〝ネガティブ・キャンペーン〟激化 ~逆転を狙うトランプ大統領
〝静寂の行進〟が問いかけること
日が暮れて、イースト・リバーの対岸で、マンハッタンの高層ビルのネオンが輝きだす頃だった。夕闇のなか、ブルックリン・ブリッジを数百人が歩く。新型コロナウイルスの死者を悼むデモ。人種差別問題などの抗議デモでは、憤りが込められた大きな掛け声があがる行進がいまも繰り返されているが、その日は、静寂の行進だった。
「17万5千人の死者」(※当時の数字。現在20万人を超えた)
「この死は、防ぐことができた」
手には小さなキャンドル。声を全く上げず、ボードを掲げながら人々は行進した。幾度も立ち会った人種差別に抗議するデモや集会で、その激しい怒りの声に感情を揺さぶられたが、この夜は、むしろ、この〝静寂さ〟ゆえに、世界最悪の死者数である20万人という「事実」が、心に重く突きつけられた気がした。足音だけが響く、特別な空気のなかで、死者や遺族の悲しみに思いを馳せた。静かに事実と向き合う時間となった。だが、この国の選挙戦は、それとは全く異なる様相を呈している。
トランプ大統領なら許されるのか?
米大統領選は、終盤戦に入っている。共和党大会のあと、トランプ大統領は、各地で遊説を展開。コロナ禍で大規模集会が禁じられていることも気にせず、当初は屋外で、さらに屋内でも始めている。
前回、このnoteでトランプ大統領の「ウソと誇張とレッテル貼り」について指摘したが、共和党大会での演説は、それでも行儀が良かった方、と言えるかもしれない。
激戦州とされるネバダ州ミンデン(9月12日)。集まった数千人の支持者を前に、リー・グリーンウッドの「ゴッド・ブレス・ザ・USA」が流れるなか、トランプ大統領が登場した。ちなみに、この曲は湾岸戦争(1991年)や同時多発テロ(2001年)当時、社会に愛国心が高まるなかでヒットしている。
演説は1時間半続いた。トランプ節は、テレビを通しても、エネルギッシュで、確かに聴衆を惹きつける。相手を虚仮にする毒舌には、独特のユーモアもある。私も、いわゆる〝トランプ慣れ〟なのか、つい聞き流してしまうこともあるが、「トランプ大統領だから許される」でいいのか、と問いながら、この日の演説内容を考えてみたい。
<大統領「3選」に言及>
●「我々はホワイトハウスで4年の任期を勝ち取るだろう。その後も、交渉しよう、いいよな?我々が受けた処遇を踏まえると、おそらく、さらに4年の資格があるのだ」
ほぼ、冒頭に近いところでの発言だ。米大統領は、憲法で3選が禁じられている。民主主義の根幹のひとつだ。再選の後に、さらに4年。つまり、現職の大統領が、憲法違反である3選の可能性に言及している。
<メディア攻撃>
●「ケリー・オドネルという、NBCテレビの消えていくような記者がいるんだが、知ってるか?…(中略)2万5千人もいるように見えたところで、『彼は1000人を集めました』と言ったんだ。…(中略)これはフェイクニュースだ」
まず、記者を名指しして批判した。さらに、こう続ける。
●「不動産業界にいて、ニューヨークでも、そこら中にいる、多くの不正直な人間を見てきた。私が思うに、メディア、フェイクニュースが、私の人生で、あらゆるところで見てきたなかで、最も不正直な集団だ」「(メディアは)我々の国を傷つけている。この国が抱える最も大きな問題は、フェイクニュース・メディアだ。民主党より悪い。民主党は、彼らの仲間だからだ」
何を以て「不正直」とするのか、特に根拠を示さなかった。別の集会では、このところ、それほど使っていなかった、「メディアは国民の敵だ」という言葉も復活させた。これも、メディアの根幹である信頼性を貶め、支持者とメディアを分断し、メディアの政権批判による支持離れを防ぐ狙いだろう。
<選挙の「不正操作」>
トランプ大統領は演説の冒頭で、民主党のネバダ州知事が感染拡大を恐れて、集会を中止させようとしたことに怒りをぶつけている。そのうえで、こう語った。
