「ありのままの田舎を売る」年間300組が訪れる人口830人の村【馬路村農協】
生産者が農産物を出荷したり、農業資材を共同購入できたり。農業従事者にとっては身近な農協(農業協同組合)だが、それ以外の人にとっては身近な存在とは言いにくい。そんななか、全国的にも異例の農協が、高知県東部・馬路村にある。村の名産であるゆずを使って加工品を自ら製造・販売し、年商30億円を達成。過疎地域である村の人口は約830人、かつ高知市から車で1時間半という立地ながら事業を軌道に乗せ、村おこしの成功例としても称賛されている。こうした逆境をどう乗り越えてきたのか?馬路村農協で販売事業に10年以上関わってきた、長野桃太さんに話を伺った。
農協だから達成できた年商30億
馬路村を位置検索すると、四方を山々に囲まれ、その狭間を縫うようにして小さな集落があるのがすぐ分かる。こうした立地から同村では長年林業が盛んだったが、全国的な林業の衰退を受け、1960年代からゆずの栽培に力を入れだした。10軒ほどの農家でスタートしたが、年々規模は拡大し、現在は約200軒の農家が年間800トンを超えるゆずを生産し、食品(70種)や化粧品(15種)に加工し、販売している。一般的には、買い取り価格も利益率も高い青果出荷を目指すのが産地の考え方だが、馬路村では99%が加工用。青果出荷はほぼ行なっていないのだと長野さんは言う。
「馬路村は全体の96%が森林で、平地が少なく畑面積は1%以下です。おまけに千メートル級の山々に囲まれ日照時間が少なく、寒暖差も激しいので、できるのは、小さくて皮の分厚いゆずばかり。大規模な農業は成り立たず、加工品としていかに価値を見出していくか、に特化してきました」
加工品に振り切ったその判断も鋭いが、この村がすごいのは、そうした生産、加工、販売までの全てを全て村人で行っていること。その一連の流れを作っているのが馬路村農協だ。とはいえ、人口900人足らず、かつ高齢化も進む地域の住人だけで、どうして年商30億を売り上げられるのか? その秘密は馬路村農協の公式サイト「ゆずの村 馬路村」にある。商品購入ページが設けられ、年間8万人の通販顧客の多くがここを通じて購入する。
「商品ページはありますが、商品そのものではなく、あくまで“馬路村の風を届ける”をテーマに運営してきました。実際、お客さんのなかには『馬路村のファンです』と言ってくださる方も多く、商品とお客さんが繋がっているのではなく、村とお客さんが繋がっているのを実感しています」
村のファンを増やすことで、購入者を増やし、売上を伸ばしてきた。公式サイトにアクセスすればその工夫は一目瞭然。開いた瞬間、村人や村の日常を切り取った動画が目に飛び込んできてはノスタルジーを誘う。村の日常を発信する「だいたい月刊新聞」や村の年間行事とゆず製品を使ったレシピが見られるレシピページ、絵日記を募るプレゼントキャンペーンといったコンテンツが満載で、商品ページの存在感はむしろ薄いくらいだ。だが一般的に、認知やファンの獲得が必要な通販は、軌道に乗せるのに時間がかかる。そこをどうクリアしてきたのか。
「当初20年は売り上げが立たず、苦戦しました。ですが、元々うちは総合農協として、金融事業や共済事業やAコープという購買事業も行なっていて。ゆず製品の販売事業が期待できない時期も、それらが経営の支えとなっていました。逆に、人口830人を対象とするそれらの事業は利益にはならずとも、村のインフラとして続けていかなければならないもの。ゆずが軌道に乗りだしてからは、ゆずがそれらの基盤になっています。その意味では、農協だからこそチャレンジを続けられた、とも言えますね」
生産から販売まで一貫して行う理由
馬路村農協で働く職従業員は90名。人口900人足らずの村では、この数字がいかに大きい数かわかる。まさに村をあげての一大産業。それを間近で感じられるのが「ゆずの森加工場」と隣接の「ゆずの森直売所」だ。増える観光客や視察者に伴い2006年にできたこの施設。農協の事務所や商品の製造ラインや出荷作業を、誰でも予約不要で見学できる。
