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ニュースと情報
コロナ下で
地デジになった2011年にテレビを捨てた。
それ以来、テレビは実家に帰郷した時しか観なくなった。
その実家に2020年3~5月帰郷していて、コロナを伝えるニュースやワイドショーを観ていたら最初は別に気にならなかったのに、じょじょに嫌悪感が沸くようになり観るのを止めてしまった。
「なぜそんなことばかり伝える?」という苛立ち。
で、この件について自分なりに分析してみた。
マスコミの情報
マスコミの商品は情報だ。情報の価値は希少性。確率で決まる。
宝くじの当選者と落選者。どっちがニュースになるかと言えば当選者だ。
当選者がいるのは事実だから嘘は伝えてない。
だけど、「全体の状況をより正確に伝える情報」となると、それに適したのは「落選者の情報」だ。「宝くじを購入したほとんどの人は当たりませんでした」という情報。「ほとんどの人」の情報なのだから。
コロナという局面化において自分が知りたかったのは、個々の「当選者」の情報ではない。普段は下地過ぎて意識しない世界や日本という「全体」の状況をまず把握したかった。この要請は「コロナ」という特殊な状況が作り出した。
だけど、マスコミ特にテレビは「全体」の情報を伝えてるようには思えなかった。普段通り「当選者の情報」を伝えていた。
それが苛立ちの原因だったと思う。
マスコミ批判ではない。マスコミとはそういうもの、と言うこと。
「当選者の情報を伝える組織」がマスコミであり、「落選者の情報を伝える」能力はもともとない。そんな能力必要ないのだ、金にならないから。
対処
てな感じの分析を前提とすると、とりあえずの対処法も思いつく。
「ラーメン店が続々倒産しています」
⇒とニュースが伝えるなら「他の業界は意外と倒産してないのでは?」
「Aさんはコロナで会社を解雇になり今こんなに大変です」
⇒とニュースが伝えるなら「失業率はそんなに上がってないのでは?」
つまりニュースの逆が「社会全体の状況」と推測。
で、ネットで統計を探す。
興味
マスコミに興味があるわけではない。
ただこのテーマを堀っていくと、「情報とは何か」「価値とは何か」に繋がる哲学的鉱脈に突き当たる気がする。だから興味がある。