ジョージ・フロイドさん死亡の現場で見た「希望」と「危うさ」
心が震えた。真っ先に思い浮かんだのは、キング牧師。公民権運動の時代、「私には夢がある(I have a dream)」を聴いた人々は、こんな気持ちになったんじゃないかと思う。
ジョージさんの弟のスピーチを事件現場で直接聞いたニューヨーク支局宮本記者は、直後にこうツイッターに投稿しました。「警察は守ってくれないから気をつけなさい」と取材クルーを気遣った自警団の若者、清掃ボランティアの高齢女性、「白人の沈黙は暴力だ」のプラカード・・・全米で大きなうねりとなる人種差別への抗議の声が、希望の歴史となるために、誰かを排除する動きにならないための考察。
「I can’t breathe」の衝撃
「息ができない(I can’t breathe)」。白人警官に首元を押さえつけられた末に亡くなった、ジョージ・フロイドさんの最期の訴えだ。2020年5月25日撮影の、見るのも辛いあの動画が出てきた時、「これは大変なことになった」と思った。「息ができない」は、2014年にニューヨーク市でやはり白人警官に制圧されて亡くなった黒人男性エリック・ガーナーさんの最期の言葉と全く同じだったからだ。エリック・ガーナー事件は、全米で激しい抗議活動を巻き起こし、人種差別の問題に光を当てた。あの言葉を聞いたアメリカの多くの人が、あの事件を想起したことだろうと思う。
問題の動画がニュースで取り上げられ、SNS上で拡散されると、各地で抗議活動が始まった。ミネソタ州ミネアポリスの事件現場に行かねばと思ったが、新型コロナウイルスが蔓延するなか、「密」な飛行機に乗ることは躊躇われた。陸路を調べてみる。ニューヨークからミネアポリスまでは約1930km、青森~鹿児島間とほぼ等しい距離である。数人で車の運転を交代して、「頑張れば行ける」距離だと思った。長旅を共にしてくれる取材チームに感謝しつつ、アメリカの広大さを噛み締めつつ、30時間以上かけて車で現場に向かった。結果的に、日本メディアで現地入りしたのは私たちTBSのクルーだけだった。
警察への不信感が生んだ「自警団」
ミネアポリス市内に到達したのは、5月31日の真夜中だった。ジョージ・フロイドさんが亡くなった現場には、車などが侵入できないよう、ゴミ箱などでバリケードが築かれていた。異様な雰囲気である。緊張しながら車を降りると、薄暗い住宅街の狭い路地から、3人組の白人の若者が、木製のバットを手にこちらに向かって歩いてきた。「ああ、終わった」と思った。ここで殴られて死ぬのか、と。
バットに目が釘付けの私に、若者たちは「あなたは誰ですか?」と話しかけてきた。予想外のフレンドリーなトーンに驚きながら、「日本の報道機関の者です」と答える。すると彼らは、「取材に来てくれてありがとう。ここでは万が一何かあっても、警察はあなたたちを守ってくれません。ジャーナリストは狙われるから、気を付けて下さい」と言った。
この若者たちは、地元住民で作る「自警団」の一員だという。暗闇に目が慣れてくると、街路樹の影や、駐車スペースの脇など、周辺のあちこちに同じような「自警団」が潜んでいることに気付いた。彼らは、よそ者が事件現場を荒らしに来ないよう、そして追悼のため集まる人を警察が排除しないように、寝ずの番をして周辺を守っているのだという。そこには、警察に対する強烈な不信感があった。夜間外出禁止令の出ている時間帯だったが、警察もこの一角だけには踏み込んで取り締まろうとはしなかった。
バリケードの先で見たもの 徹夜の「語り場」
「自警団」の守るバリケードの先におそるおそる進むと、風景に見覚えがあった。ああ、あのお店の前だ。映像で見た、ジョージ・フロイドさんが押さえつけられた現場だ。夥しい数の花、そして、100人は超える人々がいた。時刻はとっくに深夜0時を回り、夜間外出禁止令が有効な時間帯である(※報道機関は除外されている)。
真夜中に何をしているかというと、なんのことはない、語り合っているのである。信号機と街灯に照らされ、路上に100人以上が車座になり、誰かがポツポツと発する言葉に、耳を傾けている。若い人が多い。人種は様々である。車座にいた黒人女性から「こっちで一緒に座って、追悼して下さい」と招かれ、幾重にも重なった輪の、一番外側にそっと座った。
