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39歳父の竹修行奮闘記 第三十ニ回「バーキが作りたい!〜沖縄の竹細工〜」

【前回までのあらすじ 】
39歳でひょんなことから別府で竹細工を学ぶことになった私。第一課題「六つ目編み盛りかご」、第二課題「鉄鉢盛りかご」が完成し、夏休みを経て、いよいよ二学期、第三課題「網代編み小物入れ」、第4課題「菊底編みバスケット」、第五課題「亀甲編み平皿」が完成し、家でも竹仕事をスタート。

いま作りたいものがある。しかし手持ちの資料には載っていない。以前にも書いたが、竹細工に関する資料は驚くほど少ないのだ。

作りたいものがあっても、ひごの幅/厚さ/長さ/本数や仕上がり寸法などが記載されたいわゆる「レシピ」がないと、現物を元に手探りで作らなければいけないため時間がかかるし、場合によっては仕上がらない。

そんなわけでまだ見ぬ竹細工資料を探してネットの世界をうろついていると、とあるブログを発見した。

そこには見たことのない竹細工の「レシピ」の画像があるではないか。

しかもまさに作りたいと思っていた菊底で巻縁のざる!

こうしちゃいられない。まずブログ主にメールをして資料の詳細を尋ねてみると、なんとすぐに返信が。

これまた古い記事ですね

えっとおそらく竹細工っていうタイトルのやつですかね、、

沖縄市の郷土博物館で作った資料だったかと思います

在庫があるかはわからないですが

沖縄で昔作られた細工物の記録と簡単な編み方のパターンが載ってた気がします


とりいそぎ

なぬ、沖縄市の郷土博物館?さっそくネットで調べて問い合わせフォームから資料について問い合わせてみた。

待つこと2日、返信が来た!

ご質問ありがとうございます。

「竹細工の資料」は沖縄市文化財調査報告書36集「上地のバーキづくり」のことと思います。
申し訳ありませんが、現在、この報告書は在庫がないため、入手可能な方法がありません。

その代わり、報告書のPDFの形で保管しておりますので、CD-Rで郵送は可能です。
書籍ではなく、PDFでも問題なければ、郷土博物館メール(kyodhk@city.okinawa.okinawa.jp)にお返事いただければ、後日お送りいたします。ご検討いただければ幸いです。

データをくれる!そんないい話があるものかと目を疑う私。でも確かにくれると書いてある。なんて素晴らしい対応なのだろう。

ちなみに「バーキ」というのは沖縄では竹かごのことで、穀物や芋を入れる深めのもの。クラスメートが前に作ってて、そのフォルムと野趣に魅了されていた。

早速送付先の情報を送り、待つこと一週間。

お待たせしてすみません、先日ご依頼のありました「上地のバーキづくり」報告書、
先ほど手続き終わり、発送準備できました。
遅くとも来週にはお送りできるかと思います。
なお、本報告書を一般的な出版物で転載される場合は別途申請が必要となりますので、
その際にはご連絡ください。

本当に送ってくれた!!

そして昨日、データが入ったCDが無事我が家に到着!

期待に胸を膨らませながらパソコンにCDを読み込ませる。

………

………

なんだこれは!!!!!

まず驚いたのは、紹介されているかごの種類の多さ。数種類あればいいなぁという私の予想を見事に覆し、28種類ものかごのレシピが掲載されている!

しかもしかも。レシピだけでも非常に非常にありがたいのに、さらに第三章では詳細な作り方まで(しかも手書き!)で紹介されているのだ。

ここまで詳細に書かれた作り方の資料は非常に稀で、「分からない人は細かいことを書いてもわからない」「分かる人は細かいことかかなくても分かる」のどちらかの理由で、細かい説明は割愛される傾向があるのに、本当に懇切丁寧に説明してくれている。技術を後世に伝えようという熱意がハンパない。

その熱意、しかと受け取った。

そして今回いただいた資料には大きな特徴がある。

「民具」しか紹介されていないのだ。

民具(みんぐ)とは、民衆(柳田國男のことばでは常民)の日常生活における諸要求にもとづいてつくられ、長いあいだ使用されてきた道具や器物の総称。渋沢敬三によって提唱された学術用語である。

別府竹細工でも民具を作る職人はいるにはいるが、やはり少数派であることは否めない。とりわけ現代において、民具と職人は相性がよくない。民具は庶民の道具である以上単価を上げることができない。民具を作っていては職人は糊口をしのぐことすら難しい時代なのだ。

だが私は民具を作りたい。

極論すると、民具以外に興味が無い。

だからどうやったら民具を作り続けられるかを必死に考えている。きっと職人という道に進むことはないだろう。民具を生涯にわたって作り続けるために、趣味でも職人でもない、第三の道を模索していくつもりだ。

そんな私にとって、民具についてここまで丁寧かつ詳細に記載された資料は、本当に本当に、それこそ家宝にしたいほどありがたいもので、今回対応してくれた沖縄市郷土博物館の川副さんには足を向けて寝られない。

せっかくいただいた資料、さっそくクラスメートにもシェアしている。そしていつかクラスメートとともに、作ったバーキを手土産に川副さんにじかに謝意を示しに行こう。そのころには辺野古の海はどうなってるだろう。

そしていつか日本全国の竹細工関連の民具を網羅したデータベースを作成するのが夢だ。詳細なデータさえ残しておけば、たとえ後継者不在によってある技術がついえても、どこかの誰かがまた始めることができるかもしれない。顔が濃くてよく沖縄の人と間違えられる東京生まれ東京育ちの私が、こうして沖縄のバーキを作り始めるように。

さあ新たな資料もそろったし、バーキ作りにもチャレンジしてみよう!

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竹遊亭田楽
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