基本的にADHDとASDの併発というのは説明にしかつかってないんだが、
当事者としての同じような診断をされて労働をするひとたちにとっては理由にならないということとして見られるんだなあと考えましたね。
まあ言葉の世界のなかでのやりとりだから仕方ないのかもしれませんし、生き抜いてきた感覚もまたあるので、いってくれた方が配信者という分類にも入りますのでそれはそれで納得できる言い方だなあと思いましたからね。
同じような状態ではありますが、特性がまたちがいますし、個人差があるとしても体調や調子によって言葉や行動が変化しやすい。
基本的に僕には事情があり過去の記憶、幼少期までの記憶がほぼないので、自分の軸となる原風景の自分をあまりしらない。
だからこそ受け入れてはうまく噛み砕く生きることができずに、生きづらさをかんじでしまうのかも。
配信アプリをつかって相手の気持ちを察するのが非常に難しいのと、共感して涙をながしたこともあるので、声だけの感覚とはいえ情緒的な部分で育ちきれてない部分が強いんだろうなあとおもう。
ひとに関しての思考や感じ方をシンプルに感じられるのならば、ラジオトークというものは非常に優秀なアプリなのかもしれない。
全てが正しいとか間違いとかではなく、整理して良好な関係をつくるということに力をぼくはいれたいのでちょっとしばらくは積極的には配信はせずに、色々ラジオトークに外からの新規のひとを期間設定せずにいこうかなあと。
ひとと関わるのはだいじだし、自己理解と更新に繋がりやすいので、労働ということや関わりに関して諦めるべきではなく、やる気があるうちに色々とするのが大事なのかなと。
別に離れるのは合わなかっただけでしょみたいな話ではあるので気にはしないが、自分から積極的に困惑されたり誤解されたりするのは控えていきたいよね。うん。
ただ片方のいい分だけで判断するのはもうしたくないね。
いまは体調不良すぎてなかなか自分ができることしかできないけど。
その意味では顔出ししないで配信できるラジオトークはリハビリやたのしむことをするのには適してるだろうね。
1度してみて定着しなかったらやりゃなきゃいいし、楽しんでみたらいいかなと。コメントしなければ名前でないし。
内容はとある配信者さんが色々いってくれたから見つけてみてね
言葉は大事だよね、伝えたいのとは違う言葉でもつたわるから