「(知事は)選挙、何百万票の責任者だ。だから、もし、私が数百万票勝っていても、彼は、選挙を不正操作できる。彼は選挙を不正操作できるのだ。…(中略)民主党、彼らは、この選挙を不正操作しようとしている」
現職の大統領が、選挙制度の信頼性に疑いを持たせる発言をしている。知事が、野党の所属という理由で「不正操作できる」と決めつけているが、そもそも民主党が不正操作をしようとしていることについても根拠を明かしていない。演説の中盤でも、「選挙は不正操作されるぞ。我々が負けるのなら、これしかない」などとも語っている。民主主義の基盤である投票制度を攻撃していることは、極めて重大な問題だ。
「私は、本当に意地悪くなれるぞ」の意味
演説は、民主党候補のバイデン前副大統領に対する攻撃へと移っていく。
「スリーピー(眠っているような)ジョー・バイデン」と、トランプ氏得意のあだ名から入ると、バイデン陣営の選挙広告に激しく憤った。
発端は、米「アトランティック」誌の報道だった。トランプ氏が2018年の訪仏時、パリ郊外にある米兵墓地で予定されていた慰霊行事を、雨で髪形が乱れることを嫌って欠席。側近に向かって、「なぜ行く必要があるのか?あそこに埋まっているのは負け犬だ」など述べたと伝えた。また、戦死した海兵隊員を「間抜け」と呼んだとされている。これをバイデン陣営が引用したのが、この選挙広告だ。
トランプ氏は、自分には「25人の目撃者がいる」と報道を完全否定。「自分が見たなかで最も悪意ある広告だ」として、こう宣言した。
●「いま、私は、本当にviciousになれる。私は、本当にviciousになれるぞ」
重要なフレーズは二度繰り返す。viciousとは「悪意のある、意地悪く」という意味。「彼に対して、badになれる」とも語っている。この宣戦布告とも取れる言葉は、相手陣営を激しく中傷する、いわゆる、〝ネガティブ・キャンペーン〟を加速させることを意味するのか。演説はこう続く。
<攻撃ワードは「極左」「中国」>
●「彼(バイデン氏)は、どこかの部屋に閉じ込められて、極左が我々の国を牛耳ろうとしているのだ」「彼は、我々の国を暴力的な左翼連中に征服させたいと考えている」
●「もし、バイデンが勝ったら、暴徒が勝利し、無政府主義者が勝利する。放火魔や国旗を燃やす連中、彼らが全て勝利するのだ」
「極左」「暴力的な左翼」。さらには、人種差別への抗議デモに乗じた、ギャングなどの犯罪集団による「暴徒」などと、バイデン陣営を、あたかも同じであるかのように印象付けようとしている。
●「もし、バイデンが勝ったら、中国が勝つ」
この選挙戦では、中国を「敵国」に位置づけている。この演説でも、中国からの輸入品に関税を掛け、農家に貢献したことをアピール。中国に対して、これ程の実績をあげた大統領は、他にいるのか、と支持者に問うている。「我々は中国を打ち負かそうとしている」とも訴えた。演説の後半では「バイデンの政策は、〝メイド・イン・チャイナ〟だ。私の政策は、〝メイド・イン・USA〟だ」「バイデンは、イスラム国の勃興を見て、中国の台頭を、とても肯定的な進歩だと称賛していたのだ」として、ここでも、〝バイデン=中国〟のように印象付けようという言動を繰り返した。
トランプ氏は、さらに子供じみた芝居も交えて、こう続ける。
●「ジョー・バイデンには、私たちの国を率いることはできない。…(中略)彼は、ただ眠りたいだけだ。それだけ。『ダーリン、ベッドで眠りたいよ。もう疲れ切った。きのう1回演説したからね』『でもダーリン、皆さんは、答えと質問をくれたじゃない』『そうだけど、大変だったんだよ。眼がね、プロンプターが見えなかったんだ』。この男は、最悪だ」
さらに、こんな言い方まで・・・。
●「彼は、大統領選の歴史で最悪の候補者だ。彼は、自分が生きているかどうかもわかっていない。自分が生きているかどうかもわからないんだ」
3歳しか違わないバイデン氏を、酷く老人扱いする。相手候補を尊重するという態度が全く欠けていると言えるだろう。
この後、前回の相手候補、ヒラリー・クリントン氏のメール問題やオバマ前大統領のノーベル平和賞受賞を強く批判。短く、北朝鮮や中東における外交の成果、経済回復についてアピールした。
