働くことの意味について
最近、働くことの意味を考えることが多くなった。
経済評論家の山崎元さんは最後の著書の中でこう述べている(『経済評論家の父から息子への手紙』2024年、Gakken)。
旧来の(投資を絡めない)働き方は、「自分の時間を売ってお金を得ていた」に過ぎない点に注意しよう。これら(医師や弁護士など)の専門職も「自分の時間を売ってお金を得る」時間売りのビジネスモデルであることに変わりはない。古い働き方常識に従うと、成功しても大金持ちにはなれない。つまらない。やめておけ。
私は、山崎さんが「医師になれば裕福な生活ができる」という従来の考えが、日本経済の現状からすれば幻想に過ぎないことを端的に言い表していることに感嘆した。ここまで言い切れる人は今までいなかった。この本が発売時にamazon売れ筋ランキング1位であったことを考えると、仕事に対する考え方の新常識はこういったものなのだろう。今年4月から始まった医師の働き方改革も、山崎さんの言葉を借りるならば、「自分の時間を売りし過ぎるな。それを強いる職場は悪い職場である。」ということになりそうである。
しかし、仕事とは「収入のために自分の時間を切り売りする」こと、それだけなのだろうか?
もう一冊の本を紹介したい。日本初のユング派分析家資格を取得し、後に日本に臨床心理士資格を造った河合隼雄先生と、作家の村上春樹さんの対談(『村上春樹、河合隼雄の会いに行く』1999年、新潮文庫)である。
村上:紫式部はなんのために源氏物語を書いたのでしょうね?
河合:やっぱり自分を癒やすためでしょう。我々は難しい仕事をしているわけですが。それも、ぼくにとっては、ぼくの病いを治すためのひとつの必要なことなんです。
村上:河合先生にとって必要なんですか?
河合:そうです。そういう(心を病んでいる)人にお会いすることによって、ぼくの病いも癒やされていることがたいへん多いと思いますね。この仕事をしてなかったら、ぼくはおかしくなっていると思います。
ここに山崎さんと全く違う「働くことの意味」が示されている。私は、この違いは、これらの本が出版された時代の違いだけから生じているとは言えきれない、もっと本質的な意味を含んでいると思えてならない。
私は40歳を過ぎた頃から、自分の人生に対する疑問がどこからか沸いてきて精神的に苦しくなる経験をしてきた。そんな時にひもとく本は決まって河合先生の本だった。この対談を読んだとき、「河合先生も思い悩んで苦しかったことがあったのか?」とまず驚いた。しかし、少し考えて自分の考えが馬鹿みたいに浅はかだったことに苦笑した。河合先生は苦しい心理を人一倍抱えていたからこそ、人を救うことができたのだ。自分を救う方法で人をたくさん救ってきたのだ。そして、人を助けることで自分も救われてきた、ということだろう。
私は医師を30年間やってきた。医学を懸命に学ぶことで科学的思考法を手に入れることができた。医療を通じて様々な人々(病める人も、そうでない人も)と本気で交わることで、科学ではどうにも解決できない「人が生きる意味」を考える機会を頂いた。
そして、医師という仕事に多くの時間を費やすことで、大金持ちにはなれないけれど、私は自分のたましい(河合先生は魂と言葉が好きでなかった)が救済されている実感がある。
山崎さんはご自身最後の著作で、息子さんへのメッセージという形で、我々に現代の経済のあり方に対応した労働の新機軸を明確に遺してくださった。そして、河合先生は変わらぬ「働くことの意味」を村上さんとの対談の中でさりげなく示してくださったのだと思う。
働くことの意味を考えるとき、一つの視点で考えると見誤る可能性があるのではないか?なぜなら、働くとういうことには、収入を得ること、社会的役割を果たすこと、自分のたましいを癒やすこと、など、様々な意味が含まれているからだ。そして、それは人それぞれ違っていて良いのだろう。多元的な視点で考えて、私は、自分の「働くことの意味」に納得したいと思った。
注:参照させて頂いた文章は、読みやすくするために著者が小変更を加えてあります。
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