ある黒人男性は、自分の父親、さらにその父親も人種差別を受けてきた悲しみを語る。ある白人男性は、アメリカでよく言われる「白人の特権(White privilege)」というものをどう捉えているかを話す。時折、大声を上げる人が出てきて、全員で「ジョージ・フロイド!」と唱和したり、黙祷を捧げたりしている。
一人ひとりが、事件に衝撃を受け、「なぜこんなことが起きたのか」と自問自答し、胸の内を吐き出さずにいられないように見えた。互いの問わず語りから、何かを学ぼうとしている姿だと思った。
遺族・弟テレンスさんの訴え
全米での抗議活動の激化がピークに達していた6月1日。亡くなったジョージ・フロイドさんの弟・テレンスさんが現場を訪れた。彼は兄が亡くなった場所に跪くと、一度だけ、大声で「わー!」と叫び、嗚咽した。しばし、無言の時が流れる。そのうち、見守っていた群衆から、自然発生的に「ジョージ・フロイド!」の大合唱が沸き上がる。立ち上がり、メガホンを取ったテレンスさんは、群衆に次のように語り掛けた。
「弟である私でさえ、暴れて物を破壊したりしていないのに、みんな一体何をしているんだ?そんなことをしても兄は返ってこない。違う方法でやろう。自分自身で勉強しよう(Educate yourself)!誰かが教えてくれるのを待つのではなくて、自分で勉強して、選挙で投票するんだ」
間近で彼の言葉を聞き、鳥肌が立つほどの感動を覚えた。物事を変えるには、受け身ではいけない、まずは黒人自身が学ぶことからしか始まらないのだということである。公民権運動の盛んだった頃、キング牧師の演説「私には夢がある(I have a dream)」を聞いた人たちは、こんな気持ちになったんじゃないか、と感じた。そのくらい力強い言葉だった。
「これこそが私たちのコミュニティ」
ジョージ・フロイドさんが亡くなった現場周辺には、多数の花、追悼のアート作品やメッセージなどが寄せられ、ちょっとした「聖地」になりつつある。この「聖地」に訪れる人波が絶えないが、同時に、地元の住民がボランティア活動に出てきている。ある住民は、一部暴徒化したデモ隊に商店などを焼かれ、困っている人のため、缶詰の食料やオムツなどの生活物資を無償で配布している。ある住民は、現場周辺のゴミ拾いや、落書きを消すなどの清掃活動を行っている。また、ある住民は、追悼で捧げるための花を無償で提供している。誰かが号令をかけたわけではなく、「自分も何かできないか」とみな自発的に集まってきているのである。
ものすごい数のボランティアを眺めながら、「あれほど悲惨な事件の後に、人間の最も美しい部分を目にすることがあるのだな」と感銘を受けていると、上品な銀髪の白人女性に腕を掴まれ、「あなたどこから来たの?」と話しかけられた。「日本の報道機関で、ニューヨークから来た」と伝えると、その女性は、ボランティアの人々を指さしながら、「これが私たちなの。これを取材して行って。これこそが、私たちのコミュニティなの。あの残虐な行為は、私たちではないの」と言い、私の腕をさらにぎゅっと掴んだ。
続く抗議デモ…そこに見る「希望」と少しの「危うさ」
ミネアポリス内外でも、事件直後の数日間は暴徒化する者が出たが、私たちが訪れた5月31日以降、抗議活動は穏やかだった。ミネソタ州庁舎前では6月2日に数千人規模の座り込み抗議集会が行われ、警備に州兵も出動したが、炎天下、州兵は参加者に冷たい水のペットボトルを配布するなど、友好的なムードに包まれた。この集会、主導したのはなんと高校生である。会場には若者がひしめきあい、黒人、白人の垣根を超え、様々な人種が参加した。参加者の若い女の子は、こう語った。「変化(change)を求めているんです。必ず成し遂げます。変化が訪れるまで、止めるつもりはありません。私たち、燃えてます」
これは、ミネアポリスに限ったことではない。他の都市でも抗議活動は続いているが、黒人のみならず、白人、ヒスパニック系、アジア系、様々な人が街頭で声をあげている。そして若い世代の姿が目に留まる。「黒人だけの問題ではなく、皆で取り組まねばならない、普遍的な人権の問題なのだ」という当事者意識を持っていることの表れだろう。若い世代が本気で人種間格差の是正や教育、警察・司法改革に取り組めば、400年前の奴隷貿易からこの国で連綿と続く、根深い人種差別もいつか解消されるかも知れない――。「なんとナイーブな」と笑われるかも知れないが、そんな希望を抱かせる光景だった。
