テレワークゆり物語 (134) 大好きな母とさようなら後の3つの行動
「数年前に亡くなった母のことを思い出しました」
「親を大切にしなくてはと感じました」
「由利さんのお気持ちを思うと涙が止まりませんでした」
親の介護のために奈良と北見を行き来する生活が始まって2年半。2022年11月9日、母は突然天国に行ってしまった。ひとり娘で母が大好きだった私は。悲しみの中、自分の記録のつもりで「(133)大好きな母とのさようなら記録」を書いた。
まったくもって個人的な話なのに、たくさんの方が記事を読み(10日で1000アクセス以上)、それぞれの思いで受け止めてくださった。家族はもちろん、SNSも含む友人たちのメッセージは、どれほど心の支えになったことか。
この場をお借りして、心からの感謝の気持ちをお伝えしたい。
そして、母の逝去から2週間が経った。
悲しくも忙し日々を過ごし、11月23日勤労感謝の日の朝、少し心の余裕ができたのか、自分の記録のために「続編」を書こうという気持ちにり、キーを叩いている。
この2週間、自分なりに決めて行動したことが3つあった。
■母のことを思い出したら、記録して忘れないようにしよう
母がいなくなって、何を見ても、どこに行っても、何度も何度も、母とのことを思い出す。
買い物の列に並んでいるだけで、
「中学の頃、一緒に海外旅行へ行って、パスポートの列に並ぶ、並ばないで、大げんかしたなぁ」
テレビで温泉特集を見かけただけで、
「北見で温泉の露天風呂に入るたびに、"ああ、ええ気持ちや~"と二人で嬉しそうな何度も言ったなたぁ」
食卓の上に置かれたアレクサを見るだけで、
「"アレクサ、今日は何曜日や"って毎日話しかけてたなぁ」
思い出すと、母がもういない事実に、寂しく悲しい思いに襲われ、鼻が詰って、涙が流れそうになる。
でも、ある時、こう思った。
「忘れてはいけない思い出ばかりや。悲しむのではなく、記録しよう」
それから、母のことを思い出すたびに、iPhoneを取り出し、Google keepにメモをすることにした。
「これで、母の小さな思い出も忘れないで済む」
そう思うと、思い出すたびに、少し前向きな気持ちになれた。
ばあちゃん(子どもができてから、母をそう呼んでいる)、いろいろ思い出させてくれてありがとう。忘れないよ。
■予定は変えずに、できるだけ仕事をしよう
葬儀が終わっても、母のことでやらなくてはいけないことが山積みだ。気持ちはもちろんのこと、自分自身の生活の立て直しには時間がかかる。
弊社の就業規則の慶弔休暇の項目では、「父母が死亡したとき 7日」となっている。それぐらい必要だと、私も思う。
しかし、私の場合は、少し違う。やるべき仕事が、母のことでできなかったら、後悔するような気がする。
私の仕事をずっと応援してくれた母だから、この気持ちはわかってくれるに違いない
勝手にそう考えることにした。
もちろん、自分以外でも可能な業務は社員に甘えた。
でも、自分にしかできない重要な仕事は、このことを理由に、先延ばしにしてはいけない。
実は、母が亡くなった夜、私が東京にいたのは、翌日の国の会議にリアル出席するためだった。
私自身が長く取り組んできた「テレワーク」に加え、本業ではないものの、ずっと思いを積み重ねてきた「オンライン教育」について、重要な会議だ。
母の命日となった、11月9日。もちろん、東京へはいけない。しかし、テレワークでその会議に出席し、しっかり説明を聞き、しっかり自分の意見を述べ、役目を果たすことができた。
さすがにその週は重要業務のみだったが、翌週は、母関連の手続きのための中抜け時間はあるものの、実家でできる限りの仕事をすることができた。
テレワークのおかげである事はもちろんだが、その間の父の食事や心のケアなど、娘たちが協力しあって助けたくれたことが大きい。
おかげで「母のことがあったので、仕事がほとんどできない」という状況にはならず、わたし的には、気持ちが楽になった。
■母のことが無かったらできなかった事をしよう
悲しいことやつらいことがあった時、落ち込むだけだともったいない。
その事が起こらなかったら、できなかった事をしよう。
それによって幸せな道を開くことができたら、その事自体を「良かったこと」にできる。
過去は変えられないけど、未来は変えられる。マイナスを、プラスにできるよう行動しよう。
今回のことに限らず、三女に「気持ち悪いほど前向き」と称される、母譲りの基本思考だ。
母は、24時間介護が必要というほどではなかった。ただ、私が実家をあけると心細くなり、不安になる。だから、宿泊を伴う出張は、最小限にしていた。
たとえば、以前実施していた「テレワーク行脚」など、自分次第の急ぎでない活動は、最近はあえて控えていた。
今、テレワークは、日本に定着するかどうか、重要な岐路にある。
「自分は、今、何も行動しなくていいのか?」という思いはずっとあった。
母のことは悲しいけど、だからこそ、できなかった事をしよう。
そうだ。テレワーク行脚を再開しよう。
2022年11月22日、東京の永田町に出向き、私のテレワークに対する思いや、テレワークの重要性を認識していただいている、野田聖子衆議院議員と、福田達夫衆議院議員を訪ねさせていただいた。
日本のテレワークが今、岐路にあること
現在のテレワークの課題は何か
テレワークの適切な定着のために、具体的に何が必要か
をお伝えした。
私には、国を変える力はない。でも、力のある人に伝えることはできる。
母の思い出を大切にしつつ、母の死をマイナスにしたくない。
そんな思いで行動した二週間だった。
って、カッコいいことを書いてみたけど、やっぱり寂しいよね・・・。
※冒頭の写真は、2020年の夏、北見の家で母とのんびりお話していたときの何気ない思い出。
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