見出し画像

39歳父の竹修行奮闘記 第三十回「現代の名工 廣島一夫」

【前回までのあらすじ 】
39歳でひょんなことから別府で竹細工を学ぶことになった私。第一課題「六つ目編み盛りかご」、第二課題「鉄鉢盛りかご」が完成し、夏休みを経て、いよいよ二学期、第三課題「網代編み小物入れ」、第4課題「菊底編みバスケット」、第五課題「亀甲編み平皿」が完成し、家でも竹仕事をスタート。

この週末の3連休を利用して、宮崎県の日之影町というところへ行ってきた。目的はただひとつ、廣島一夫さんの作った道具をどうしても見たかった。

まず廣島一夫さんの紹介をしよう。

廣島さんは1915年生まれ、1930年に竹細工職人に弟子入り、1933年に独立、その後2013年に亡くなるまで、80年以上に渡り様々な竹の道具を作ってきた。彼の作った道具は今も地元民に広く使われ、その一部はアメリカのスミソニアン協会・国立自然史博物館、宮崎県総合博物館、日之影竹細工資料館に収蔵されている。

私が廣島さんのことを知ったのは、師と仰ぐ稲垣尚友さん(以下、尚さん)がきっかけだった。別府へ発つ直前に尚さんを訪ねると、餞別に一冊の図録をくれた。

「見ると自信なくすから見ないほうがいいかも」

それは「日之影の竹細工職人 廣島一夫の仕事」展の図録で、尚さんが編集を務めていた。別府に来て竹細工を始めてからも、折に触れて図録を開いては、廣島さんの作る道具の美しさとパワーに圧倒され、いつか日之影を訪ねたいという思いが募った。もちろんなくす自信などない。

そして今回ようやく日之影を訪ねることができた。

日之影町までは別府から車で2時間半ほど。ちなみに今ニュースでしきりに報道されている事件が起きた高千穂は日之影のすぐ隣だ…これには驚いた。

まず見学を予約しておいた竹細工資料館へ。宮崎県総合博物館の所蔵品は常設展示されておらず見れないため、廣島さんの仕事を見れるのは資料館のみだ。

観光案内のおばちゃんが鍵を開けてくれて階段を登り展示スペースへと足を踏み入れる。手を触れないで、という張り紙がそこここに貼られているが、「触ってもいいですよ」とあっさりOK。あの廣島さんの作ったものを触れる!見るだけでも鼻血が出そうなのに、触ったら昏倒しそうだ。

廣島さんの仕事の特徴はなんといってもその作りの精巧さ、そして作る道具の幅広さ、さらに徹底した使い手目線の道具作りだ。

この機会を逃すまいとひとつひとつの道具をためつすがめつしながら、細部まで写真におさめていく。しかし本当にすさまじく美しい仕事だ。

例えば片口ジョウケ。

おわかりだろうか。どの細部を切り取っても美しい…ため息が出るほど美しい…

他の展示品もひとつひとつ紹介したいのはやまやまだが、紙幅に限りがあるので、なんとなく雰囲気だけでも楽しんでいただこう。

そしてきわめつけがこちら。養蚕農家が桑の葉を摘むときに使ってたという背負いかごだ。

大人一人ゆうに入れるほど大きいのに、背負ってみると驚くほどに軽い。竹でないと絶対にできない道具、さすがである。

竹細工資料館で至福の時間を過ごしたあと、観光案内所のおばちゃんの紹介で、廣島さんの旧家を見せていただくことに。

外から見ると何の変哲もない平屋建てだが

ここが廣島さんの仕事場だ。長いものだと10メートルほどの竹を扱うこともあったそうで、奥と手前に竹を通せるような穴が掘ってある。

足が悪かった廣島さんは、四角い穴に足を入れて竹仕事をしていた。この場から幾多の素晴らしい道具が生まれたかと思うと、感慨深い。生前の仕事の様子も見たかった…竹に目覚めるのがもう少し早ければ…悔やんでも悔やみきれない。

廣島さんは足が悪かったせいで小学校にも行っていない。でもすごくウィットに富んだ印象的な言葉をたくさん遺した。

いつも竹のなりたい形を考えている。おりの気持ちで…じゃいかん。竹の気持ちでやらんと。
人よりいいものを作るというのが職人の原則じゃった。これは金にはならないというのは人間の愚痴じゃ。
自分はただ竹と暮らしているだけ。上手下手はその人の一生懸命の中から出てくる。一生懸命やったと自分に納得ができればそれでいいです。
おりが作る籠は見るためのものじゃねえとよ。使うためのものじゃ。

あえて「作品」と言わず「道具」という言葉を使ってきた理由を理解していただけだろう。彼は見るためのものは一切作らなかった。使われることだけを考えて、竹の声に耳を傾けながら、多くの素晴らしい道具を作った。

地元の古道具屋にでも廣島さんの作った道具がないかと地元の人に尋ねたが、農家はみんな現役で使ってるし使い勝手がいいから売りに出ることはないだろうとのこと。朽ちるまで使われ続ける道具を作る名工、なんて素晴らしいんだろう。

その後、日之影町で活躍する若手の竹細工職人である小川鉄平さんを訪ねた。小川鉄平さんに関してはこちらのサイトに詳しく紹介されているのでご興味ある方はぜひ。

忙しいところ時間を作って下さった鉄平さん。とても気さくな方で、竹仕事のみならずいろんな話をざっくばらんにしてくれた。鉄平さんは、現在竹仕事に関わる人としては珍しく、私の通う訓練校を出ておらず、18年前に日之影に移住してから飯干さんという職人に弟子入りして一から竹細工を学んだそうで、やはり竹との向き合い方やアプローチがまるで違う。作った道具も見せてもらったがどれもすごく素晴らしく、深く感銘を受けた。

話に夢中になりすぎて写真を撮るのを忘れてしまった…申し訳ない。

人口わずか3500人ほどの日之影町。

このおよそ一般的には無名の土地が、私にとってはまさに聖地のような輝きを放つ。

竹で行き詰まることがあったら、また帰ってこよう。心からそう思える旅だった。

今回の旅で得たものを今後の竹仕事にしっかり活かしていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!

竹遊亭田楽
いつもご覧いただきありがとうございます。私の好きなバスキング(路上演奏)のように、投げ銭感覚でサポートしていただけたらとても励みになります。