だが同時に、ほんの少しの「危うさ」も感じたことを、ここに正直に記しておきたい。抗議活動に参加した白人の若者のなかで、何人かが掲げていて印象的だったプラカードがある。「白人の沈黙は、暴力と同じだ(White silence is violence)」という標語である。つまり、いま人種差別に声を上げないことは、暴力を擁護し、差別を容認していることに等しいぞ、と白人に迫っているのである。もちろん、白人であれ誰であれ、差別に声を上げることが重要であることは論を俟たない。その上で、こうした白人への「同調圧力」が、あまりに極端な形で行き過ぎることがないか、私は懸念している。
今回の事件を受け、アメリカの多くの企業やブランドが「黒人の命は大事だ(Black Lives Matter)」のメッセージを出し、一連の抗議活動に連帯を示している。差別解消に向けた機運を高める大切な動きである。だが、そうしたメッセージを出した企業に勤める私の友人は、次のように違和感を吐露した。「単に“同調圧力”に流されてはいないか。今メッセージを出さないと、差別に加担していると批判されることを恐れたのではないか。企業がただメッセージを出すだけで、差別解消のアクションにつなげていかないなら、意味がない」。
行き過ぎた「圧力」は、何を生むだろう。
2017年、アメリカで「白人至上主義」が大きな社会問題となり、白人至上主義を標榜する団体の取材をしていたことがある。集会で彼らが掲げていたのは、「白人で居ていいんだよ(It’s ok to be White)」であり、「白人の命は大事だ(White lives matter)」という標語だった。彼らの話を聞いてみると、「白人(特に男性)であるというだけで、肩身の狭い思いを味わってきた」と考えている人が多い。たとえば奴隷制度、先住民の虐殺。現代に生まれ、直接関わったわけではないのに、「自分たちは理不尽に責められている」という思いである。
当時インタビューした白人至上主義/ネオナチバンドの元ボーカルの男性(今は足を洗っている)の言葉が胸に残っている。「アメリカ社会の中では、常に“振り子”が左右に揺れています。片側に大きく振れた振り子は、逆側にも大きく揺れます。教育現場は長い間、リベラル側に傾き過ぎました。授業では“歴史上、白人がこんな悪いことをした、あんな悪いこともした…”と言われます。そのように言われ続けると、なかには“じゃあもういいよ!”と反発し、過激な思想に染まる人が出てくるんです」。
いま、何らかの事情があってジョージ・フロイドさん死亡事件への抗議の声を上げていない人に、居心地の悪い思いをしている人がいないか。その人たちが「責められた」、あるいは「排除された」と感じることはないか。彼らが何らか極端な思想に行きつき、そこに安らぎを見出すことはないだろうか。考えすぎかも知れないが、「白人の沈黙は、暴力と同じだ」というプラカードを見ると、少しの不安を覚える。“振り子”のように、大きな動きがあると、反発する揺り戻しが必ず起きるのが、アメリカという国だと思う。そして、その振り子の振れ幅は、加速度的に大きくなっているように思える。
全米で止まない人種差別への抗議の声は、大きなうねりになっていることは間違いない。後世の歴史の教科書に載るようなターニングポイントになるのかも知れない。若者が立ち上がっている。そこには希望がある。だからこそ、この動きが誰かを「排除」することなく、全ての人を「包摂」しながら、少しでも差別のない社会の実現に繋がっていって欲しいと思う。
ニューヨーク支局 宮本 晴代 記者
報道局社会部で警視庁、文科省担当。のち、「報道特集」ディレクター時代は日本人遺骨問題を中心に北朝鮮取材を重ねる。「news23」ディレクターとしてトランプ大統領誕生の瞬間に立ち合う。2017年からニューヨーク支局で国連取材を担当しつつ、米国社会の森羅万象を見る。特技はハンガリー語。