そして、再び、民主党攻撃に戻る。副大統領候補のカマラ・ハリス氏が、大統領候補としては支持率を落とし、最後は2%になったことや、バイデン氏を「人種差別主義者」とも呼んだことなどを批判。
さらに、バンデン氏が当選すれば、ひどいことになると不安を煽った。
●「彼(バイデン氏)は、皆さんの税金を増やすだろう。悪いことを全てやることになる。バイデン政権の都市封鎖は、数千万のアメリカ人の人生や夢を永遠に破壊するだろう。私たちの子どもを完全に傷つけ、数え切れない自殺者が出る」
〝2つの危機〟では「論点のすり替え」
<人種差別問題>
黒人のジョージ・フロイドさんが白人警察官に首を圧迫され死亡した事件から、全米に広がった抗議デモ。警察組織などを含め米国社会に根強くある人種差別問題を改善させるべきという訴えだった。ところが、この問題に、トランプ氏は正面から向き合わない。抗議デモではなく、デモに乗じた「暴動」に焦点を当てる。また抗議デモが求めた警察改革を、「反警察」に位置づける。
バイデン氏が勝ったら、警察が機能せず治安悪化を警告する、この選挙広告について、演説で紹介した。
●「コマーシャルを見ただろう。女性が殺されそうになっていても、『すみません、いま、電話を取れません。24時間以内にかけ直します』。女性がレイプされていても『すみません、いま対応できません、予算削減されたので、来週中には行けるようにします』。これが起きようとしていることだよ…(中略)バイデン氏は法執行機関を敵と呼んでいるのだ。彼らは敵ではない。私たちの友人だ。私たちの偉大な友人だ」
この選挙広告は、明らかに誤っている。バイデン氏は、警察の予算削減には反対を表明している。<トランプ・警察・法と秩序>vs<バイデン・暴徒・犯罪と混乱>といった対立の構図を作りだろうと躍起になっていると言えるだろう。
●「バイデンの政策は、国内のテロリストを満たすものだ。私の政策は、国内のテロリストを逮捕するものだ。ジョー・バイデンは弱い人間だ。彼は、左翼、操り人形の主人がやりたいことを何でもする。知ってるだろう、見てみろ、ジョーは、何が起きているかわかっていない」
<コロナ禍>
死者の数など、世界最悪の事態に陥っている、この国の実態には触れずに、こう話した。
●「我々は、中国ウイルスを打ち負かしつつある」
新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼んで批判を浴び、一時期控えていたが、大統領選が本格化してからは、再び「中国ウイルス」を繰り返している。人工呼吸器や防護服の供給、検査体制の拡充、ワクチン開発の促進などの対策を強調した。確かに、この点は、トランプ政権の対策として評価する声もある。一方で、世界最悪の感染者数、死者数などは厳然たる事実であるが、対策が不十分だったことを認める発言はない。
●「バイデンが副大統領のとき、豚インフルエンザでは、彼は、全くもって悲惨だった」
新型コロナウイルスと豚インフルエンザの流行を比較するという攻めにまで出た。
演説の終盤でダメ押しの〝脅し〟
高いテンションのまま続いた1時間半にわたる演説。最後の10分で、ダメ押しとも言える〝バイデン攻撃〟に及んだ。
●「バイデンは、この経済回復を止めようとしている。回復を終わらせたいのだ。あなた方の家族を危険にさらそうとしている。彼は、社会保障を完全に破壊するだろう。…(中略)彼は、大増税をする。規制も復活させる。皆さんの年金を破壊し、老後の貯金や蓄えを無くすだろう。見たことがないほど、あなたの蓄えは下落するだろう。アメリカ合衆国憲法修正第二条(武器を持つ権利)を消し去るだろう」
人々の暮らしにとって、あらゆる不安と恐怖を並べ立てるような内容だ。
そのうえで、トランプ大統領の演説の締めは、この言葉だった。
●「再び、アメリカを裕福に、アメリカを強く、アメリカを誇り高く、アメリカを安全に、アメリカを偉大に」
〝ネガティブ・キャンペーン〟の影響は?
