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プールに浮かぶ愛

僕の両親は毎週金曜日に決まってプールに行く。
両親ともに50代になってから健康に気を使うようになり、運動を習慣にしようと去年ぐらいから行き始めたのだ。
毎週のプールがどうやらとても楽しいようで、その喜びを共有したいのか両親は僕も一緒に行かないかと行くたびに誘ってくるようになった。
本気で来て欲しかったのか僕が知らない間に僕のための水着も買っていたくらいで、何度もしつこく誘ってきた。
しかしもう20歳になったし、いまさら両親と一緒にプールに行くのはなんか恥ずかしいし、そんな年齢でもないだろう。
そう思っていた私は両親の誘いを断り続けた。毎週のように根気強く誘い続ける両親だったが、僕も屈さず断り続けた。
そうしてやがて折れた両親はいつからか僕を誘うのをやめてしまった。

大学の春学期が終わり、夏休みに入ってから僕はとてつもなく暇になった。せっかくの夏休みをただボーッと消化していくような、退屈な日々を過ごしていた。
するとそんな僕を見てなのか、ある金曜の夕方、久しぶりに両親が「プール行くか」と私に声をかけてきた。いつもなら絶対に断る誘いを、変わりのない日常になんらかの刺激を求めていた僕は受け入れてみることにした。

幼い頃、夏になったら何度も家族で通ったいつものプールに7年ぶりに向かう。ついに僕が誘いにのったことが嬉しいのか、両親はいつもよりるんるんだった。
プールへの道中の見慣れた風景になつかしさを覚えながら、少し緊張をしている自分がいた。
実を言うと、プールに行きたくなかったのはもう大人だからというだけではない。むしろそれは建前で本当の理由が別にあった。

僕は太っているのだが、それに対してずっとコンプレックスを抱えている。自分の見た目が嫌いだ。自分の体型が嫌いだ。ずっとこのコンプレックスと戦ってきた。
ありのままの自分を愛したい。ありのままの自分が愛そうと口にするけど、僕自身は自分の見た目を好きになれない。だからこそ自分を曝け出すのは怖い。周りに何を思われるかわからないし、何を言われるのかわからない。それがずっと怖いのだ。
だからこそ、自分の体型を曝け出さないといけないプールがずっと嫌だった。いや、本当は好きだったのだ。だけど、自分の見た目に引け目を感じ、自分を醜く感じ、愛せなくなった時から嫌になり、避けるようになっていた。
だからこそ、久しぶりのプールに緊張をしていた。

プールの施設の入り口の自動ドアが開いた瞬間、あの塩素の匂いが鼻に入る。いくつになっても、この匂いは好きになれない。
更衣室に入ると、夏休みだと言うこともあり、幼い子供たちの声が響いていた。本当にこんな大人がプールに行ってもいいのか少し戸惑いながらも、ぱっぱと水着に着替えた。プールに入る前に軽くシャワーを浴び水に慣れる。濡れて肌に張り付いた水着は、僕の体型を際立たせる。急いで水着を引っ張り、空気を入れて少しでも体型が分かりにくくする。水に入ったら結局元に戻るのだが、せめてもの抵抗だった。そういえばこの抵抗を小学生の頃からしていたことを思い出し、なんだか寂しくなった。
約7年ぶりに入ったプールは、底が少し浅くなったように感じたが、その変わらない冷たさに少し身震いをおこした。
プールにただ浮かんでみた。流れに身をまかし、水と一体化する。
それがなんだか気持ちよかった。
自分の見た目に関する思い込みも心配事も全て水に流れて行ったのか、プールにいる間思い出すこともなかった。
気づけば僕は夢中になってプールを楽しんでいた。
そんな私を見ていた両親は、なんだか私よりも上機嫌で嬉しそうだった。

この日以来、僕は時々両親の両親のプールに付いていくようになった。
僕もプールに行くと告げるたびにちょっと上機嫌になる両親の愛を抱きしめる。
この愛を大切にしたい。
両親が僕を愛してくれてるように、僕自身も自分のことを心から愛せるように生きよう。そう思った。

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