます。そうすれば母親がアスリートだったって信じるでしょう」と、そんな日が来るのを楽しみにしている風だった。
この日はアフロのウィッグをつけたミリアムとモニカにスタジアムのスタンド席で話を聞く。前日のインタビューのあとの立ち話で、モニカもかつて襲撃されたことがあると知り、そこを突っ込んで聞きたかった。以下はミリアムの話である。
事件が起きたのはモニカが4歳の時だった。
当時、ミリアムはモニカの父親である前夫と、その親族と暮らしていた。ある日、ミリアムが買い物に出かけ、帰ってくると、モニカの背中に傷がつけられ、血が出ていた。着せていた白い服も切り裂かれ、血が付いていた。親族に「誰が私の子にこんなことを」と問うと、父方のおばがこう言い放った。
「“私の子”って誰のこと?このアルビノのことかい?一族の恥さらしだよ」
幼いモニカは、おばを指してミリアムに訴えた。「この人にやられた。カミソリで切られた。注射器で私の血を吸い取ったんだ」と。ミリアムが問い詰めると、おばは「呪術用に、と依頼されたんだ」と認めた。ミリアムは「この一族とは暮らせない」と見切りをつけ、モニカを連れて家を出たのだった。モニカの実の父がどこまで襲撃計画を知っていたのかは、今となってはわからない。ミリアムはその後再婚、自宅でのインタビューに同席していた2男1女をもうけた。
アルビノであるというだけで、血のつながった親族に自分の血を、身体を狙われる。酷い話だ。が、アルビノ襲撃において残念ながら親族の関与は珍しくはない。
ミリアムが話している間、モニカはずっと黙って聞いていた。当時のことは覚えていない。コトを認識したのは、大きくなってから背中の傷に気づいてミリアムに「この傷は何?」と聞き、教えられた時からだ。
(それを聞いて辛かったでしょう?)
「ええ・・・そうですね」
(でも、もう克服した?)
「はい。神様が愛して下さってますから」
今でも湧いてくる怒りと嫌悪感を露わに生々しく語ったミリアムに比べ、モニカは言葉少なだった。
ポジティブ全開に見える母娘の過ごしてきた21年という時間を想像する。襲撃事件をきっかけに壊れた家族。小学生のモニカ、中学生のモニカ、学校でもいろいろあっただろう。でも彼女は陸上に目覚めて才能を開花させ、首都ルサカに、そして海外にも出て行って結果を残してきた。ミリアムはそれをずっと支えてきた。「想像する」と言っては見たものの、その時間の濃さ、分厚さは、想像が追い付くようなものではない。
それでも来年予定通りにパラリンピックが開かれ、パラアスリートたちが東京に集まってくるなら、その一人一人が背負っているストーリー、特に障害者が厳しい生活を強いられることの多い国々から来るアスリートたちのストーリーを、少しでも想像してみたいと思う。
我々はその後、チパタから再び空港に近いムフウェのロッジに移動、再びぶっとい虫を目撃(複数)したあと、小型の飛行機でルサカに戻った。低空飛行の窓からは緑の大地をくねくねと曲がりながら遠くまで続く川が見えた。
後日談
取材から2カ月、イギリスが新型コロナの最初のピークを迎えていたころの4月12日に、モニカはWhatsAppで「男の子を出産した」と伝えてきた。母子ともに健康そうだ。良かった。5月には写真や動画も送られてきた。Saviour=救世主と名付けられたその子は、動画の中ですやすや寝ていた。肌の色は黒い。母親がアルビノだ、と指をさされることもあるかもしれないが、モニカは全力でこの子を守るはず。ミリアムがモニカを全力で守ってきたように。
7月にはタイヤを引っ張りながら走るモニカの動画も送られてきた。有言実行、早速トレーニングに復帰していたのだ。東京パラリンピックの延期は多くの人をがっかりさせたかもしれないが、モニカにとってはプラスに働くだろう。もちろん、ちゃんと開催されるかどうかは現段階では何とも言えないのだが。
アルビノのミュージシャン兼活動家のジョンは新型コロナの啓発ソングを発表、その一方で、新型コロナの「薬」あるいは「予防薬」としてアルビノが狙われる可能性があると警告を発している。実際、3月下旬には我々も通ったルンダジ~チパタ間の幹線道路沿いでアルビノの男性の遺体が発見された。無残な姿だったと報じられている。これとは別に、アルビノの墓が暴かれて遺体が奪われたケースもあったという。来年8月には総選挙があり、ジョンはこれに向けてまた襲撃があるのではと懸念して、警察と定期的に協議をしている。
なお、呪術医ムトンガ氏からのWhatsAppメッセージは、まだ一度も来たことがない。
診療所に電気は通っただろうか。
ロンドン支局長 秌場 聖治(あきば・きよはる)
報道局社会部、各種の報道番組、ロンドン支局、中東支局長、外信部デスクを経て現職。ドラマー。ザンビアの70年代サイケ・ロックにも興味あり。
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