これらが、現職の米大統領の言葉である。1時間半の演説だが、基本的に、上記のような内容が続いている。冷静に政策を語る時間はほとんどなく、取り立てて、際立った発言だけを切り出しているわけではない。支持率でバイデン氏にリードを許しているトランプ大統領は、今後、さらに本人の演説や選挙広告で、バイデン氏攻撃を強めていく可能性が高い。一方のバイデン陣営の選挙広告でも、新型コロナウイルスに対するトランプ大統領の発言について、一部、文脈から切り離した意図的な編集をしており、ワシントンポスト紙から疑義を呈されている。
(トラヴィス・リドアウト教授)
ネガティブな広告は、有権者の投票行動にどのような効果があるのか、ワシントン州立大学政治学専攻のトラヴィス・リドアウト教授に訊いた。「ネガティブな広告は、常に、ではありませんが、効果はあります。すでに候補に関して有権者が信じていることに焦点をあてるときに、最も効果があるでしょう。投票への動きを止める力もあります。ただ、なかには、攻撃によって、投票に行きたくなる人もいるでしょう」と解説した。では、今回の大統領選において、トランプ、バイデン、どちらの支持者に影響があるのか、を訊ねた。
「この選挙では、私は、ネガティブ広告は、バイデンの支持者により大きな影響があると考えています。一つの理由としては、有権者の、トランプ氏の印象は、すでに、かなり固まっており、新たな情報がその印象を変えることは難しいのです。バイデン氏は、前副大統領として、よく知られていますが、攻撃を続けることで、彼の印象を変える余地はまだあると言えるでしょう」
米大統領選の歴史を振り返れば、1964年:民主党ジョンソンvs共和党ゴールドウォーター、1988年:民主党デュカキスvs共和党ブッシュ(父)、2000年:民主党ゴアvs共和党ブッシュ(子)などの選挙戦では、確かに中傷合戦も繰り広げられた。
だが、根拠も無く、相手候補を激しく中傷する。国や集団の「敵」を作り、相手候補と同一視させる。「絶対悪」と相手候補を結びつける印象操作をする。相手候補が勝利した時の、恐怖や不安を煽り続ける。幼稚な言葉による人格攻撃も厭わない…。こうした〝ネガティブ・キャンペーン〟の手法は、民主主義の国家で、踏み越えてはならない一線をすでに越えているのではないか。政治家が繰り出す煽情的な言葉や巧みな仕掛けを、有権者がどう冷静に判断するのかが、この選挙で試されている。
ニューヨーク支局長 萩原豊
社会部・「報道特集」・「筑紫哲也NEWS23」・ロンドン支局長・社会部デスク・「NEWS23」編集長・外信部デスクなどを経て現職。アフリカなど海外40ヵ国以上を取材。