馬路村愛を感じる名言が随所に掲げてあったり、工場内にはオリジナルキャラクターが散りばめられていたり、訪問者が楽しめる仕掛けがたくさん。地元の人がわきあいあいと作業する姿を見られるのは微笑ましいし、見学終了後にはゆずを使ったドリンクのサービスも。道の駅や観光施設ならともかく、農協としてこうした施設は珍しい。長野さんは言う。
「農協というのは良い意味でも悪い意味でも、(仕組みが)出来上がりすぎている組織です。大量生産ができれば農作物を全国の店舗に卸す方が楽ですし、農家さんの安定にもなりますが、馬路村の土地条件では難しく、成り立たなかった」
生産から販売までを一貫して行うという、独自ルートを切り拓く以外に道はなかった。また商品加工はロット数的に、通販は輸送コスト的に厳しい部分も多いが、多少無理をしてでもこの道を突き詰めるしかなかったのだ。
「まだまだ課題は多いですが、やはり村内で事業を一貫して行うことで、封入物だけではなく村の風を届けることができるし、村人が携わることでモチベーションや団結力も高まる。持続しやすい形になっていると思います」
自信をもって田舎を打ち出す
加工品に付加価値をどうつけるか?に、馬路村は長年向き合ってきた。そこには前組合長の東谷望史氏の存在が大きい。東谷氏は50年以上に渡り柚子の事業を牽引してきた人物。30年ほど前、物産展出展のために東京へ行った東谷氏の気づきが、商品価値のコンセプトに繋がったという。
「まだ田舎が都会を追いかけていた時代です。東谷さんのなかにも、田舎=恥ずかしく隠したいもの、という想いがありましたが、村の暮らしに関心を寄せてくれる人々に出会い『都会は田舎に欠乏している』ことに気づいたそうです」
自信をもって田舎を打ち出す。その考えが、高知に根ざしたデザイナー・田上泰昭氏作や同じく高知市内にデザイン事務所を構えるデザイナー・梅原真氏などと合致し、人気商品が生まれていった。田上氏作のイラスト「ごっくんぼうや」が描かれたゆず果汁ドリンク「ごっくん馬路村」や、梅原氏によるデザインの「ぽん酢しょうゆ ゆずの村」は、馬路村のことを知らずとも、目にしたことがある人は多いと思う。どちらも商品名からして「村」を堂々と名乗っている。
コロナ禍前には、同村への視察は年間300組を超えた。これも、同村が長年商品そのものではなく村を打ち出してきたことの結果と言える。
有機栽培・循環型農法は20年以上前から
小さな村が大きな事業を生む。そのプロセスのみならず、近年では同村の栽培手法にも注目が集まる。全てのゆずは有機栽培で、循環型農法を採用。ゆずを搾った後の白い部分=酢袋(すぶくろ)は加工に適さず、通常は産業廃棄物として処分するが、それを同村では村の製材所から出る木の皮と合わせて堆肥化し、農家に無料で配っている。「循環型」「持続可能」は近年のキーワードだが、ここでは20年以上前から行われていることだ。
「売上が立ってきた1990年頃頃から、環境に意識が向くようになりました。私たちの事業のゴールは常に、馬路村の豊かさを守っていくことです。村の山、川、人を守っていくために、有機栽培や循環型農法への切り替えは必然だったと今改めて思います」
地方創生の成功例として、また時代に合ったモデルケースとして、今も視察や問い合わせは耐えない。それでも「まだまだ成功とは言えない」と長野氏。
「新たに直面している課題はありますし、そもそも田舎は基本課題だらけ。地方創生は“一人の熱意と住民の粘り強さから”とよく言われます。馬路でいうなら、その一人は東谷さんです。それを、今後どう粘り続けていくのか?が私たちの頑張りどころに思います」
最後、長野氏に馬路村の魅力を尋ねると、「道ですれ違った人に必ず挨拶するところですかね」との答え。豊かな村が100年後も残る産業を。ヒントはいつも身近に落ちていることを、この村は教えてくれる。